馬ひでの助

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【大津城下町】後編

2018-12-07 16:31:00 | 近江の史跡
2017年3月4日(土)

坂本城は、織田信長が明智光秀に命じて築城させた。
本能寺の変後、浅野長政が城主となるが、秀吉は長政に命じてあらたに大津に城を築かせた。
大津城の始まりです
その後、城主が変わり関ヶ原の合戦の時は京極高次でした。

歩道橋の上から
その大津城内を見てます。

なんの痕跡もないですが…。

大津港へ向かう

下の道は県道、一般に湖岸道路と呼ばれていて、琵琶湖マラソンでは選手が走ります。
たぶんこの日の翌日がマラソンだったのでは?


長等山方向を見てます。

そして、大津港手前に

『大津城跡』石碑

城跡の痕跡、今はこれしかありません!
寂しいですね。


ガイド役の先生が、マウンドの上で解説してくれてるが、

このマウンドは城跡とは何の関係もない。
天守台跡と思いたいけど、違いますよ。

とりあえず、この付近に本丸があったようですわ



ビルの谷間を見てます
本丸の外周を確認するためにあの付近を発掘調査したそうです。

だから、本丸の外周に関してはほぼ確定してます。

京阪電車『浜大津駅』

現在は、「びわ湖浜大津駅」に改名されました
イチイチ、びわ湖と名付けなくてもいいのに…。
長ったらしい名前、嫌なんですが。


浜大津駅の歩道橋を膳所方面に向かう。

この付近までが本丸の範囲だった。

京阪電車の線路の南へ行くと

「大津城の石垣」

当時のものではなくて、
模擬石垣です…。


この向こうに、彦根藩の蔵屋敷がありました。


『旧坂本町』

坂本城下町から移された地名痕跡です。

南へ行くと

先ほどの丸屋町商店街

さらに南の筋が

旧東海道です。

前回紹介した

大津事件の碑


吾妻川の橋

この時はまだ

大津PARCOがありました。


このように大津港には、いくつも「関」という荷上場がありました。
島ノ関駅はその名残りの駅名です。


この後、街道を膳所城下町まで歩きました。

膳所城下町に関しては街道歩きと並行して紹介します。



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
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