2005年5月12日、午前6時。
キナバル・パイン・リゾートの部屋から出ると、キナバル山のほぼ全容が目の前にそびえていた。その威厳ある姿ゆえに、登山はなかなか手ごわそうな予感。コテージのまわりにはスズメがいっぱいいて、それぞれが口いっぱい、こわいほど虫をほおばっている。東京のスズメたちは、虫の取り合いをよくしているが、こちらのスズメたちは、青虫をつかまえても、半分だけ食べてポイ捨てをしたりして、贅沢だ。それに、都会のスズメと違い、羽も黒ずんでおらず清潔そうだ。
午前7時、オープンそうそうにレストランに行くが、特に朝食メニューがあるわけではなく、いきなりミーゴレン=焼そばだった。スタミナが勝負の登山前に、十分なエネルギー補給をしておきたいところだが、昼・夜ならばおいしいはずの濃い味つけの焼きそばは、起きたばかりの胃には、すんなりとは入っていかなかった。
午前8時、30リンギット(1リンギット約30円)でたのんであった送迎車で、いよいよナショナルパークへ移動。送迎車はワンボックスで、足元は乾いた泥だらけ。車中には、臭い靴のニオイが充満していた。みんな登山後はドロドロになり、足もこんなにもにおうようになるんだろうか。とても臭かったが、車は15分ほどでナショナルパークへ到着した。まず入り口で、車に乗ったまま入場料を、車を降りると、公園管理事務所でまたもろもろの登山費用を徴収される。
IDパスの表はキナバル山の写真、裏には、名前と管理番号がプリントされており、登山中、各チェックポイントで、登山者名簿とチェックされる。
ガイド小屋(?)に行くと、「君たちのガイドはジージーディー、外にいるよ。」と言われ、ここで、2日間お世話になるガイドさんと対面。「ジーと呼んでくれ。」というガイドさんは、ドゥスン族の青年だった。友達は荷物をポーターに頼みたいということで、はかりに荷物を乗せてみると 9キロあった。ガイドのジーさんは、「9キロなら、僕が持つよ。」と、自らのデイバッグに友達のデイバッグをくくりつけ、ポーターはなし、ということになった。友達は、「タフやな~」と感心することしきり。私の荷物は3キロ程度しかないので、自分で持ってあがることになんら疑問を抱かなかった。そこへ木の杖を数本持った少年たちが、「Walking sticks!」と、売りに来たが、「ノーサンキュー」と断った。ロンリープラネットに、「walking sticks..Don'tlaugh」とあったのと、先週、KKのコンドミニアムのエントランスで、健康そうな白人の若者2人が、今、まさに少年達が売っているのと同じ杖をついて、大変そうに歩いていたことが、頭をよぎったが・・・。
そしてジーさんが、「今日は標高3272mのラバンラタ小屋までの6キロを、約6時間かけて歩く予定です。」というブリーフィングをして、顔合わせからものの10分もたたないうちに、いともあっさり出発だ。公園管理事務所から、ティムポホンゲート(1866m)というスタート地点までは送迎車利用。もちろん、この区間も1時間かけて歩く人がいるが、普通は、送迎車利用らしい。ちょうどそのゲート近くに発電所があることから、そのエリアはパワーステーションと呼ばれている。車を降り、ティムポホンンゲートの売店で、エマージェンシーコート(たんなる携帯用レインコート)を5リンギットで買い、いよいよ出発! 残念なことに、空は曇り。ゲートを出ると、しばらくの間、下り坂が続き、下りきると橋にさしかかった。流れているのは、カールソン滝というんだそうだ。ここから、いよいよ登り一辺倒の世界がはじまった。ちょうど10分くらい登ったところで、なぜかケツメイシの「さくら」が聞こえてきた。私のボーダフォンの着メロだった。時刻は8時40分。KKにいる友達がかけてきたらしいが、取り込み中なので出なかった。