新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

バルセロナ建築巡礼⑨ グエル公園の中央広場。「廃物利用」から「新しい芸術」へ~画期的なベンチが並ぶ

2020-02-11 | バルセロナ

 高台の中央広場にやってきた。まだ朝方のためかそれほど人は多くない。ここは「ギリシャ劇場」と名付けられた場所だ。

 広場の辺を通り囲むように、波型のベンチがずらりと並ぶ。

 座ってみると、なかなか座り心地は良好だ。

 

 もともとここは19世紀末に集合住宅団地造成地として計画された。しかし、結局2戸の住宅が建てられただけで団地構想は未完に終わり、代わりに現在は市民の公園となって今日に至っている。

 何といっても目立つのはモザイクスタイルで造られた鮮やかなベンチ。

 陶器、ガラス、ビンなどの破片を組み合わせて造られたベンチは、四方八方に向いた反射面によって、様々な角度に光を発散する。

 ベンチの制作に関してはジュジョールが基本的に担当した。ガウディが陶器場から不良品としてはじかれた破片を大量に収集。

 ジュジョールは石工とともにそれらを、周囲の風景を配慮しながら色を組み合わせて全体に配置していった。

 二人の色彩に関する生き生きとしたセンスと配合の技術が、見事な異空間を実現したというわけだ。

 あふれるほどの遊びの精神で様々なものを組み合わせて、単なる廃物利用から、新しい芸術へと変貌させてしまった。

 

 

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バルセロナ建築巡礼⑧ グエル公園を歩く。「砂糖をまぶしたタルト菓子」の家、オオトカゲ、ギリシャ神殿様の列柱。

2020-02-08 | バルセロナ

 正門の両脇には守衛小屋と管理小屋が建つ。これらはヘンゼルとグレーテルに登場するお菓子の家をイメージしたとされる。高い塔を持つ方が守衛小屋だ。

 一方白さが目に染みるような屋根を持つのが管理小屋。ただ、壁面は荒々しいブラウン。「砂糖をまぶしたタルト菓子のようだ」と、ダリは評した。

 「パーク グエル」の文字もおしゃれ。

 正面の大階段にはオオトカゲが‶生息”する。

 トカゲは観客の人気の的。次々と記念写真に収められていた。

 階段から続くのは広々とした列柱のある空間。本来は市場として使われるはずだったスペースだ。

 ギリシャ神殿を連想させる86本のドーリア式柱がこのスペースを支えている。

 ガウディもグエルも共にギリシャ文化をリスペクトしており、こうした場所にもその精神が導入されているようだ。

 天井にはバラ型の飾りが付けられた。

 ガラス片や瀬戸物の破片などを活用したモザイクで、光を放つ太陽のイメージだ。

 列柱の上には、タイルで側面が彩られた広場がひろがっている。さあ、広場へ上がってみよう。

 

 

 

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バルセロナ建築巡礼⑦ 鳩が出迎えるグエル公園の高台から、バルセロナの街を見下ろす

2020-02-04 | バルセロナ

 グエル公園は街の北側、小高い丘の上にある。それで、朝日の当たるバルセロナを見下ろしたいと思い、朝早めにホテルを出発した。

 バスを降り公園に入ると、眼下に街が見下ろせる。が、逆光の形になりまぶしさがきつめだ。

 手前に鳩が2羽。朝の散歩の途中休憩かも。

 手で光を遮りながら見渡すと、ああ、左手にサグラダファミリアのシルエットが。後方の道では朝のジョギングをする学生たちが何組も走り去って行く。

 まずは石のアーチの掛かった通路を進む。柱は自然なカーブのように見えるが、実際はていねいに測量し、慎重に傾斜をつけて出来上がっているという。

 それぞれに彫刻もなされていた。

 規則的にしつらえられた間隔から漏れる光と、柱の造る影とが織りなす映像が美しい。

 正面入口にやってきた。鉄の扉の形がユニーク。ゆがんだ円が連なる形は、ダリが「牛の肝臓」と称した。なるほど。

 下部には装飾的な鉄の帯が取り付けられている。飾りであると共に扉の補強としての役割も担っているようだ。

 門扉と柵のデザインは、ガウディの処女作であるカサビセンスで造られたシュロの葉の形がそのままここにも使われている。

 正面から上を見上げる。こうして見るとこの公園はかなりの高低差があるなあ。

 遠くには列柱がそびえている。

 

 

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バルセロナ建築巡礼⑥ ゴシック地区には、若き日のピカソを偲ばせる様々な思い出が詰まっていた

2020-02-01 | バルセロナ

 ゴシック地区に入ると間もなく、バルセロナダリ美術館がある。ビルの最上部に「DARI」の文字が見えるので、それが目印だ。

 シュールレアリスムの先端に立っていた作家だけに、作品はかなり奇抜。ただ、ダリ美術館は後でフィゲラスにある本格的な美術館に行く予定なので、ここは素通り。

 その少し南側交差点には、ピカソが描いた壁画のある建物に出会う。「カタルーニャ建築家協会」というビル。

 描かれている大きな人形は、バルセロナ最大の祭り「メルセの祭り」で市内に繰り出す巨大人形のもの。そして、カタルーニャ特有の民俗舞踊サルダーナの模様だ。

 すぐ近くにはカフェレストラン「クワトラ・ガッツ(4匹の猫)」がある。建物の設計はプッチ・カダファルク。1898年に開店したこの店は、パリ・モンマルトルの有名キャバレー「シャノワール(黒猫)」をイメージして開かれた店で、次第に作家、画家、音楽家などのたまり場になって行った。

 その中には若きピカソもいた、開店翌年から顔を出し始め、彼の初個展もこの店で開催された。1903年にパリへ旅立つまでこの店が彼の拠り所となっていた。

 今も店にはピカソの写真入りの記事が飾られていた。

 サンジャウマ広場に出た。ここはゴシック地区の要の位置にある。正面に自治政府庁舎と市庁舎が向かい合っており、広場は市民の憩いの場所になっている。

 この日は祭り当日。ピカソも描いたサルダーナの踊りが大規模に行われていた。

 そして大聖堂。

 ちょうど式典が行われていたので、ちょっとだけおじゃましてすぐ外に出た。

 狭い通りに入り込んだ。高い建物が迫り、その隙間から差し込む強烈なスペインの光。

 そんな古い通りがアヴィニョン地区。ピカソがキュビスムの代表作となる作品に名付けた「アヴィニョンの娘たち」の名前は、この地区から命名された。

 フランスにもアヴィニョン市という地名があるが、ピカソの原点はこちらの場所だ。

 少し回り道になったが、ピカソ美術館に着いた。何と今日は祭日のため美術館は無料開放されていた。

 ここは元々貴族の館だった。それを改装して1963年に美術館になったもののため、階段やパティオ(中庭)などいかにも重厚感のあるたたずまいだ。

 ここには彼が15歳の時の作品「初聖体拝領」があった。妹の姿を描いたもので、とても少年の絵とは思えないコンプリートな出来栄えになっていて、ただため息。

 こんな風にゴシック地区には歴史を感じさせる様々なものが存在していた。

 

 

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