芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

吉田福島原発所長が責任を取って自殺は本当か

2012年05月24日 | Weblog
これもこれまで、何度も記してきたことだが、明治維新政府の施策はすべて、欧米の真似であり、それ以降の文化は、真似の文化である。それが出来たのも、江戸時代までの日本の文化が、高度に発展していたお陰で、その真似が出来たのだ。江戸は世界で最も大きな都市だったのだ。
この模倣文化は、敗戦によって、その極北に達しているのが現在である。原子力産業を始めとする工業生産から政治経済に至るまで、米国発信の基準に従って、法律を作っている。それがglobalization 国際化である。
他人の基準で作った原発が事故を起こして国民に多大な迷惑をかけても、責任を取れない訳である。そのような連中がその利権にはいまだにしがみついて、利権を維持しようとしているだけだ。
その中には、吉田福島原発所長のように責任を取って自殺した人もいる。吉田福島原発所長は、東工大ボート部のオアズマン精神を持った人だ。彼が自殺するなら、それ以前にもっと、責任の重い、東電幹部や、原子力安全保安賞の幹部が、自殺するくらいの気概を持っていいであろうが、やり過ごせば、また、おらが春を決め込んでいる。