この大学では、日本の一般大学のように、教養課程がないようで、ただ、ただ、理系の勉強をするだけのようだから、一般教養の授業をさせてほしいと先日申しいれたのだ。
以前、国際交流基金の後援で日本の詩人を紹介する企画をデリー大学のウニタ教授が主導して実行したときに、私は、芭蕉について話した。というのは、私の田舎町、登米は、芭蕉の「おくのほそ道」で、石巻から平泉に北上川沿いに遡行した時に一泊した縁で芭蕉祭があるから、その関連で調べていたのを英文にしてあったからだ。
それを一歩進めてと言うか、数歩と言うべきか。鴨長明、吉田兼好の昔に迄さかのぼって調べたのを併せて話そうと思うのだ。とは言っても、資料になる本がたくさんある訳ではない、手元にある本だけで話すのだが、一般教養のない学生に、外国のことを話すのだから、そんなに調べても仕方ないこととも言える。
この大学の授業時間は55分が基本であるが、私の日本語は、1時間半である。私としては、日本語授業ではなく、一般学生に話したい。
これが実現するかどうか、しかも仮に実現するとして、いつになることか、「久しくとどまることない」「川の流れ」に身をゆだね、すなわちインド的な時間に託して、待つしかあるまい。
以前、国際交流基金の後援で日本の詩人を紹介する企画をデリー大学のウニタ教授が主導して実行したときに、私は、芭蕉について話した。というのは、私の田舎町、登米は、芭蕉の「おくのほそ道」で、石巻から平泉に北上川沿いに遡行した時に一泊した縁で芭蕉祭があるから、その関連で調べていたのを英文にしてあったからだ。
それを一歩進めてと言うか、数歩と言うべきか。鴨長明、吉田兼好の昔に迄さかのぼって調べたのを併せて話そうと思うのだ。とは言っても、資料になる本がたくさんある訳ではない、手元にある本だけで話すのだが、一般教養のない学生に、外国のことを話すのだから、そんなに調べても仕方ないこととも言える。
この大学の授業時間は55分が基本であるが、私の日本語は、1時間半である。私としては、日本語授業ではなく、一般学生に話したい。
これが実現するかどうか、しかも仮に実現するとして、いつになることか、「久しくとどまることない」「川の流れ」に身をゆだね、すなわちインド的な時間に託して、待つしかあるまい。