世界遺産に登山中に携帯電話ってのも興ざめな感じだったし…。でも、ガイドのジーさんの携帯も、しょっちゅう鳴り、なんでもガールフレンドから、やたらとSMSが来るらしい。歩きはじめてわずか30分ほどでさっそく息苦しくなり、ひとはキナバル山登山を楽勝と言うけれど、やはり山登りは山登り、楽なはずがない。最初のシェルターが、まだはるか彼方の地点で、早くも登山を選んだことを、内心しまった、と思った。でも、キナバル登山は、10年ごしの念願だったじゃないの、と自分に言い聞かせ、後悔の二文字を頭から消すよう努力した。キナバル山は、登山道も整備されており、誰でも登れるというが、その整備の産物である、膝丈くらいの高さの階段が延々と続くのが、何よりもうらめしい。ところどころ階段が途切れ、緩い傾斜や、ほぼ平らの場所のところになると、足取りが軽くなるが、そんな区間は短く、また目の前には、すぐに悪夢の階段が現れるのであった。心のささえは、500mおきにある標識の登場。あと何mで、次のシェルターか見て、一喜一憂。登っている時は、前しか見ない傾向にあるが、ジーさんにいわれて、時々振り向くと眼下に広がるはるか遠い街の景色が美しく、その時は、登ってみるもんだ、とちょっと満足。そして、ジーさんは、しっかりウツボカズラを見つけてくれた。ロンリープラネットによれば、ウツボカズラを見つけられるガイドは、いいガイドなんだそうだ。
残念ながら、世界最大の花、ラフレシアは、シーズンではないらしく、見られなかった。山道では、アマガエルのような、小さな蛙で、色が真っ黒なやつにも出会った。植物や、山の生き物についての知識がまったく無いのが残念。 また、登山中に、登山客の荷物やラバンラタ小屋への物資を運ぶポーターたちの姿を見るが、彼らは30キロもある荷物をかつぎ、ぬかるんだ道でも、裸足にビーサンで登っていく。その強靭さにびっくりさせられる。それも、けっこう年配の女性もいたりする。 登山中に休憩をとるシェルターは500mおきに、1日目のゴールであるラバンラタ小屋までの間、合計7ヶ所ある。シェルターは、屋根、椅子、テーブル、トイレ、飲み水のタンクといった構成だ。飲み水は、「Untreated Water」と書かれているので、飲む勇気がなかった。汗をかいているので、トイレに行きたいとはまったく感じず、私はシェルターのトイレは使わなかった。トイレを使った友達によると、「誰かのウ×コが流れなくて、次に入った人は、うちがやったんと思うんやろうなぁ・・・」、とブツブツ言っていた。ジーさんは、シェルターでの休憩を終え、出発のたびごとにいつも、「次のシェルターまであと何キロ。Almost there, but still far」と言うのだった。still far...本当にそう感じる。途中、高山病に苦しむ台湾のご老人がいた。彼は、頭が痛いのに、片言の日本語で私達のことをはげましてくれた。私達は、高山病の気配は、幸い現れもしなかった。歩みが遅かったのがよかったのか!? 標高2702mのラヤンラヤン小屋で、持ってきたチョコレートを食べて昼食がわり。このあたりから植物層がかわってきて、それまではうっそうとした森の中を歩いている感じだったが、ここからは潅木の群生で、視界が明るくなった。潅木の中からは、小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。足元も、それまでの土の道とはちがい、岩場へと変わった。岩といっても、さしてきつくはなく、階段よりはず~っとマシだ。それでも、ジーさんに、時々、「疲れたよ~」、と主張し、シェルターとシェルターの間にも適宜休憩をいれてもらった。すると彼は、私がものすごく疲れていると思ったらしく、ストックを貸してくれた。