2018年2月11日(日)
旧東海道歩き、前回は膳所駅で終了したので、
今回は膳所駅がスタート!
まず最初に寄り道。
駅から真っ直ぐ坂を下り北上する。
この道を『ときめき坂』という。
朝夕と夜は賑やかな通りで、今や大津市一番の繁華街では?
分岐の場所に
【道標】
『はせを翁の墳 是より二丁』
『右 義仲寺』
はせを翁の墳→芭蕉翁の墓
道標の通りに200mほど歩けば旧東海道の交差点に出るので、
左折するとすぐに
【義仲寺】に到着。
門前に
『国史跡義仲寺境内』碑
室町時代に佐々木六角氏が建立した。
境内に木曽義仲の供養塔、
松尾芭蕉の墓、
があるので、昭和42年に境内全域が国史跡となった。
ただし、寺は洪水、火災、戦争などで何度も壊滅し現在の建物は昭和40年に個人の寄進によって再建された。
入り口の右手に
『巴地蔵堂』
木曽義仲の側室巴御前の冥福を祈るために建てられた。
入ってすぐに寺務所があり、
300円払いました。
『初めてですか?』
と、おばさんが聞いてきた。
「いや、30数年ぶりかな?」
『ずっと全然変わってないですよ』
狭い境内なので、構造を変えるわけにはいかないのだろうな。
というか、前回来たときは、
結婚前、妻とのデートだった。
妻に誘われて訪れた。
だから、ほとんど境内の様子は覚えてない。
妻が言うには、
西武百貨店に行くなら、
まずは、義仲寺に寄るべし。
市街地のなかにひっそりと佇む寺だが歴史的に貴重なもの、
だと。
当時、義仲寺のことを我が輩は全く知らなかったのです。
今思うと情けない。
隣に
『史料観』
いや普通、史料館じゃないの?
なぜ「観」なのだろうか、不思議ですね。
境内には、これでもかこれでもかと、
句碑がある。
∇『行春やあふミ(おうみ)の人とおしみける』
文字は芭蕉の自筆だとか?
晩年、近江の地を愛した芭蕉が行く春を惜しんでます。
『朝日堂』
義仲寺の本堂。
朝日将軍と呼ばれた木曽義仲が名前の由来。
観音菩薩、義仲公の像、芭蕉翁の位牌などが納められてます。
記帳しました。
我が輩も一句詠んだ
「冬寒し前途を祝う義仲寺」
この日の街道歩きが無事であることを願っての気持ちを込めてます
というか、我ながら下手な句やな…。
∇巴
『かくのごとき をみなのありと かつてまた おもひしことは われになかりき』
室町将軍と言われた三浦義一翁の歌碑。
この人が再建に尽力されたようですな。
∇『古池や蛙飛びこむ水の音』
言うまでもなく、芭蕉翁の句です。
『佐渡の赤石』
三浦翁が寄贈されたようですね。
『巴塚』
木曽義仲の側室だが、武勇に優れて敵将を討ち取ったそうです。
後に尼僧となり、ここで義仲の菩提を弔った。
最後は木曽で90歳まで生きたという。
『義仲公墓(木曽塚)』
芭蕉翁は木曽塚ととなえた。
「寿永三年正月21日歿」と看板に書かれている。
義仲は、義経に追われて近江に逃れこの粟津付近で決戦となり敗死した。
31歳でした。
その隣に
『芭蕉翁墓』
元禄七年、十月十二日に亡くなられたが、芭蕉の遺言に従って遺体を大坂から舟で淀川→伏見まで運び義仲寺で葬儀をおこない、義仲の墓の隣に埋葬された。
墓はその当時のままです。
ホントに貴重な墓です。
合掌!
『翁堂』
正面の祭壇に芭蕉翁座像。
左右の脇に内藤丈艸居士(芭蕉の門人)と向井去来先生の像。
側面に、蝶夢法師像。
翁堂を再建した人です。
壁の上には、36俳人の額。
天井の絵は、伊藤若冲。
これを見られるだけでも凄いと思いませんか!
