不毛な半日センポルナ
ホテルの朝食は7時スタート。
7時15分にレストランに入ると、席は9割がた埋まっていた。
客層はほぼチャイニーズ。
カップル、女子旅、家族旅・・・
あとは、お一人さまのローカルビジネスマンふうの人びとが2~3人。
日本人から見れば、中国の女の人たちは、不思議ないでたちの人が多い。
しかも皆、コロコロ(キャリーバッグ)持参・・・。
朝食後すぐにホテルを出るのかな?
いちど部屋に戻るのも面倒くさいのか?
バフェのメニューはかなり豊富。
クエ(マレーシアの生菓子)がいっぱいあるーーー!
目はいろいろ欲しがるけれど、クエがあるので、食事はシンプルに、ウェスタンには目もくれず、ローカル系でまとめてみた。
クェイテオ(Kway teow、平たい麺)にカチャンパンガン(ベイクドビーンズ)、そしてブブール(お粥)。
ベイクドビーンズは、実際はベイクドではなく、インゲン豆のトマトソース煮で、マレーシアのホテルなら、一流ホテルからC/Eまで、どこでも朝食に登場する。
缶詰なので、どこでも同じ味。
きっとこの朝食文化は、マレーシアがイギリスの植民地だった名残なのだろう。
かんじんの麺やお粥は見た目とは裏腹に超残念。
チリパディをかけても味がしまらない。
ジュースはホテルのくせに、フレッシュではなく、濃縮還元ジュースなので、ずいまー。
コーヒーにいたっては、ネスカフェじゃん。
そして、期待のクエ。
大好物のオンデオンデ(手前のココナッツフレークをかぶったやつ)にパンダンケーキ(上左)、クエタラム
パンダン。
おかわりかなー、なんて思っていたら、相席のチャイニーズがクエを残している。
やーな予感。
そして、予感は的中した。
が、とったものは責任を持って。
シーフェストのバフェは、質より量で勝負とみた。
でも、けさここでいただいたものはすべてローカルフードウィッシュリストに入っていたので、数をこなす一助になった???
さて、タワウへの送迎車の出発は12時。
出発前にランチをとったほうがよさそう。
ランチに何か買っておこうと街にむけて歩き出す。
まだ8時というのに、日差しは強いし、ひどく暑い。
ボルネオ・グローバルの前で、しまった、出るんじゃなかったという思いがよぎった。
ドラゴンインの手前にさしかかったところで、引き返そうかと思ったが、せっかくここまで来たんだし。
街に入ると、スキューバジャンキーなどのダイブショップが点在し、シパダンジャンキーな私は、生粋のダイバーなら、よほどの事情でもない限り、まず使わないであろうセンポルナの店々を苦々しく見る。
だいたい、ジャンキーなんて単語をショップにつけるセンスがおかしい。
ジャンキーはキース・リチャーズだけ!
