つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

目覚めしものの行方

2009-07-13 05:52:23 | つらつら思うこと
遅まきすぎる青春性の目覚めを賜ってから、すでに1年が過ぎてしまった。
神様は一体わたしに何の啓示をお示しになったのか…。1年の総括をふと、
考えてみた。

思えばあの日以来、何にもかまわなかった人間が、身づくろいに気を配る
ようになり、心身のオシャレを考えるようになった。以前俳句に目覚めたとき、
何気なく見ていた道端の花の美しさにに目が留まるようになり、その息づきを
感じ、昆虫の生の営みも見えるようになったことがある。

先の目覚めは、実は似たような感じを受けているのだ。
以前は何気なく、あるいは漠然と見ていた。女性たちのちょっとした仕草や、
表情にも目が留まるようになり、今まで漫然として見過ごしていたものが
見えるようになったのである。

誰それが、「あの人けっこうきれいだよねえとか、かわいいよねえ」とか聞いも、
「ほう…そう…」という具合で、あまりピンときてないいころがあったのだが、
目覚めを賜って以来、目からウロコが落ちたように「ああ…なるほど…きれいだ」
などと、気づくようになったのである。

しかし遅すぎる目覚めに、今まで何を見ていたんだ、わたしの眼はガラス玉
だったのか、我が人生は何だったんだ…などと悔しさに地団太踏んだりした
のだが、よくよく考えてみると、「これでいいのかもしれないなあ」と思える
ようにもなってきた。今だからこそ目覚めを落ち着いて(の…つもり)
受け止めることが出来るのではないのか、もしもっと若ければ、花園に舞い降りた
蝶のように百花繚乱の中で、狂乱の悶えに苦しんだかもしれないのだ。

いま言えることはあの赤塚不二夫さんの「バカボン」のお父さんのセリフの
ように、“これでいいのだ”ということである。そう…きっと、これでいいのだ…



コメント
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