芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

金環日蝕

2012年05月21日 | Weblog
今朝8時半頃金環日蝕が見られた。
これこそ、東京で見られるのは1000年に一度の天体ショウと言う。地震のしばらくあとになって、マグニテュード7から9に変えて、1000年に一度とか想定外を強調するのとは違う本物の珍しい現象だ。
皆既日食は、小牧さんに誘われて、随分前にインドにご案内して観たことがある。その時は先日亡くなった母も同行した。不可思議な現象で、今でもその感動を思い出せる。それに比べると、金環食はそれほどの感動でもなかった。

福島第2原発3号機の爆発で損傷を受けた4号機

2012年05月20日 | Weblog
福島第2原発3号機の爆発で損傷を受けた4号機は、直ぐに補強しないと、崩落かひび割れで、冷却水が漏出して、臨界を起こし、大事故になる可能性が高いと言われている。この大事故は、関東一円を巻き込むから、1000万人以上の人が避難しなければならないことになる。
こんな状況なのに、大飯原発の再稼働に原子力大臣が出かけて行っていいのであろうか。それ以前に、この危険を押さえ込まなければなるまい。

福島原発3号機の爆発の凄まじさ

2012年05月19日 | Weblog
広瀬隆の茨城県での講演がネットで聴けたので、聴いた。
彼は、日本の原発の危険性を以前からずっと言い続けている人で、福島原発の爆発をも予測していた。それが当たってしまったので、次は、子供に被曝させないことだと言っているが、福島原発の3号機の2011年3月14日午前11時過ぎの爆発がかなり大きなものだったというから、少なくとも、福島の子供達は、かなり重度の被曝をしているのではないか。しかも、3号機は、4000度以上の高温になり、プルトニュームなどまでが気化したという。爆発で燃料棒が飛び散り、海にも相当落ちているらしい。
それに伴なって4号機の冷却プールが傾いているようだ。

竹取物語と登米物語の完全原稿見当たらず

2012年05月18日 | Weblog
平河工業社に電話して、竹取物語と登米物語の完全原稿を持っているか聴いたが、どうも廃棄処分したらしく、いまだに、探していると言いながら、朗報がない。
フィルムではとってあるから、直しなどは、フィルムでしていると言う。こちらで必要なのは、パソコンでつくった原稿なのだが、印刷所は、フィルムをつくると、元原稿は、5年で処分するのだそうだ。
田舎のパソコンのあたりに置いた完全原稿のCDは、姉が元ちゃんを雇って片付けさせたため、いくら探しても出て来なかった。
これでは、新たにまた作るしかないかもしれない。

マスコミの記者の問題

2012年05月17日 | Weblog
昨日、外大時代のボート部の同期生で、中日新聞社にいた友人と会った。かなり前になるが、日本工業倶楽部でお茶を飲んだことがあるので、そこを待合せ場所にしたところ、2階喫茶室に座ると間もなく、会員かどうか聴かれ、否、と言うと、ここは会合の時にお茶を飲む以外は、会員しか飲めないと、追い出されてしまった。落ち着いて話せるいい喫茶室なのだが。
我々、共にもう引退組である。一目で、それが分かる風体なのであろう。
原発について、政府の対応がさっぱりなのに、年寄りしか原発反対の動きを見せていないのは、若者にエネルギーがないからなのか。70年安保の頃に活動した学生達は、警察権力で押さえつけられ、その延長上に赤軍の暴力集団のレッテルで、学生運動=暴力というイメージを植え付けられ、大学改革は行われなかった。今日この頃は良い子の大学生ばかりになったのでは、と話し合った。
彼によると、4大紙の政治部記者達は、皆官房費を貰っていて、政府の広報紙に成り下がっていると言う。中には、家の建設費をもらった猛者もいると言う。テレビ関係記者も同じであろう。貰っていないのは、東京新聞記者だけだから、東京新聞は、自由に記事を書いていると言う。
私は、新聞では、東京新聞が面白かったので、ずっとその読者だった。しかも他紙より新聞代が安かった。

広州/デリー間の航空機の繁忙

2012年05月16日 | Weblog
インドにいる間に、帰りの国際線の予約変更をしようとしたが、切符を買ったmakeMytrip という旅行社が、メールでは対応してくれず、電話で連絡しても繋がらず、やむを得ず帰国してから、予約変更した。安い切符を発行している中国南方航空の東京事務所に連絡して聴くと、6月16日のデリー行きの便を予約すればいいのだが、成田/広州は空いているのに、広州/デリーが既に満席で、12日しか空いていなかった。どこかに遊びに行くには日数が足りない中途半端な日程になるが、仕方なく、その日を予約した。
デリーと広州を往復しているインド人と中国人が相当いるということだ。広州/成田の乗客が少ないからか、その便は、日航との共同運行になっている。しかし、航空機は、中国南方航空の機体である。