そもそもセンポルナからデイトリップで来るダイバーの多くは、バックパッカーが旅のついでにダイビングもしてみるといったレベル。
水中で、スキューバジャンキーあたりの白人ダイブマスターがいると、後ろには、阿波踊りの人びとを見かけるので、シパダンのような外海で潜るのは、時期尚早なスキルの人しか見たことがない。
たまにはそうでない人もいるかもしれないが、センポルナのサービスを使うようなダイバーの大部分には、シパダンパーミットは猫に小判だと思う。
少なくとも、シパダンで潜るには、阿波踊り状態を脱してからいしていただきたい。
まったく、ガバメントには、後発のダイブオペレーターではなく、古くにシパダンでのビジネスを確立した、昔からあるオペレーター数社にもっとパーミットをあげてほしい。
なんくせつけて、そう、単に私が陸スティをしたいだけなのだー。
それにしてもこの界隈、宿泊施設といい、ダイビングサービスといい、レストランといい、やたらとSipadanやMabulとついている。
なんにでもSipadanとさえつけりゃいいと思ってヤガルって感じ。
いろんな店を心の中で誹謗中傷するために来たのではなく、ランチさがしだった。
ナシブンクスとか、どっかで売ってないだろうか。
それか、チャイニーズの店があれば、ナシゴレンかミーゴレンでもテイクアウトしたい。
しかし、なかなかそれを叶えてくれそうな店がない。
チャイニーズの店も、朝はできあいのものを売っているだけだ。
そして、市場のところまでたどりついて、魚を激しくセールスされるだけで、ダメだこりゃ、でUターン。
ホテルへ帰る道すがら、スキューバ・ジャンキー横を通り、またまた苦々しく思うのだった。
暑さに後悔しながら、来た道をとぼとぼ戻り、結局きのうのレストランでナシゴレンを炒めてもらって、テイクアウト。
部屋に戻ってシャワーして、パッキングしてしばしボーっ。
11時すぎたら、早めにランチ。
ナシゴレンセット。
ミックスベジタブルにシーフード。
いまひとつおなかがすいていないうえに、ポークエキスがないといまいち。
ミーゴレンにしときゃ良かった・・・
12時ロビー集合なので、11:50に下りると、なんかドライバーの巻きが入っている。
はじめて見るドライバーだ。
おフランスのオネエ&おじい3人+おひとりさまフランス人も、けさからデーユースしているようだが、すでにワンボックスの中。早っ!
指定が12時なのに、ラテンの国の人びとなのに、なぜそんなにきちょうめん?
レセプションにゆき、キーを返し、デポジットの返金を求めるが、レシートがない。
もともともらっていないのだ。
うっかりしてたー。
で、「レシートがないと返金できない」「レシートくれなかった、金返せー」の押し問答に。
そのわずか1、2分で、まだかとドライバーがやって来る。
「impatientな男だねぇ、・・・ったく!」と本人に言ってやりたいくらいだったけれど、「DEPOSITを返してくれるのを待っているの。」とレッセプショニストにプレッシャーをかける。
しばし押し問答ののち、昨日のチェックイン担当に電話をかけて「確かにRM50預かったけど、レシート出し忘れた」という話になり、無事返金してもらう。
レシートのことをすっかり忘れた私も悪いが、このホテル、やっぱりダメだな。
車に乗った時点で12時ちょい前。
ドライバーのじりじりっぷりにあらためて、そんなにせかすなよ、と思うのだった。
ホテルを出ると、朝の強い日差しがうそのように、どんよりしていた。
センポルナ~タワウ
椰子の木農園ゾーンに入ると、雨がポツリポツリ。
すぐにものすごい雨に。
ここは熱帯雨林。
とはいえ、ここまで激しいのははじめてだ。
ゲリラ豪雨なんて、かわいいもの。
大粒以上の大粒で、かつ豪雨。
ガラスをうちつける音がすごい。
が、オネェと3老人のフレンチカンバセーションも途切れることなく続き、こっちのほうがうるさい。
そういえば、ご老人の一人、ウェットスーツ干場の横で、全裸で着替えてた。
総セルライトなお尻べろーんは違反。
シパダンのリゾートがあった頃、ロシアやラトビアといった旧ソ連圏からのグループがよく、ダイブシェッド横のシャワーでまっぱになっていたが、西側の人びとで、そんなことをした人ははじめて見た。
豪雨でいくぶんスピードは落ちたものの、タワウ空港に着いたの早すぎ。
まだチェックインカウンターもオープンしていない。
タワウ空港
