東大寺は、あの大仏様のお寺ということで、大仏建立に関わる時代の話から始めよう。
大仏建立の詔を発したのは聖武天皇だ。724年に即位したが、当時は地震や疫病などの流行で社会不安が高まっていた。そこで天皇は仏教に救いを求めることにした。
全国各地に国分寺を建立、その総本山として奈良に東大寺を建てて、シンボルとしての大仏を作ることを決めた。
だが、莫大な人と費用はどうするか?天皇は大仏建立の責任者として僧行基を指名。行基は国民の喜捨と勧進を基とし、先頭に立って諸国を巡って金と労力を集めた。その行基の像が近鉄奈良駅前に建っている。
造立スタートは754年。だが、その途上で天皇は病に倒れた。そのためまだ未完のまま開眼供養が行われたが、天皇は756年に死去。大仏の完成はその翌年の757年まで待たなければならなかった。従事した技術者と人夫は合わせて延べ260万人にも及ぶ大事業だった。
さて、話を戻そう。最初にくぐる東大寺の門は南大門。寺の表玄関だ。真下に立つとさすがに大きい。
高さ25m。天井裏も高さを感じる。
ここで一番の目玉は金剛力士像だ。鎌倉時代の南大門再建時には、運慶快慶を中心とする仏師集団によって完成されたもので、向かって右に吽形、左に阿形の二体の像が立つ。
まずは吽形。
大きく目をあいている一方で、口元はきりりと絞られている。
踏んばって前に出した右足の親指。まさに力がこもっている。
対して左には阿形。
口を大きく開けて、怒りの声を四方に響かせているようだ。
その左手は、相撲の張り手を繰り出した時のごとくに、大開き。
いずれもこの聖なる地に悪霊たちが入り込まないようにしっかりと警護している姿だ。
一般的に全国の金剛力士像は正面を向いているが、ここだけは二体が向かい合わせに立っている。つまり、参拝客が正面から門を見た時には、力士像は見えないのがここの特徴だ。
また、後に法隆寺を訪れたが、あちらでは向かって右に阿形、左に吽形と、東大寺とは逆の位置に立っていた。