くらぶとろぴか

きもちはいつもシパダンの海の中。シパダンとコタキナバル旅の備忘録、ときどき弾丸、そしてホームワークアウトおたく。

キナバル山の話(3) 登山2日目

2006-05-13 23:59:07 |  旅行
2005年5月13日、午前1時半@バタカップINラバンラタ小屋。

午前2時にアラームが鳴るまで、ゆっくり寝ていたかったが、あまりにも廊下を行きかう人々の足音がうるさいので、あきらめて1時半過ぎにベッドから起き上がった。18時すぎから横になっていたが、ほとんど眠れなかった。起きてみると、ふくらはぎの痛みはうそのように引いていた。出発前の食事はKitKatだけ。昼間はジャージとTシャツの重ね着だったが、これからは気温の下がる早朝なので、上はTシャツ+裏起毛のトレーナー+ブレーカー、下はジャージの上にナイロン素材の撥水性の黄色のパンツを着用し、頭にはニット帽をかぶり部屋を出た。

午前2時半、ガイドのジーさんと再集合、真っ暗な中を、いよいよ頂上をめざして出発。ここでまた、準備不十分な私が、ライトを持っていないと言い出だしたものだから、親切な彼は、ライトを貸してくれた。心から申し訳ない・・・。ロンリープラネットに、ライトのレンタルがあると書いてあったので、安易に借りよう思っていたら、売店の人にない、と言われてしまった。友達は、しっかり水中ライトを持ってきていた。賢い。

ラバンラタ小屋を出ると、すぐに悪夢のような階段が待ちうけていた。足はもう痛くないが、今度は大腿部から、ずっしーん、とだるい感じがする。しかし、階段は狭く、あとからどんどん人が続いて来ているので、どんなにバテバテでも、頑張ってすすむしかない。10分くらい登ったところで、日本人のおじさんとおばさんがペアで引き返してきた。高山病で断念したらしい。せっかくここまで来て、もったいない、と思ったが、高山病のつらそうな様子をみると、仕方がないことなんだろう。道は頭につけたランプが照らす、わずか数メートルの範囲しか見えないので、いったい階段がどのくらい続いているか見当がつかず、気持ち的にも、肉体的にも、すっかりめげてしまった。

つらいつらい階段が途切れると、岩のスロープがはじまった。疲れてはいるが、坂道は階段よりずっと登りやすい。岩にはロープがはってあるが、ロープをつかまなくったって、楽勝とさえ思えた。友達は昼間と変わらず歩みが早い。私はカメの歩みだが、振り向けば、まだまだ遥か下の方から、途切れることなく、まるで高速道路の渋滞のように、ライトの列が続いていた。途中、休憩している人を見かけると、私もつられて休みたくなり、ジーさんに、休憩をリクエストした。

標準的な登山者に比べ、はるかに休憩回数が多かったと思うが、なんとか3668mのサヤッサヤッ小屋チェックポイントにたどり着いた。サヤッサヤッ小屋を、ロンリープラネットは、「あなたが冷水シャワーずきで、朝食前に10キロのハイキングをしたいと思うのならば、この小屋を気に入るだろう。電気はなく、水は下から運んでくるか、近くの小川の泥水をわかさなければならない。」と言い、地球の歩き方は、「ガイドでさえ泊まるのをいやがる」と言い、けっこうな書かれようだ。IDパスのチェックと休憩のため、小屋の中に入ると、裸電球がひとつだけぶらさがっていて、目をこすりたい薄暗さ。床ははってなく、土間のようなところに、ボロい二段ベッドがいくつかあった。目が暗さに慣れると、ねずみが走っているのが見えた。1泊12リンギットだそうだが、屋根もあるし、アウトドア派の人なら、数時間の仮眠だし、いけそう!?

