黒田記念館の中を見学する。
中に入ると2階の展示室に黒田の作品が陳列されている。時期によって内容は変わるが、私が訪れた時には代表作の1つ「智 感 情」がずらりと並ぶ豪華な日だった。
これは1900年のパリ万博に出品されたもので、銀賞を受賞した作品。当時としては日本人離れとも言えそうなプロポーション。それぞれのテーマに沿った表情ですっくと立つ絵だ。
万博会場でこれを見たフランス人文学者アルマン・シルヴェストルは次のように感想を記している。(智)
厳かな三位一体をなして
女の体が浮かび上がる
魂の神秘な宝石箱の中で
美は瞑想する
(感)
ぼくらの目を惹きよせてしまう
威厳をどれもがたたえながら
花かぐわしき3本のバラが
同じ茎に咲いている
(情)
ひとつには黎明が涙をおき
ひとつはほほえみ ひとつは夢見る
そして素晴らしくも この三つ児の花からは
どれも同じように 優美が立ちのぼるのだ
この絵は日本女性をモデルに制作された史上初の油彩裸婦像で、また裸婦像についての根強い偏見があった時代の画期的な作品となった。黒田はある意味、女性の理想像を描き上げたものといえそうだ。
「湖畔」
後に妻となる照子と箱根に避暑に出かけた時に、彼女をモデルにして仕上げた1897年の作品。夏とはいっても日本の夏はフランス・コートダジュールの海岸のようにからりと底抜けに明るいものではない。少しくすんだ空気、湿気を帯びた風景の中にたたずむ若い女性の清々しさが、余すところなく描き出されている。この作品は国の重要文化財に指定され、切手にも採用されている。
「読書」
黒田は1884年から1893年までフランスに留学していた。1891年にパリから南東約60キロのベレー・シュル・ロワンという村の村娘マリア・ビョーをモデルに描いた作品。静けさに満ちた室内の空気がひしひしと伝わってくるようだ。これはパリの権威ある公募展サロン展に初入選した記念すべき作品だ。
「舞妓」
留学から帰国後初めて京都を訪れたときに描いたもの。背景となる鴨川の明るい光を浴びて逆光の中で腰掛ける舞妓。若々しい顔立ちの輪郭が、外光派と呼ばれる黒田の特徴を浮かび上がらせているようだ。
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