後編に続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
旧東海道歩き、前回は膳所駅で終了したので、
今回は膳所駅がスタート!
まず最初に寄り道。
駅から真っ直ぐ坂を下り北上する。
この道を『ときめき坂』という。
朝夕と夜は賑やかな通りで、今や大津市一番の繁華街では?
分岐の場所に
【道標】
『はせを翁の墳 是より二丁』
『右 義仲寺』
はせを翁の墳→芭蕉翁の墓
道標の通りに200mほど歩けば旧東海道の交差点に出るので、
左折するとすぐに
【義仲寺】に到着。
門前に
『国史跡義仲寺境内』碑
室町時代に佐々木六角氏が建立した。
境内に木曽義仲の供養塔、
松尾芭蕉の墓、
があるので、昭和42年に境内全域が国史跡となった。
ただし、寺は洪水、火災、戦争などで何度も壊滅し現在の建物は昭和40年に個人の寄進によって再建された。
入り口の右手に
『巴地蔵堂』
木曽義仲の側室巴御前の冥福を祈るために建てられた。
入ってすぐに寺務所があり、
300円払いました。
『初めてですか?』
と、おばさんが聞いてきた。
「いや、30数年ぶりかな?」
『ずっと全然変わってないですよ』
狭い境内なので、構造を変えるわけにはいかないのだろうな。
というか、前回来たときは、
結婚前、妻とのデートだった。
妻に誘われて訪れた。
だから、ほとんど境内の様子は覚えてない。
妻が言うには、
西武百貨店に行くなら、
まずは、義仲寺に寄るべし。
市街地のなかにひっそりと佇む寺だが歴史的に貴重なもの、
だと。
当時、義仲寺のことを我が輩は全く知らなかったのです。
今思うと情けない。
隣に
『史料観』
いや普通、史料館じゃないの?
なぜ「観」なのだろうか、不思議ですね。
境内には、これでもかこれでもかと、
句碑がある。
∇『行春やあふミ(おうみ)の人とおしみける』
文字は芭蕉の自筆だとか?
晩年、近江の地を愛した芭蕉が行く春を惜しんでます。
『朝日堂』
義仲寺の本堂。
朝日将軍と呼ばれた木曽義仲が名前の由来。
観音菩薩、義仲公の像、芭蕉翁の位牌などが納められてます。
記帳しました。
我が輩も一句詠んだ
「冬寒し前途を祝う義仲寺」
この日の街道歩きが無事であることを願っての気持ちを込めてます
というか、我ながら下手な句やな…。
∇巴
『かくのごとき をみなのありと かつてまた おもひしことは われになかりき』
室町将軍と言われた三浦義一翁の歌碑。
この人が再建に尽力されたようですな。
∇『古池や蛙飛びこむ水の音』
言うまでもなく、芭蕉翁の句です。
『佐渡の赤石』
三浦翁が寄贈されたようですね。
『巴塚』
木曽義仲の側室だが、武勇に優れて敵将を討ち取ったそうです。
後に尼僧となり、ここで義仲の菩提を弔った。
最後は木曽で90歳まで生きたという。
『義仲公墓(木曽塚)』
芭蕉翁は木曽塚ととなえた。
「寿永三年正月21日歿」と看板に書かれている。
義仲は、義経に追われて近江に逃れこの粟津付近で決戦となり敗死した。
31歳でした。
その隣に
『芭蕉翁墓』
元禄七年、十月十二日に亡くなられたが、芭蕉の遺言に従って遺体を大坂から舟で淀川→伏見まで運び義仲寺で葬儀をおこない、義仲の墓の隣に埋葬された。
墓はその当時のままです。
ホントに貴重な墓です。
合掌!
『翁堂』
正面の祭壇に芭蕉翁座像。
左右の脇に内藤丈艸居士(芭蕉の門人)と向井去来先生の像。
側面に、蝶夢法師像。
翁堂を再建した人です。
壁の上には、36俳人の額。
天井の絵は、伊藤若冲。
これを見られるだけでも凄いと思いませんか!
後編に続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