噴水が出たところで、ベルニーニの手掛けた最大の噴水のあるナヴォーナ広場へ移動しよう。
古代ローマ時代、円形競技場だった形をそっくり残したナヴォーナ広場は、15世紀に市場がカピトリーノの丘から移転してきて、すっかりローマ市民の集まる賑わいの場になっていた。
そこに設置する噴水の製作を受けたベルニーニは、世界の四大河川(ドナウ=ヨーロッパ、ナイル=アフリカ、ガンジス=アジア、ラプラタ=アメリカ)の寓意像による噴水を完成させた。
出来上がった噴水を見ると、ラプラタ川の寓意像は目の前の教会建物が「今にも崩れそう…」と怖がっているかのように手を伸ばしている。
また、ナイル川の寓意像は頭から布をかぶっている。まるで前の教会の貧弱さに、「見ていられない」と顔をそむけているようだ。
目の前にあるサンタニェーゼ教会は建築家ボッローミニの設計したもの。このころ、ローマ教皇はライバルであったボッローミニを重用し、ベルニーニへの仕事が激減していた。そんなことから、ベルニーニはかなり大げさに相手の建築を軽視、揶揄した、とされている。
だが、よく調べてみると噴水の着工は1651年。教会着工は1652年で、このエピソードは後年の作り話ということになる。だが、ベルニーニの性格からも、いかにもありそうな話として伝わっている。
いずれにしても、それぞれの像はダイナミックでかつ神秘性をも備えた、雄大な噴水に仕上がっている。
さらに、ベルニーニはこの広場に「ムーア人の噴水」の改造をも手掛けて、広場全体をワンダーランドに仕上げてしまった。
また、日本人観光客にとって最もポピュラーな噴水であるトレヴィの泉も、ベルニーニの影響を受けている。トレヴィの泉は1732年、コンペで選ばれたニコラ・サルヴィの設計で完成されたもの。その100年前の人間であるベルニーニとどう関係しているのか?
実はこの噴水は1640年、ウルバヌス八世がベルニーニに制作を発注した。しかし設計の途中でウルバヌス八世が死去、計画は中止されてしまっていた。
だが、ニコラ・サルヴィもベルニーニの計画していた構想を基本として完成させたとの説が有力だ。このように、ローマの観光をすれば街中のあちこちでほぼ必ずといっていいほどベルニーニの遺産に出会うことになる。