こんなに早く着かれても、いい迷惑。
外のベンチは蒸し暑いし、蚊が待っているだけ。
ナシゴレンをたんと食べたので、上のレストランに入る気もしない。
1階の売店をすべてパトロール。
リノベーションしたトイレは、作りは今っぽくなったけれど、早くも汚い。
ペーパーがちゃんとセットされていないし、水浸し。
サバの空港では、何かのミラクルでもない限り、個室内にトイレットペーパーはないが、洗面横に、ティッシュかペーパーがあるもんだが、空っぽ。
ムスリムの人びとが、マニュアルウォシュレットづかいだから、ペーパーへの意識が低かったり、水浸しになるのだが、チャンギはこんなことにはなっていない。
マレーシアの排水構造がいけてないのか、それとも、チャンギは常々トイレ番のオバチャンが洪水バスターになっているのか。
空港値段のマグナムをGET。
きょうは我慢せずアーモンド。
20~30分時間をつぶして、チェックイン。
結局、2階のレストランに入る。
シパダンカフェと名前を変えていた。
もー、なんでもシパダンってつけりゃいーってもんじゃないんだよ。
ミネラルウォーターを買って、休息。
奥の方には、フランスのオネェ&ご老人3人が、またまた絶え間なくしゃべくっている。
よくネタがつきないもんだ。
それにしても、オネェの仕草は、女子力高いなあ。見習わなきゃ。
ゲートに入ると、ベンチが新しくなっていた。
2階のトイレは、あいかわらず汚なくボロかった。
フラッシュできないと思ったが、あきらめずにずっと押し続けていたら流れた。
コツがあるのね。
トイレに入るたびに、マレーシアの空港には、空港税とる資格なんかないと思う。
窓の外、雨はやんでいた。
あまりに激しかったので、少し遅れるかなと思ったら、定刻。
MH2134 タワウ1540 コタキナバル1630
機内、席に着くと、パーソナルスクリーンに、ヘラクレスが映っている。
私が寝落ちしてしまった部分。
短距離でイヤホンは支給されないので、映像だけ見ていたが、なんとなくストーリーはつながった。
あしたちゃんと見ようっと。
キナバル山はその姿を見せず、KKへの着陸態勢に入ると、またまた虹が出ていた。
今回は虹づいている。
サバ州内の便の到着出口はすみっこで、KKの町寄り。
タクシークーポンは出口横で販売しているくせに、乗り場はそこにない。
結局、国際線や他の州からの到着出口のところまで延々歩くことに。
せっかくだから、KKまで5リンギのバスカウンターに寄って、停留所チェック。
センターポイントと、ホライズンホテルと、もう1カ所。
こりゃ次回からは、ホライズンホテルを定宿に戻そう。
KKに来るたびに、1往復でタクシーに60~70リンギ使うのが、10ですむんだから。
KKIA-KK
タクシードライバーはチャイニーズのおじさん。
荷物を見て、ジャパニーズダイバー?と聞かれた。
「もう、センポルナは安全なのか?」とたずねられた。
聞きたいのは私の方だよ・・・。
「誘拐された2人は、まだ解放されていないの?」とたずねたら、2人ともまだなんだそうだ。
誘拐されたチャイニーズは、ウェストマレーシアのビジネスマンで、奥さんに電話はかけて来ているけれど、どこにいるのかはわからないと。
海沿いの通りに出ると、人だらけ。
「ちゅてぃちゅてぃまれーしあなんだよ。」と。
Cuti Cuti Malaysia。
Cutiとはマレー語でholidayのこと。
ツーリズムマレーシアのキャッチフレーズだ。
TV CMでもよく「ちゅてぃちゅてぃまーれーしあー♪」というのが流れる。
おじさんは、「ちゅてぃちゅてぃまれーしあ、いいフレーズだ」と。
私のちゅてぃも、あしたで終わりかぁ・・・。
ホテル・グランディス
きょうのホテルはグランディス。
町の終わりにできたホテルだ。
実際には、ショッピングセンターのスリアサバと同じ建物だった。
Expediaのキャンペーンで安くなっているのをとったが、まさかの2階。
脱力の低層階。
カーテン開けると、「・・・・・」
工事現場とポリスの黒ボート。
ユニバーサルルームで、広い。
ダイビング器材を干せるスペースがいっぱいある。
荷物を置いたら、ウィスマムルデカへ両替へ行く。
火曜日とは違ってクリスマスモードに転身。
タイガードラフトの夕べ
今宵は、シパダンの元ダイブマスターがおごってくれると言う。