登山中は、他の登山者に追い抜かれたり、追い抜いたりの繰り返し。さっき道を譲ったと思った人が、20分後にはばてて、先にいってくれ、と道を譲ってくれたり。ほぼ同じ顔ぶれで抜きつ抜かれつが続く。友達は、京都に住んでいるが、これまでも何度か地元の山に登ったことがあるということで、軽い足取りでどんどん登っていく。私が遅れをとって歩いていると、他のチームのガイドさんや、通りがかりのローカルの人たちが、よく声をかけて励ましてくれた。立ち止まっていると、「いっしょに行こう」、と手をひいてくれようとするガイドさんもいたが、他の人の引率をしている人の助けを借りるのも悪くて、丁重にお断りをした。一歩一歩着実に、ラバンラタ小屋に近づいているのはわかるが、先は見えてこない。とろとろ登っていると、2人組のローカルが下りてきて、「ラバンラタまではあと20分だよ!」と声をかけてくれた。これは、私の足じゃ、倍はかかるね、と思ったら、やはり小一時間かかってしまった。潅木の並ぶ道が終わり、やっと視界が開けると、そこは標高3200m超。まずはワラス小屋という最初の山小屋がある。そのすぐ上に、ラバンラタ小屋がみえるものの、このわずかな距離でさえも長く感じた。結局、標準の6時間を大幅にまわってしまったが、16時前、やっとラバンラタ小屋に着くと、ふくらはぎがきんきん痛んだ。ジーさんから、「午前2時半に出発するよ。」と告げられ、解散。ラバンラタ小屋へのチェックイン時、鍵のデポジットとして10リンギットを支払うが、これはチェックアウト時に返金される。ラバンラタは、別に相部屋でも良かったのだが、予約の段階で、2名で申し込んだら、問答無用で「バタカップ」という部屋でOKが来た。「バタカップ」は、一番よい部屋らしく、地球の歩き方には、「泊まること自体がステータス」とさえ書かれていたが、山小屋なので質素だ。部屋はホットシャワーつきとうたっているが、シャワーはぬるい以下で全然温まれなかったし、髪を洗うのは断念した。バスルームの鏡の横には、「乾期のため、水圧を低くしてあり、お湯も出にくい」という趣旨の貼り紙があった。着替えは持っていたが、汗で濡れたTシャツをそのまま持ち帰るのはごめんだったので、洗剤を持っていないが、とりあえず、水洗いをした。ガイドブックに部屋のヒーターで、洗濯物はよく乾く、とあったのを信じて。
さて、部屋に入った時は、眼下に素晴らしい景色が広がっていたのに、さすがかわりやすい山の天気、みるみる雲が湧き、真っ白な世界になってしまった。夕食は17時半からだが、疲れて甘いものが欲しかったので、食事前にミロをオーダーした。ポットで出て来たが、4杯も取れた。予定時間より少し早目にバフェスタイルの食事がはじまったが、情けないことに、今日の登山の疲労か、あまり食べられない。友達はペロリとたいらげたが、私は、ひとり残ってノロノロと食べていた。部屋に戻り、2時半出発にそなえ、2時にアラームをセットし、18時過ぎから就寝体制に入るが、廊下からは、四六時中足音が響いていて眠れない。何時かな、と思って時計を見ると、19時。その後も眠れず、時々時間をチェックすると、20時、21時、といった具合で、全然眠れていないまま、時間ばかりがすぎていく。少しでも疲れをとるために、眠らなければ、と思うと、そのプレッシャーからますます眠れないようだ。それにしても、夜遅くまで足音は途切れることなく、みんな元気だ。ロンリープラネットには、空気が薄いのと疲労で、すぐ眠れると書いてあったが、嘘だ。ふくらはぎは痛むし、疲れたし、果たしてたったの7~8時間の休息で、この痛みと疲れはとれるんだろうか…と考えながら、眠るでも眠らないでもない状態で横になっていた。
2日めへ続く
