【三室戸寺の石楠花】
山吹や宇治の焙炉のにほふ時 / 芭蕉
暮れはつる 秋のかたみに しばし見ん 紅葉散らすな 御室戸の山 / 西行
朝起きると、彼女が待ちかまえていた。三室戸寺の石楠花見物と福寿園の茶屋のランチをリクエスト
だ。眼精疲労甚だしく、疲労回復にと快諾し、そのままロードスターを走らせる。ナビゲータが時折
おかしな動きをするが(北朝鮮の電波妨害?)、問題なく三室戸寺に到着する。
三室戸寺(みむろとじ)は、京都府宇治市にある寺院。山号は明星山。本尊の仏教における信仰対象
である菩薩の一尊、眷属として二十八部衆を従える千手観音は、梵名サハスラブジャ・アーリア・ア
ヴァローキテーシュヴァラ。近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音霊場の総称西国三十三箇
所は第10番札所で、仏教の宗派の1つ。日本の修験道の中心寺院の1つである聖護院を総本山とする
宗派で、妙法蓮華経を根本経典として、宗祖は平安時代の仏僧で第5代天台座主の智証大師円珍とさ
れる総本山は滋賀県大津市にある長等山園城寺(三井寺)である別名「天台宗寺門派」から1957年に
独立して設立した別格本山の宗派という、から実にややこしいことになるが、千手観音「サハスラブ
ジャ」とは文字通り「千の手」の意味でこの名はヒンドゥー教のヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥ
ルガーといった神々の異名で、インドでヒンドゥー教の影響を受けて成立した観音菩薩の変化身(へ
んげしん)の六観音の一尊という。また、衆生を救済するために起こした誓願を示した三昧耶形とは、
開蓮華という(満開のハスの花。聖観音の初割蓮華と対をなす)。
約1200年前(宝亀元年)、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の呉、岩淵より出現された千手観世音菩
薩を御本尊として創建。開削以来、天皇貴族の崇敬を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶
民の参詣で賑わう。宝蔵庫には平安のを偲ぶ五体の重要文化財の仏像が安置されていて、現化の本堂
は約180年前(文化二年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背後には室町時代の十八
神社社殿、東には鐘楼・三重塔が配置されている。
千坪の大庭園は枯山水・池泉・広庭からなり、五月のツツジ(二万株)シャクナゲ(千本)、六月の
アジサイ(二万株)七月のハス・秋の紅葉など四季を通じ美しい花模様が楽しめるという大変豪華な
(欲張った?)庭園が人気だという。実際、起伏のある園内を二人で散策する、普段から歩くことが
少なくなった脚に負担がくるが、時間が経つとともに、参観者の賑わう吐息が五月の青空に吸い込ま
れ心地よさに変わっている。もっとも彼女は「もう、限界ね」を連発している。
朝ははやくから出かけたのだが、下山した折りにはたくさんのひとが拝観。近所の住人は大変迷惑だ
ろうと思いながらナビゲータに福寿園宇治工房を入力したのはいいのだが、視力低下のためか全く違
う場所に。電話を入れ再度入力。ところが駐車場がまったくない。宇治川を遡上して帰宅することに
なるが、そこら近辺に迷い込んでしまい迷走というアクシデントのおまけ付き。「観光と住居の再配
置計画」の有り様について考えさせられることに。それにしても高速道路のサービスエリアは超満員
状態のトホホ~~~状態。
【5月5日に原発を考える】
その同日、北海道電力泊原発3号機(北海道泊村)は5日午後11時3分、定期検査のため運転が止ま
り、国内に50基ある原発が1970年以来42年ぶりにすべて停止。昨年3月の東京電力福島第一原発事故
を経験した日本は、発電量の3割を占める原発の運転ゼロが続く。原発の安全性に不信感を抱く市民
グループは「原発ゼロ」を脱原発に向けた一歩と位置付け、全国各地で集会やデモが展開された。
直接行動に加わらなかったものの、よせばいいのに、いま続けている「防災」の再考察の作業を進め
ていたが「環境災害」「複合災害」という聞き慣れない言葉に接する。前者は地球環境にかかわるこ
とだなと目星がつく。「環境災害」は、これら自然災害や社会災害に伴って、生態系に大きな影響を
もたらすようなインパクト(衝撃)ととらえらえ「産業革命以降に人類が急速に工業生産、農業生産
を拡大し、人間活動が高度化、大規模化、広域化することに伴い、その副作用として、時として予想
もしない大きな災害をもたらすが、こうした事例が蓄積されて新たな災害として認識されるようにな
ったもの」と定義し認識に至っている(『自然災害と防災の辞典』)。そして、その範疇に「異常気
象温暖化」が内包される。
すこし付け加えると、「異常気象の原因については未解明」とサスペンディングされてはいるが「人
為説」側に立てばN=1であり、N-1=ゼロであると、極端にいえば「すべてが決定の内ある」と
も言い換えられるが言葉の遊びはこれぐらいにして、氷層中の二酸化炭酸ガス濃度変化との関係で、
ここ近年4百年での変動が過去のデータから「クロ」と断定できないものの、その逆の、過去のデー
タには「人為」そのものがないわけで、温暖化による人類へに与える影響の類推ができないことを意
味し、まして「外延」など成立しないわけで(古代動物呼吸説?)、内挿を原則とする統計予測であ
ればなおのこと「陰謀・ねつ造説」の喧びすしさを離れ、迅速に科学的な分析精度を上げ予測するし
かないと考える。
また、後者の「複合災害」とは、複数の性質の異なる災害事象が密接にかかわりあって発生する災害
を複合災害と定義し。複合災害には、たまたま同時期に別種の災害が進行するというケースも考えら
れるが、問題となるのは1つの災害が誘因となって、別種の災害が発生するケースであるという。な
お、災害時その直後に被災者のにあうケースは二次災害と呼ばれ、複合災害とは区別されることが多
いという。かくして、人類の欲望の拡大がもたらすであろう<複雑で、甚大で、致命的な災害>の顕
在化が、この言葉を生み出す背景にあるのだと再認識し「5月5日原発ゼロの日」を省みた。