「今度はいつKKに来るの?」とたまたま先月メッセンジャーがあり、「来月行くよ」と返したら、「来月ならKKにいるから」ということで、再会の運びとなった。
KEDAI KOPIでいいよと言ったが、いちおうエアコンつきのレストランに行くらしい。
今はすっかり裕福だからね。
ちょうど10年前にシパダンがクローズした時には、将来のことでオタオタしていたが、テックダイバーに転身したことで、危険職業と引き換えに、超リッチなのだ。
なにしろ、100mより深いところで作業の後、1か月もチャンバーに入ったりする手順の仕事らしいから。
レストランに入り、スポンサーがローカルフードのメニューを持ってくるよう、ウェイトレスに告げたら、夜間はパスタですと。
KKでパスタもアルデンテじゃないだろうなぁと、ピッツァ・マルゲリータとタイガー。
ピザ食べたら、横のバーで、タイガードラフトをごくごく。
シパダンの写真を見せてほしいというので、見せたら、島の変貌ぶりに驚いていた。
島は痩せ、見知らぬサバパークスの建物が建っている。
「これはBAR?」
んなわけないだろ、ダイビングなんだから。
そして、「Totally differnt world・・・」とつぶやく。
だよね。
そう、シパダンクローズ前と、シパダンクローズ後では、シパダンはまったく違う。
たぶん、タレーランが「1789年以前に生きたことのない人に、人生の甘美さはわからぬ」とフランス革命前と革命後を表現したがごとく、2004年のクローズをもって、シパダンのダイバーズパラダイスぶりは変わってしまった。
エルニーニョで壊滅状態だったサンゴは完全復活を遂げ、水中環境はよいものの、シパダンにスティできていた時代の、現実逃避や多幸間はもう味わえないのだ。
そういえば先月、マブールのイントラがカバーンで亡くなった、と教えてくれた。
SMARTのイントラが157mだか潜って死亡という話を聞いたけれど、別件ですか、誤報ですか?
いずれにしても、マブールのダイビングスタッフが、事故を起こして亡くなったということだろう。
あとは、身の上話や、元ダイブマスターたちの近況なんかを聞いたりしていた。
シパダンにリゾートがあった時代の元ダイブマスターのほとんどが、テックダイバーに転身し、結婚して太ったらしい。
もうみんなアラフォーだからね。
このスポンサーをして、Big bellyは、幸せの証明というロジック。
自分は腹が出ていないので不幸せということらしい。ワロタ。
きょうは長距離のバイシクルレースを完走してきたというし、トライアスロンのスクールに入るとか、過酷なことが好きらしいから、腹も出ないでしょう。
テックに走った人びとは、ぬくぬくと腹が出ているタイプと、こうした趣味にお金をつぎ込んで体型維持の二手あると見た。
それにしても、この人やその同僚たちと潜っていた頃は、本当にみんな頑張ってハンマーヘッド探してくれたし、カバーンも自分こそがガイドと連れて行ってくれたし、今となっては、多かれ少なかれレジェンドだわ。
KK育ちの、似たようなバックグラウンドを持つ若いダイブマスターたちが、皆、しのぎをけずってハンマーを探したものだし、ライバル意識がプラスに働いて、いい仕事をしていたと思う。
C/Eは若さがない分、いぶし銀のような職人技はあるものの、エキサイティングなダイビングは期待できないなぁ、と思ってしまった。
ジェリーだって、アブディラではじめてガイドしてもらったころは、なんだこいつは?と思えるクレイジーなダイビングを提供してたんだけどなあ・・・。
やはり、若いということは、それだけでパワーを発揮するのだ。
あとは、私たちは2人とも、年はとっても脳は育たず、昔と変わらずバカ話。
店の名まえもCOCK & BULL(「ばかげた」)だし。
店の前にはなぜか・・・
「なんでシカ?」と聞いたら、「COCK&BULLだから。」答えになってない。
私は、SNSは気が向いたときだけ。
それでもFacebookやメッセンジャーがあって、こうして旧交が温められるんだなぁ、なんて思った夜。
ホテルの朝食は7時スタート。
7時15分にレストランに入ると、席は9割がた埋まっていた。
客層はほぼチャイニーズ。
カップル、女子旅、家族旅・・・
あとは、お一人さまのローカルビジネスマンふうの人びとが2~3人。
日本人から見れば、中国の女の人たちは、不思議ないでたちの人が多い。
しかも皆、コロコロ(キャリーバッグ)持参・・・。
朝食後すぐにホテルを出るのかな?