キナバル・パイン・リゾートの部屋から出ると、キナバル山のほぼ全容が目の前にそびえていた。その威厳ある姿ゆえに、登山はなかなか手ごわそうな予感。コテージのまわりにはスズメがいっぱいいて、それぞれが口いっぱい、こわいほど虫をほおばっている。東京のスズメたちは、虫の取り合いをよくしているが、こちらのスズメたちは、青虫をつかまえても、半分だけ食べてポイ捨てをしたりして、贅沢だ。それに、都会のスズメと違い、羽も黒ずんでおらず清潔そうだ。
午前7時、オープンそうそうにレストランに行くが、特に朝食メニューがあるわけではなく、いきなりミーゴレン=焼そばだった。スタミナが勝負の登山前に、十分なエネルギー補給をしておきたいところだが、昼・夜ならばおいしいはずの濃い味つけの焼きそばは、起きたばかりの胃には、すんなりとは入っていかなかった。
午前8時、30リンギット(1リンギット約30円)でたのんであった送迎車で、いよいよナショナルパークへ移動。送迎車はワンボックスで、足元は乾いた泥だらけ。車中には、臭い靴のニオイが充満していた。みんな登山後はドロドロになり、足もこんなにもにおうようになるんだろうか。とても臭かったが、車は15分ほどでナショナルパークへ到着した。まず入り口で、車に乗ったまま入場料を、車を降りると、公園管理事務所でまたもろもろの登山費用を徴収される。
- ナショナルパーク入場料 15リンギット
- 登山許可 100リンギット
- 保険料 3.5リンギット
- ガイド代 70リンギット
- 管理事務所からパワーステーション(登山口)までの送迎車 12.5リンギット
IDパスの表はキナバル山の写真、裏には、名前と管理番号がプリントされており、登山中、各チェックポイントで、登山者名簿とチェックされる。
ガイド小屋(?)に行くと、「君たちのガイドはジージーディー、外にいるよ。」と言われ、ここで、2日間お世話になるガイドさんと対面。「ジーと呼んでくれ。」というガイドさんは、ドゥスン族の青年だった。友達は荷物をポーターに頼みたいということで、はかりに荷物を乗せてみると 9キロあった。ガイドのジーさんは、「9キロなら、僕が持つよ。」と、自らのデイバッグに友達のデイバッグをくくりつけ、ポーターはなし、ということになった。友達は、「タフやな~」と感心することしきり。私の荷物は3キロ程度しかないので、自分で持ってあがることになんら疑問を抱かなかった。そこへ木の杖を数本持った少年たちが、「Walking sticks!」と、売りに来たが、「ノーサンキュー」と断った。ロンリープラネットに、「walking sticks..Don'tlaugh」とあったのと、先週、KKのコンドミニアムのエントランスで、健康そうな白人の若者2人が、今、まさに少年達が売っているのと同じ杖をついて、大変そうに歩いていたことが、頭をよぎったが・・・。
そしてジーさんが、「今日は標高3272mのラバンラタ小屋までの6キロを、約6時間かけて歩く予定です。」というブリーフィングをして、顔合わせからものの10分もたたないうちに、いともあっさり出発だ。公園管理事務所から、ティムポホンゲート(1866m)というスタート地点までは送迎車利用。もちろん、この区間も1時間かけて歩く人がいるが、普通は、送迎車利用らしい。ちょうどそのゲート近くに発電所があることから、そのエリアはパワーステーションと呼ばれている。車を降り、ティムポホンンゲートの売店で、エマージェンシーコート(たんなる携帯用レインコート)を5リンギットで買い、いよいよ出発! 残念なことに、空は曇り。ゲートを出ると、しばらくの間、下り坂が続き、下りきると橋にさしかかった。流れているのは、カールソン滝というんだそうだ。ここから、いよいよ登り一辺倒の世界がはじまった。ちょうど10分くらい登ったところで、なぜかケツメイシの「さくら」が聞こえてきた。