農協の体質

2012年05月15日 | Weblog
母は農協の組合員であったが、組合費がたったの1万円なのに、その相続に相続者の戸籍謄本がいるなどと言われた。
こんなところに農協の保守性が出ていて、農業を改善出来ない体質を表している。
戸籍謄本を取るのに、いちいち東京に出かけなければならない。そうでなければ、
東京の区役所に郵送を頼まなければならないから、1週間くらいかかることになる。それなら、ほかにも住民票やら何やら必要になるから、上京するほうがましである。

六ヶ所村を誰が将来管理するのか

2012年05月07日 | Weblog
Lacie のハードに入れていたものの中で大事なのは、『竹取物語』と『登米物語』の印刷用EPS完全原稿であるが、これは、共に印刷所に渡してあるから、印刷所に複製してもらえばいいのではないか、と思い、田舎に着いてから、電話することにした。
東京を離れると、なかなか、用が足せなくなり、不便ではあるが、田舎の人たちと会うのは楽しみだ。先ずは、今日、仙台で弁護士をしている石神君に会える。
長谷川君は、奥さんと小岩井に行くと言っていたから、今日は会えないが、数日後に逢える。
文字通り田舎では、照ちゃん、佐藤元大工さん、守んツアン、秀夫ちゃんが待っているであろう。勿論、母に逢うのが一番だが、この人たちに会うのがやはり楽しみだ。
田舎に住んでの楽しみは、海の幸、山の幸を自分で採って食べられることであったが、放射能汚染でその楽しみを奪われてしまった。ふるさとの食べ物の楽しみは全く無くなった。
福島の人達は、食べ物を奪われただけではなく、そこに住むことすら出来なくなった。食物と住居は、一体であるから、食物の取れないところでの住まいは現実にはあり得ない。特に若者と子供、妊婦は食べれば、将来、遺伝子がどうなるか分からないのだから、放射能汚染している地域には、ますます老人しか住めない。1時間あたり0、01マイクロシーベルトのセシュームを3年吸い続けるだけでも、その蓄積で、遺伝子に悪影響を与えるというのだから、食物での内部被曝はもっと悪い影響を与えるであろう。しかし、現実に、住み慣れたところを離れるのは、経済的な意味でも難しい。
そのすべてを奪った原発は、続けるべきではないであろう。米国の方針に積極的に従って、原発エネルギー政策を進めてきた日本の政官学財の癒着構造を解消するのは、難しくてもするしかない。そもそもが、こんなひどい事故が起きるようでは、若者がこれから原子力の研究に興味を持たなくなるであろう。研究者の不足する組織で、原発のガラを保存など将来出来なくなるであろう。六ヶ所村を誰が将来管理するのか。10万年も保管するなど、全くナンセンスとしか言えない。

LaCie のハードが壊れる

2012年05月06日 | Weblog
昨日、銀座マックで、LaCie の外付けハードディスクが、アイコンを表示しなくなったと、見てもらいに行ったが、調子が悪いですね、ここでは直せませんと言われた。中身を復旧するソフトを買えばあるいは中身を取り出せるかもしれないが、取り出せないかもしれないとも言う。ここで買ったものなんだが、と言ったが、何の対応も出来ないと、良く見かける女性の係が言っていた。やむを得ず、ネットで探して、復旧してくれるという会社が銀座にあるのが分かり、今日16時半に予約をしてもらい行ってみたが、5万円から14万円かかるという見積もりを示され、諦めた。その会社は、先ずそのフロアに行って、会社に電話すると、若い女性に相談室に案内され、白衣の二人の若い男性が、出てきて、ハードを預かって行ったが、私が、数千円なら直してもらうと言ったからか、直ぐに、持ち帰って、傷がついていて、5万円以上かかると言われた。目の前で開いた訳でもないし、どうしてそんなに早く分かるのか、不思議であった。要するに、数千円では、いい客でないから、とうことであろう。
銀座マックでは、コンピュータ2台持ち込んだのも、買ってから6年経っており、部品がないとお断りであった。インドから、重いものを持ち帰ったのに、どれも直らなかった。