いちど部屋に戻るのも面倒くさいのか?
バフェのメニューはかなり豊富。
クエ(マレーシアの生菓子)がいっぱいあるーーー!
目はいろいろ欲しがるけれど、クエがあるので、食事はシンプルに、ウェスタンには目もくれず、ローカル系でまとめてみた。
クェイテオ(Kway teow、平たい麺)にカチャンパンガン(ベイクドビーンズ)、そしてブブール(お粥)。
ベイクドビーンズは、実際はベイクドではなく、インゲン豆のトマトソース煮で、マレーシアのホテルなら、一流ホテルからC/Eまで、どこでも朝食に登場する。
缶詰なので、どこでも同じ味。
きっとこの朝食文化は、マレーシアがイギリスの植民地だった名残なのだろう。
かんじんの麺やお粥は見た目とは裏腹に超残念。
チリパディをかけても味がしまらない。
ジュースはホテルのくせに、フレッシュではなく、濃縮還元ジュースなので、ずいまー。
コーヒーにいたっては、ネスカフェじゃん。
そして、期待のクエ。
大好物のオンデオンデ(手前のココナッツフレークをかぶったやつ)にパンダンケーキ(上左)、クエタラム
パンダン。
おかわりかなー、なんて思っていたら、相席のチャイニーズがクエを残している。
やーな予感。
そして、予感は的中した。
が、とったものは責任を持って。
シーフェストのバフェは、質より量で勝負とみた。
でも、けさここでいただいたものはすべてローカルフードウィッシュリストに入っていたので、数をこなす一助になった???
さて、タワウへの送迎車の出発は12時。
出発前にランチをとったほうがよさそう。
ランチに何か買っておこうと街にむけて歩き出す。
まだ8時というのに、日差しは強いし、ひどく暑い。
ボルネオ・グローバルの前で、しまった、出るんじゃなかったという思いがよぎった。
ドラゴンインの手前にさしかかったところで、引き返そうかと思ったが、せっかくここまで来たんだし。
街に入ると、スキューバジャンキーなどのダイブショップが点在し、シパダンジャンキーな私は、生粋のダイバーなら、よほどの事情でもない限り、まず使わないであろうセンポルナの店々を苦々しく見る。
だいたい、ジャンキーなんて単語をショップにつけるセンスがおかしい。
ジャンキーはキース・リチャーズだけ!