私のボーダフォンの着メロだった。時刻は8時40分。KKにいる友達がかけてきたらしいが、取り込み中なので出なかった。世界遺産に登山中に携帯電話ってのも興ざめな感じだったし…。でも、ガイドのジーさんの携帯も、しょっちゅう鳴り、なんでもガールフレンドから、やたらとSMSが来るらしい。歩きはじめてわずか30分ほどでさっそく息苦しくなり、ひとはキナバル山登山を楽勝と言うけれど、やはり山登りは山登り、楽なはずがない。最初のシェルターが、まだはるか彼方の地点で、早くも登山を選んだことを、内心しまった、と思った。でも、キナバル登山は、10年ごしの念願だったじゃないの、と自分に言い聞かせ、後悔の二文字を頭から消すよう努力した。キナバル山は、登山道も整備されており、誰でも登れるというが、その整備の産物である、膝丈くらいの高さの階段が延々と続くのが、何よりもうらめしい。ところどころ階段が途切れ、緩い傾斜や、ほぼ平らの場所のところになると、足取りが軽くなるが、そんな区間は短く、また目の前には、すぐに悪夢の階段が現れるのであった。心のささえは、500mおきにある標識の登場。あと何mで、次のシェルターか見て、一喜一憂。登っている時は、前しか見ない傾向にあるが、ジーさんにいわれて、時々振り向くと眼下に広がるはるか遠い街の景色が美しく、その時は、登ってみるもんだ、とちょっと満足。そして、ジーさんは、しっかりウツボカズラを見つけてくれた。ロンリープラネットによれば、ウツボカズラを見つけられるガイドは、いいガイドなんだそうだ。
残念ながら、世界最大の花、ラフレシアは、シーズンではないらしく、見られなかった。山道では、アマガエルのような、小さな蛙で、色が真っ黒なやつにも出会った。植物や、山の生き物についての知識がまったく無いのが残念。 また、登山中に、登山客の荷物やラバンラタ小屋への物資を運ぶポーターたちの姿を見るが、彼らは30キロもある荷物をかつぎ、ぬかるんだ道でも、裸足にビーサンで登っていく。その強靭さにびっくりさせられる。それも、けっこう年配の女性もいたりする。 登山中に休憩をとるシェルターは500mおきに、1日目のゴールであるラバンラタ小屋までの間、合計7ヶ所ある。シェルターは、屋根、椅子、テーブル、トイレ、飲み水のタンクといった構成だ。飲み水は、「Untreated Water」と書かれているので、飲む勇気がなかった。汗をかいているので、トイレに行きたいとはまったく感じず、私はシェルターのトイレは使わなかった。トイレを使った友達によると、「誰かのウ×コが流れなくて、次に入った人は、うちがやったんと思うんやろうなぁ・・・」、とブツブツ言っていた。ジーさんは、シェルターでの休憩を終え、出発のたびごとにいつも、「次のシェルターまであと何キロ。Almost there, but still far」と言うのだった。still far...本当にそう感じる。途中、高山病に苦しむ台湾のご老人がいた。彼は、頭が痛いのに、片言の日本語で私達のことをはげましてくれた。私達は、高山病の気配は、幸い現れもしなかった。歩みが遅かったのがよかったのか!? 標高2702mのラヤンラヤン小屋で、持ってきたチョコレートを食べて昼食がわり。このあたりから植物層がかわってきて、それまではうっそうとした森の中を歩いている感じだったが、ここからは潅木の群生で、視界が明るくなった。潅木の中からは、小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。足元も、それまでの土の道とはちがい、岩場へと変わった。岩といっても、さしてきつくはなく、階段よりはず~っとマシだ。それでも、ジーさんに、時々、「疲れたよ~」、と主張し、シェルターとシェルターの間にも適宜休憩をいれてもらった。