ロンリープラネットには、「キナバル山登山のカギは、スタミナ。とにかくゆっくり登れ、疲れたら、ペースを落とせ」、と書いてあったので、ジーさんには、休みたくなれば、遠慮せずに申告するようにしていた。そのせいで、ジーさんは、恐らく私の疲労度合いを、3割増しくらいに見積もってしまったようだ。サヤッサヤッ小屋を出るとき、ジーさんは、まったく疲れをみせない友達に、「君はカメラだけ持って、このロープづたいに、先に頂上まで行ってて。」と送り出した。ご来光をのがさないようにとの配慮だ。そして私には、「君は疲れているから、僕がリュックを持つよ。」という。「ラバンラタ小屋においてきた荷物もあるし、今は2キロくらいしかないので平気。」と辞退するが、「いいから。」と言ってかついでくれた。再び申し訳ない思いでいっぱいだ。そのうえ、少しもたつこうものなら、ひっぱってくれてしまうので、ジーさんもお疲れモードになってしまった。広い岩盤の上で休憩をとったとき、ジーさんが、「きのうはあまり眠れなかったんだ・・・。疲れた。」と言って、ぐったりと岩の上に横になった。ジーさんは、自分と友達と私の3つのリュックをかつぎ、時に私の手を引きで、疲れるわけだ。私は休憩をリクエストする回数が多いわりには、回復も早く、「もう歩けるよ。」と出発を促すが、ジーさんは起きあがらず、「先に行ってて。すぐに追いつくから」と言った。体力使わせるゲストで、ごめんなさい、と思いつつ、しばらく一人で登っていった。振り向くと、KKの街明かりが見えた。なんとなく人里が見えるとほっとするものだ。黙々と広い岩盤の上を登っていると、誰かが、「あの赤いランプが頂上だよ。」と教えてくれた。暗い夜空に浮かぶそのランプは、すぐそこにあるように見えていたが、あと1.5キロ先といわれ、がっくり。そしてそのランプは、歩いても歩いても、いっこうに近づいてこない感じがした。ふとKKの方を振り返ると、南シナ海に浮かぶ島々の形がくっきりと見えてきた。朝が来る。山の稜線も浮き上がってきた。どんどん明るくなっていくことに気持ちはあせるが、どうしょうもない。そして、あたりが薄紫色にかわった頃には、赤いランプもかなり近づき、頂上はすぐそこになった。

頂上近くになると、足元は、一枚岩のスロープから、ごつごつした岩場に変わる。大小さまざまな形の岩が重なったところをよじ登る。頂上までのわずかの距離は、ジーさんは待機で、ひとりで登る。この日の日の出は6時ジャスト。そして、ついに頂上に到達できたのは、6時をまさにまわったところだった。残念ながら、雲が多く、ご来光らしいご来光はなかったが絶景。頂上といっても、キナバル山全体を見ると、山のてっぺんはぎざぎざで、実際に8つの頂上があるが、私たち一般登山者がめざすのは、標高4095mのロゥズピークだ。キナバル山は、今も、年間5ミリずつ、背が高くなっているということで、実際には4095mではないらしいが・・・。

荒々しい岩肌、奇岩の数々といった自然の造詣は、写真では、そのスケールの大きさは表現できない。飛行機から見える、上からのキナバル山の景色も確かに素晴らしいが、いくら近くを飛行するといっても、その体感するスケールは、まったく違うものだ。「飛行機から見る景色と同じだぜぃ。」と言ったアメリカ人よ、あんたは何をみていたんだ…。

