そもそもセンポルナからデイトリップで来るダイバーの多くは、バックパッカーが旅のついでにダイビングもしてみるといったレベル。
水中で、スキューバジャンキーあたりの白人ダイブマスターがいると、後ろには、阿波踊りの人びとを見かけるので、シパダンのような外海で潜るのは、時期尚早なスキルの人しか見たことがない。
たまにはそうでない人もいるかもしれないが、センポルナのサービスを使うようなダイバーの大部分には、シパダンパーミットは猫に小判だと思う。
少なくとも、シパダンで潜るには、阿波踊り状態を脱してからいしていただきたい。
まったく、ガバメントには、後発のダイブオペレーターではなく、古くにシパダンでのビジネスを確立した、昔からあるオペレーター数社にもっとパーミットをあげてほしい。
なんくせつけて、そう、単に私が陸スティをしたいだけなのだー。
それにしてもこの界隈、宿泊施設といい、ダイビングサービスといい、レストランといい、やたらとSipadanやMabulとついている。
なんにでもSipadanとさえつけりゃいいと思ってヤガルって感じ。
いろんな店を心の中で誹謗中傷するために来たのではなく、ランチさがしだった。
ナシブンクスとか、どっかで売ってないだろうか。
それか、チャイニーズの店があれば、ナシゴレンかミーゴレンでもテイクアウトしたい。
しかし、なかなかそれを叶えてくれそうな店がない。
チャイニーズの店も、朝はできあいのものを売っているだけだ。
そして、市場のところまでたどりついて、魚を激しくセールスされるだけで、ダメだこりゃ、でUターン。
ホテルへ帰る道すがら、スキューバ・ジャンキー横を通り、またまた苦々しく思うのだった。
暑さに後悔しながら、来た道をとぼとぼ戻り、結局きのうのレストランでナシゴレンを炒めてもらって、テイクアウト。
部屋に戻ってシャワーして、パッキングしてしばしボーっ。
11時すぎたら、早めにランチ。
ナシゴレンセット。
ミックスベジタブルにシーフード。
いまひとつおなかがすいていないうえに、ポークエキスがないといまいち。
ミーゴレンにしときゃ良かった・・・
12時ロビー集合なので、11:50に下りると、なんかドライバーの巻きが入っている。
はじめて見るドライバーだ。
おフランスのオネエ&おじい3人+おひとりさまフランス人も、けさからデーユースしているようだが、すでにワンボックスの中。早っ!
指定が12時なのに、ラテンの国の人びとなのに、なぜそんなにきちょうめん?
レセプションにゆき、キーを返し、デポジットの返金を求めるが、レシートがない。
もともともらっていないのだ。
うっかりしてたー。
で、「レシートがないと返金できない」「レシートくれなかった、金返せー」の押し問答に。
そのわずか1、2分で、まだかとドライバーがやって来る。
「impatientな男だねぇ、・・・ったく!」と本人に言ってやりたいくらいだったけれど、「DEPOSITを返してくれるのを待っているの。」とレッセプショニストにプレッシャーをかける。
しばし押し問答ののち、昨日のチェックイン担当に電話をかけて「確かにRM50預かったけど、レシート出し忘れた」という話になり、無事返金してもらう。
レシートのことをすっかり忘れた私も悪いが、このホテル、やっぱりダメだな。
車に乗った時点で12時ちょい前。
ドライバーのじりじりっぷりにあらためて、そんなにせかすなよ、と思うのだった。
ホテルを出ると、朝の強い日差しがうそのように、どんよりしていた。
センポルナ~タワウ
椰子の木農園ゾーンに入ると、雨がポツリポツリ。
すぐにものすごい雨に。
ここは熱帯雨林。
とはいえ、ここまで激しいのははじめてだ。
ゲリラ豪雨なんて、かわいいもの。
大粒以上の大粒で、かつ豪雨。
ガラスをうちつける音がすごい。
が、オネェと3老人のフレンチカンバセーションも途切れることなく続き、こっちのほうがうるさい。
そういえば、ご老人の一人、ウェットスーツ干場の横で、全裸で着替えてた。
総セルライトなお尻べろーんは違反。
シパダンのリゾートがあった頃、ロシアやラトビアといった旧ソ連圏からのグループがよく、ダイブシェッド横のシャワーでまっぱになっていたが、西側の人びとで、そんなことをした人ははじめて見た。