すると彼は、私がものすごく疲れていると思ったらしく、ストックを貸してくれた。登山中は、他の登山者に追い抜かれたり、追い抜いたりの繰り返し。さっき道を譲ったと思った人が、20分後にはばてて、先にいってくれ、と道を譲ってくれたり。ほぼ同じ顔ぶれで抜きつ抜かれつが続く。友達は、京都に住んでいるが、これまでも何度か地元の山に登ったことがあるということで、軽い足取りでどんどん登っていく。私が遅れをとって歩いていると、他のチームのガイドさんや、通りがかりのローカルの人たちが、よく声をかけて励ましてくれた。立ち止まっていると、「いっしょに行こう」、と手をひいてくれようとするガイドさんもいたが、他の人の引率をしている人の助けを借りるのも悪くて、丁重にお断りをした。一歩一歩着実に、ラバンラタ小屋に近づいているのはわかるが、先は見えてこない。とろとろ登っていると、2人組のローカルが下りてきて、「ラバンラタまではあと20分だよ!」と声をかけてくれた。これは、私の足じゃ、倍はかかるね、と思ったら、やはり小一時間かかってしまった。潅木の並ぶ道が終わり、やっと視界が開けると、そこは標高3200m超。まずはワラス小屋という最初の山小屋がある。そのすぐ上に、ラバンラタ小屋がみえるものの、このわずかな距離でさえも長く感じた。結局、標準の6時間を大幅にまわってしまったが、16時前、やっとラバンラタ小屋に着くと、ふくらはぎがきんきん痛んだ。ジーさんから、「午前2時半に出発するよ。」と告げられ、解散。ラバンラタ小屋へのチェックイン時、鍵のデポジットとして10リンギットを支払うが、これはチェックアウト時に返金される。ラバンラタは、別に相部屋でも良かったのだが、予約の段階で、2名で申し込んだら、問答無用で「バタカップ」という部屋でOKが来た。「バタカップ」は、一番よい部屋らしく、地球の歩き方には、「泊まること自体がステータス」とさえ書かれていたが、山小屋なので質素だ。部屋はホットシャワーつきとうたっているが、シャワーはぬるい以下で全然温まれなかったし、髪を洗うのは断念した。バスルームの鏡の横には、「乾期のため、水圧を低くしてあり、お湯も出にくい」という趣旨の貼り紙があった。着替えは持っていたが、汗で濡れたTシャツをそのまま持ち帰るのはごめんだったので、洗剤を持っていないが、とりあえず、水洗いをした。ガイドブックに部屋のヒーターで、洗濯物はよく乾く、とあったのを信じて。
さて、部屋に入った時は、眼下に素晴らしい景色が広がっていたのに、さすがかわりやすい山の天気、みるみる雲が湧き、真っ白な世界になってしまった。夕食は17時半からだが、疲れて甘いものが欲しかったので、食事前にミロをオーダーした。ポットで出て来たが、4杯も取れた。予定時間より少し早目にバフェスタイルの食事がはじまったが、情けないことに、今日の登山の疲労か、あまり食べられない。友達はペロリとたいらげたが、私は、ひとり残ってノロノロと食べていた。部屋に戻り、2時半出発にそなえ、2時にアラームをセットし、18時過ぎから就寝体制に入るが、廊下からは、四六時中足音が響いていて眠れない。何時かな、と思って時計を見ると、19時。その後も眠れず、時々時間をチェックすると、20時、21時、といった具合で、全然眠れていないまま、時間ばかりがすぎていく。少しでも疲れをとるために、眠らなければ、と思うと、そのプレッシャーからますます眠れないようだ。それにしても、夜遅くまで足音は途切れることなく、みんな元気だ。ロンリープラネットには、空気が薄いのと疲労で、すぐ眠れると書いてあったが、嘘だ。ふくらはぎは痛むし、疲れたし、果たしてたったの7~8時間の休息で、この痛みと疲れはとれるんだろうか…と考えながら、眠るでも眠らないでもない状態で横になっていた。
2日めへ続く