 
頂上のギザギザ感は、こんな岩肌だったのね。

ロゥズピークの4095mの標識前には、たくさんの人が写真をとるべくごったがえしていて、けっこうな順番まちだ。それなのに、日本人熟年登山者のグループは、いつまでも標識前を占有しており、まわりの諸外国人のひんしゅくを買っていたのが、この登山での唯一不愉快な記憶になってしまった。ゆっくり頂上にとどまっていられる状況ではないので、気に入った構図で記念写真なんてことは言ってられない。近くにいたガイドにシャッターを押してもらったが、液晶を覗くと、しっかりどこかの人のお尻がうつりこんでいた。頂上に到達したという事実は一応わかるし、混んでるから仕方がないや、とさっさと下山開始。少し下りると、頂上に小一時間前に到達した友達が、岩に座って寒そうに待っていた。「ごめんね~。」「ええんよ。」的な会話のあと、友達とジーさんと、3人で、写真をとりながら、下りていった。頂上からしばらく続く岩場は、面倒くさくはあるが、問題なく下りることができた。岩場が終わり、広いグラナイトのスロープに出たところで、いっきょに足のだるさが爆発した。そして、標高が高く、空気が澄み、さえぎるものの何もない、一枚岩の上、強力な朝日で、顔がじりじりと焼けるのを感じた。登りでは、中腰でロープをつかむ方が面倒、くらの認識だったロープが、すべりやすい花崗岩の下りでは必須になる。ロープをつかみ、中途半端な姿勢で前をむいてのろのろと下りていると、後ろからやって来たチャイニーズの女性が、「このロープはこうやってつかんで、後ろ向きに下りると楽よ!」とお手本を見せてくれた。スルスルっ、と下りていく彼女の姿は、みるみる遠ざかっていった。アドバイスどおり、後ろ向きの姿勢にしたら、幾分下りやすいが、彼女のようにスムーズにはすすめない。と思っていたら、しばらく下りたところで、斜面で大の字になって休んでいる彼女に再会した。オンとオフの激しい人だ。彼女によれば、「友達が、ずっと遅れて、あとからおりて来るの。」だそうだ。このサヤッサヤッ小屋まで続く岩は、幅は広いがすべりやすいのが難点。しりもちをついたら、いい感じで、滑り台のように滑れたので、面倒になると、誰も見ていないタイミングを見計らって、お尻でツルーっと滑ってみたりしていた。

サヤッサヤッ小屋まで戻り、IDパスのチェックを受けると、係の人に「登頂証明書はどうしますか?」と聞かれ、ここで改めて、ああ、登りきったんだ、と実感した。それと同時に、まだサヤッサヤッかぁ、と、まだまだ先は長いことに気づき、テンションが下がりもした。登頂証明書は、もちろんお願いした。証明書には、2種類のデザインがあり、好みの方を選ぶ。サヤッサヤで休憩をしていると、きのうの登りの道で、何度も励ましてくれたKKの男の子から、チョコレートをもらい、ありがたくエネルギー補給。

サヤッサヤッからラバンラタまでの下りは、標高が下がるにつれて、地質、地形ともにどんどん歩きにくくなってきた。登りの時は真っ暗で、地形を把握しないまま、ただひたすら前に進むことしか考えていなかったが、明るくなってみると、こんなに急なところを登ってきたんだ、とびっくりした。ロープがはってあるわけだ。暗くて全貌が見えなかったからこそ、登れたような気がしてきた。登りでうらめしかった階段は、思っていた以上にさらに長く、そしてよくすべる。きのう、センターポイントのNikeで買ったトレーニングシューズのソールが、山歩きの間に、ツルツルになってしまったのではないか、と思うほどだ。私がツルッといくと、うしろから、昨日は高山病に苦しんでたタイワニーズのご老人に、「アブナイデスヨ。」と声をかけられた。「ワタシハトシヨリデスカラ」などと、発音よく話すおじいさん、高山病克服して、無事登れてよかった。あまりにも滑りやすい靴に、すべりそうな場所に突入するごとに、あらかじめジーさんが、ストッパーになってくれた。またまた申し訳ない・・・。

