新イタリアの誘惑

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バルセロナ建築巡礼⑥ ゴシック地区には、若き日のピカソを偲ばせる様々な思い出が詰まっていた

2020-02-01 | バルセロナ

 ゴシック地区に入ると間もなく、バルセロナダリ美術館がある。ビルの最上部に「DARI」の文字が見えるので、それが目印だ。

 シュールレアリスムの先端に立っていた作家だけに、作品はかなり奇抜。ただ、ダリ美術館は後でフィゲラスにある本格的な美術館に行く予定なので、ここは素通り。

 その少し南側交差点には、ピカソが描いた壁画のある建物に出会う。「カタルーニャ建築家協会」というビル。

 描かれている大きな人形は、バルセロナ最大の祭り「メルセの祭り」で市内に繰り出す巨大人形のもの。そして、カタルーニャ特有の民俗舞踊サルダーナの模様だ。

 すぐ近くにはカフェレストラン「クワトラ・ガッツ(4匹の猫)」がある。建物の設計はプッチ・カダファルク。1898年に開店したこの店は、パリ・モンマルトルの有名キャバレー「シャノワール(黒猫)」をイメージして開かれた店で、次第に作家、画家、音楽家などのたまり場になって行った。

 その中には若きピカソもいた、開店翌年から顔を出し始め、彼の初個展もこの店で開催された。1903年にパリへ旅立つまでこの店が彼の拠り所となっていた。

 今も店にはピカソの写真入りの記事が飾られていた。

 サンジャウマ広場に出た。ここはゴシック地区の要の位置にある。正面に自治政府庁舎と市庁舎が向かい合っており、広場は市民の憩いの場所になっている。

 この日は祭り当日。ピカソも描いたサルダーナの踊りが大規模に行われていた。

 そして大聖堂。

 ちょうど式典が行われていたので、ちょっとだけおじゃましてすぐ外に出た。

 狭い通りに入り込んだ。高い建物が迫り、その隙間から差し込む強烈なスペインの光。

 そんな古い通りがアヴィニョン地区。ピカソがキュビスムの代表作となる作品に名付けた「アヴィニョンの娘たち」の名前は、この地区から命名された。

 フランスにもアヴィニョン市という地名があるが、ピカソの原点はこちらの場所だ。

 少し回り道になったが、ピカソ美術館に着いた。何と今日は祭日のため美術館は無料開放されていた。

 ここは元々貴族の館だった。それを改装して1963年に美術館になったもののため、階段やパティオ(中庭)などいかにも重厚感のあるたたずまいだ。

 ここには彼が15歳の時の作品「初聖体拝領」があった。妹の姿を描いたもので、とても少年の絵とは思えないコンプリートな出来栄えになっていて、ただため息。

 こんな風にゴシック地区には歴史を感じさせる様々なものが存在していた。

 

 

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