豪雨でいくぶんスピードは落ちたものの、タワウ空港に着いたの早すぎ。
まだチェックインカウンターもオープンしていない。
タワウ空港
こんなに早く着かれても、いい迷惑。
外のベンチは蒸し暑いし、蚊が待っているだけ。
ナシゴレンをたんと食べたので、上のレストランに入る気もしない。
1階の売店をすべてパトロール。
リノベーションしたトイレは、作りは今っぽくなったけれど、早くも汚い。
ペーパーがちゃんとセットされていないし、水浸し。
サバの空港では、何かのミラクルでもない限り、個室内にトイレットペーパーはないが、洗面横に、ティッシュかペーパーがあるもんだが、空っぽ。
ムスリムの人びとが、マニュアルウォシュレットづかいだから、ペーパーへの意識が低かったり、水浸しになるのだが、チャンギはこんなことにはなっていない。
マレーシアの排水構造がいけてないのか、それとも、チャンギは常々トイレ番のオバチャンが洪水バスターになっているのか。
空港値段のマグナムをGET。
きょうは我慢せずアーモンド。
20~30分時間をつぶして、チェックイン。
結局、2階のレストランに入る。
シパダンカフェと名前を変えていた。
もー、なんでもシパダンってつけりゃいーってもんじゃないんだよ。
ミネラルウォーターを買って、休息。
奥の方には、フランスのオネェ&ご老人3人が、またまた絶え間なくしゃべくっている。
よくネタがつきないもんだ。
それにしても、オネェの仕草は、女子力高いなあ。見習わなきゃ。
ゲートに入ると、ベンチが新しくなっていた。
2階のトイレは、あいかわらず汚なくボロかった。
フラッシュできないと思ったが、あきらめずにずっと押し続けていたら流れた。
コツがあるのね。
トイレに入るたびに、マレーシアの空港には、空港税とる資格なんかないと思う。
窓の外、雨はやんでいた。
あまりに激しかったので、少し遅れるかなと思ったら、定刻。
MH2134 タワウ1540 コタキナバル1630
機内、席に着くと、パーソナルスクリーンに、ヘラクレスが映っている。
私が寝落ちしてしまった部分。
短距離でイヤホンは支給されないので、映像だけ見ていたが、なんとなくストーリーはつながった。
あしたちゃんと見ようっと。
キナバル山はその姿を見せず、KKへの着陸態勢に入ると、またまた虹が出ていた。
今回は虹づいている。
サバ州内の便の到着出口はすみっこで、KKの町寄り。
タクシークーポンは出口横で販売しているくせに、乗り場はそこにない。
結局、国際線や他の州からの到着出口のところまで延々歩くことに。
せっかくだから、KKまで5リンギのバスカウンターに寄って、停留所チェック。
センターポイントと、ホライズンホテルと、もう1カ所。
こりゃ次回からは、ホライズンホテルを定宿に戻そう。
KKに来るたびに、1往復でタクシーに60~70リンギ使うのが、10ですむんだから。
KKIA-KK
タクシードライバーはチャイニーズのおじさん。
荷物を見て、ジャパニーズダイバー?と聞かれた。
「もう、センポルナは安全なのか?」とたずねられた。
聞きたいのは私の方だよ・・・。
「誘拐された2人は、まだ解放されていないの?」とたずねたら、2人ともまだなんだそうだ。
誘拐されたチャイニーズは、ウェストマレーシアのビジネスマンで、奥さんに電話はかけて来ているけれど、どこにいるのかはわからないと。
海沿いの通りに出ると、人だらけ。
「ちゅてぃちゅてぃまれーしあなんだよ。」と。
Cuti Cuti Malaysia。
Cutiとはマレー語でholidayのこと。
ツーリズムマレーシアのキャッチフレーズだ。
TV CMでもよく「ちゅてぃちゅてぃまーれーしあー♪」というのが流れる。
おじさんは、「ちゅてぃちゅてぃまれーしあ、いいフレーズだ」と。
私のちゅてぃも、あしたで終わりかぁ・・・。
ホテル・グランディス
きょうのホテルはグランディス。
町の終わりにできたホテルだ。
実際には、ショッピングセンターのスリアサバと同じ建物だった。
Expediaのキャンペーンで安くなっているのをとったが、まさかの2階。
脱力の低層階。
カーテン開けると、「・・・・・」
工事現場とポリスの黒ボート。
ユニバーサルルームで、広い。
ダイビング器材を干せるスペースがいっぱいある。