そうして、ラバンラタ小屋に戻ると、しばし放心状態。おいしくない朝食を軽くすませ、部屋に戻り、きのう水洗いだけしておいたTシャツに着替えた。期待どおり、すっかり乾いていたが、なんとなくすっぱいニオイがするような気が…。 そして、部屋で1時間休憩して、チェックアウト。一路ふもとをめざす。ラバンラタを出るとき、ジーさんは、またストックを貸してくれた。またも申し訳ない・・・。ジーさんから「すぐに追いつくから先に行ってて。」と言われて、友達と二人で先に出発した。ラバンラタ横の階段を下りると、砂利敷きの開けた場所があり、ワラス小屋に出る。ワラス小屋を過ぎると、また山道がはじまる。10分ほど歩いただろうか、ジーさんが小走りともいえる足取りでおりてきた。山道に入ってまもなく雨が降ってきたが、まだたいしたことないので、エマージェンシーコートは出さず、そのまま、ゴロタっぽい中サイズの石が続く道を注意深くゆっくりとおりていく。登りと違い、苦しさは全然ないし、上半身はピンピンしているが、足はだるいの域を超えて、ヒザがバカになってしまった。石に左足をなんどもとられたが、とにかく、下りるしかないんだ。サーフィンをはじめるときに知ったが、私は右足が利き足なので、左が弱いのだ。


下り道で、一つめのシェルターに着いた時には、シェルターに着いたことを喜ぶと同時に、まだ500mしか歩いていないんだ、またもテンションダウン。あとは、シェルターごとにこの思いの繰り返し。またも、友達から遅れ気味で下りて行くと、サヤッサヤッでチョコをくれた男の子が下りてきた。他の人たちもそうだが、道は1本なのに、先に行ったかと思うと、また後ろから現れたり、どこで順序が入れ替わるのか、よくわからない。「先に行ってね。」と道を譲ろうとすると、もたつく私を見て、「いっしょにおりよう。」と手をひいてくれようとした。お言葉に甘えたいところだが、言うことをきかないヒザなので、手を引いてもらっても、引きづられることになりそうなので、丁重にお断りし、「下で会おう」、と言って別れた。雨が本ぶりになり、ジーさんが、「エマージェンシーコートはどこにしまったの 」というので、次のシェルターまで、このまま下りるよ、と言って、ひたすら雨に打たれながら下りた。雨で笑う膝に追い討ちをかけるように、道は、すっかりドロドロになってしまった。それでも、ラヤンラヤン小屋までは坂道なのでまだよいが、ラヤンラヤン小屋での休憩を終えると、またも恐怖の階段攻撃がはじまった。階段の段差が大きすぎるので、笑う膝には本当にこたえる。ときどき、足がぐにぐにっ、とねじれ、ついに足が痛くなった。実は、マレーシアに来る前、モルディブでダイビングクルーズに参加したが、その船上で、自分の不注意により、50cmくらいの段差に気づかず落下し、左足を打撲していた。一時は腫れて、象の足のようになり、「骨折してるんじゃないの?」、と言われながらも、「まさか!」と言って、湿布のみで放置。3日くらいで、腫れはひき、多少の痛みとしびれは残っていたが、単なる打撲と信じていたので、その後も普通にダイビングもしていた。それに、もう3週間たっているし、キナバル山に登る3日前くらいからは、痛くもなくなっていたので、完治したものと、信じていたが、どうもおかしい。制御不能な膝に痛む足のところに、雨に打たれ、心底情けない気持ちになった。永遠に続くかと思える階段にぬかるみと、ひたすら格闘。15時すぎには、公園管理事務所に到着したかったが、その時間には、まだティムポホンゲートまで1.5キロの位置にいた。わずか1.5キロ、平地ではなんてこともない距離が、山道になると、こうもしんどいものかと思う。聞いていたとおり、登りより下りがよりつらい。時間が遅くなってくると、時々、おんぶされた人が下りてきた。誰かに聞いたことがあるが、確か、300リンギットだか払うと、動けなくなった人は、おんぶでおろしてもらえるらい。そうこうするうちに、下から、ローカルの男の子が二人、駆け上がってきた。ある程度の時間になると、山道に動けなくなっている登山者がいないか、確認に見回るらしい。彼らや、追い抜いていく人々の励ましを受けながら、棒になった足で歩き続け、ティムポホンゲートに帰りついたのは16時半をまわっていた。もう、パワーステーションの駐車場への平坦な道を歩くのも、よろよろな感じだった。ゲートでは、またも一時間ほど前に着いた友達が、寒そうに待っていた。ミニバンで公園管理事務所へ戻り、登頂証明書をもらい、ここでジーさんとはお別れ。本当によく面倒をみてくれたことに、心からお礼を言った。KKへの送迎車に乗る前に、トイレに寄りたかったが、トイレは、管理事務所の向いにあるレストランまで行かなければならない。そのレストランは、そのときの私にはいやがらせのような、長~い階段を下りたところにある。登山道とは違い、非常に浅い階段だったけど。夜はまた、KKのマジュラン・ストゥラ・ハーバーだ。キレイなリゾートホテルに、ドロドロのジャージで到着ではまずいので、トイレで着替えをした。おととい買ったばかりの黄色いパンツは、お尻でグラナイトをすべったりしたから、しっかり穴があいており、水色のジャージは、再起不能などろどろ。どうみても、破棄してバチがあたる状態ではなかったので、ゴミ箱に入れてきた。管理事務所前に戻り、ジーさんに見送られながら、たいへんだったキナバル山をあとにした。達成感と、持久力のなさへの反省と、一期一会、途中で会って励ましてくれた多くの人たちへの感謝の気持ちをもって。


