1969年三月ころにここワルダに来たのは、同行のヒンディー語科の学部学生だった清つぐ延君の希望によるものだった。彼とは先日、お兄さん好延氏の告別式で久しぶりに会った。カルカッタ(コルカタ)から南インドヘ行き、デリーまで夜行列車の連続で、私にしてもまだ大学院の院生でお互いに貧乏旅行をすることを納得して旅をしたのである。ここからは、デリーに行き、当時デリー大学で教えておられた桶舎先生の宿舎に転がり込んだ。桶舎先生と清君の繋がりで厄介になったのである。彼とはここで別れ、私はカシミールに陸路行ったが、デリーの暑さとは打って変わり、まだ雪が残っていた。
ワルダでは、まだ若い佐々井さんという坊さんがうちわ太鼓を叩いて、南無妙法蓮華経を唱えながらワルダの町を廻っていたので、それに付き合った。
マハートマー・ガーンディーは藤井日達上人と会ってから、共鳴して、その祈りに南無妙法蓮華経を取り入れたと、日本山妙法寺の刷り物に書いてあった。田舎の我が家の菩提寺は、曹洞宗であるから、日蓮宗については知らないが、非常に積極的な宗派のようである。
ワルダでは、まだ若い佐々井さんという坊さんがうちわ太鼓を叩いて、南無妙法蓮華経を唱えながらワルダの町を廻っていたので、それに付き合った。
マハートマー・ガーンディーは藤井日達上人と会ってから、共鳴して、その祈りに南無妙法蓮華経を取り入れたと、日本山妙法寺の刷り物に書いてあった。田舎の我が家の菩提寺は、曹洞宗であるから、日蓮宗については知らないが、非常に積極的な宗派のようである。