荷物を置いたら、ウィスマムルデカへ両替へ行く。
火曜日とは違ってクリスマスモードに転身。
タイガードラフトの夕べ
今宵は、シパダンの元ダイブマスターがおごってくれると言う。
「今度はいつKKに来るの?」とたまたま先月メッセンジャーがあり、「来月行くよ」と返したら、「来月ならKKにいるから」ということで、再会の運びとなった。
KEDAI KOPIでいいよと言ったが、いちおうエアコンつきのレストランに行くらしい。
今はすっかり裕福だからね。
ちょうど10年前にシパダンがクローズした時には、将来のことでオタオタしていたが、テックダイバーに転身したことで、危険職業と引き換えに、超リッチなのだ。
なにしろ、100mより深いところで作業の後、1か月もチャンバーに入ったりする手順の仕事らしいから。
レストランに入り、スポンサーがローカルフードのメニューを持ってくるよう、ウェイトレスに告げたら、夜間はパスタですと。
KKでパスタもアルデンテじゃないだろうなぁと、ピッツァ・マルゲリータとタイガー。
ピザ食べたら、横のバーで、タイガードラフトをごくごく。
シパダンの写真を見せてほしいというので、見せたら、島の変貌ぶりに驚いていた。
島は痩せ、見知らぬサバパークスの建物が建っている。
「これはBAR?」
んなわけないだろ、ダイビングなんだから。
そして、「Totally differnt world・・・」とつぶやく。
だよね。
そう、シパダンクローズ前と、シパダンクローズ後では、シパダンはまったく違う。
たぶん、タレーランが「1789年以前に生きたことのない人に、人生の甘美さはわからぬ」とフランス革命前と革命後を表現したがごとく、2004年のクローズをもって、シパダンのダイバーズパラダイスぶりは変わってしまった。
エルニーニョで壊滅状態だったサンゴは完全復活を遂げ、水中環境はよいものの、シパダンにスティできていた時代の、現実逃避や多幸間はもう味わえないのだ。
そういえば先月、マブールのイントラがカバーンで亡くなった、と教えてくれた。
SMARTのイントラが157mだか潜って死亡という話を聞いたけれど、別件ですか、誤報ですか?
いずれにしても、マブールのダイビングスタッフが、事故を起こして亡くなったということだろう。
あとは、身の上話や、元ダイブマスターたちの近況なんかを聞いたりしていた。
シパダンにリゾートがあった時代の元ダイブマスターのほとんどが、テックダイバーに転身し、結婚して太ったらしい。
もうみんなアラフォーだからね。
このスポンサーをして、Big bellyは、幸せの証明というロジック。
自分は腹が出ていないので不幸せということらしい。ワロタ。
きょうは長距離のバイシクルレースを完走してきたというし、トライアスロンのスクールに入るとか、過酷なことが好きらしいから、腹も出ないでしょう。
テックに走った人びとは、ぬくぬくと腹が出ているタイプと、こうした趣味にお金をつぎ込んで体型維持の二手あると見た。
それにしても、この人やその同僚たちと潜っていた頃は、本当にみんな頑張ってハンマーヘッド探してくれたし、カバーンも自分こそがガイドと連れて行ってくれたし、今となっては、多かれ少なかれレジェンドだわ。
KK育ちの、似たようなバックグラウンドを持つ若いダイブマスターたちが、皆、しのぎをけずってハンマーを探したものだし、ライバル意識がプラスに働いて、いい仕事をしていたと思う。
C/Eは若さがない分、いぶし銀のような職人技はあるものの、エキサイティングなダイビングは期待できないなぁ、と思ってしまった。
ジェリーだって、アブディラではじめてガイドしてもらったころは、なんだこいつは?と思えるクレイジーなダイビングを提供してたんだけどなあ・・・。
やはり、若いということは、それだけでパワーを発揮するのだ。
あとは、私たちは2人とも、年はとっても脳は育たず、昔と変わらずバカ話。
店の名まえもCOCK & BULL(「ばかげた」)だし。
店の前にはなぜか・・・
「なんでシカ?」と聞いたら、「COCK&BULLだから。」答えになってない。
私は、SNSは気が向いたときだけ。
それでもFacebookやメッセンジャーがあって、こうして旧交が温められるんだなぁ、なんて思った夜。