KKへの車中では、ほどなく意識がなくなった。カーブ続きの道の記憶はほとんどなく、リカスのモスク前あたりで目がさめた。雨はしつこく降っていた。ホテルに戻り、夜9時過ぎになって、アンズホテル1階の中華にゆく。店に着いたとき、外の席で、チャイニーズのおっさんがひとり、10リンギット札をひとさし指と中指の間にはさみ、店員にむかって早く会計せんかい、と格好つけてアピールしているところだった。なんなんだ、そのポーズとそのシルバーのごついリング?ん!?どこかで見覚えのある…。うげげ。一昨日のタクシードライバー、裕也だー。夜にグラサンはなしだったが、常にコンセプトはろっけんろーらーらしい。やっぱりうける。さてさて、大好物のミバサも、どうもあんまりすすまない。疲労っておそろしい。



登山から3日後、日本に帰った。そして念のため形成外科に行ってみた。「1ヶ月前、段差を踏み違えて、打撲して・・・。よくなったと思ったので、少し長く歩いたら、打撲したところと、そのまわりの靭帯が痛いんです。」と説明した。さすがに、無謀な山登りのことは言いたくなかった。ドクターは患部とおぼしきところをさわって、なんでもなさそう、といわんばかりの顔をしつつ、「一応写真をとってみましょう。ご心配でしょうから。」と言った。X線の結果は、「ありゃ、わっはっはっ、しっかり折れてますよ。3ヶ所。一度は良くなったのが、長歩きでまた離れたのかもしれませんね。」とのコメント。特に、固定もせず、左足をかばっていたときの、ヘンな歩き方の癖さえとれれば、自然につながりますよ」ということで、特別な処置もなし。それから、キナバル山登山は、下りの際に、全体重がつま先にかかるので、爪をはがす人が多いと聞いていた。爪は、下山時には、まったくなんでもなかったが、数週間たったら、親指の爪の中が、内出血したような色になった。爪は、赤紫から緑、そして茶色へとかわり、最後は黒ずんだ色、とナチュラルバンプカラーになっていった。結局、1ヶ月たって、左足親指の爪が、1ヶ月半たって右足親指の爪がはがれた。爪がはがれる、というとものすごく痛いという印象だろうが、下から新しい爪が生えて、古い爪を押しのけたような感じで、痛みはまったくなかった。

山登りはたいへんだ!おしまい。


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