2018年5月12日(土)
狼川を渡るとまた
池が見えてきました。
しかも、今回は池の中に島がある。
『弁天池』
浮き島に弁財天があるので弁天池。
参道の橋を渡る
弁財天があります。
街道は琵琶湖からどんどん離れていくので池の景色は嬉しい。
江戸方面から来た人は琵琶湖か?
と勘違いしたりして…
遠くに湖西の比良山系が見えます
二股に分かれてるが左手の道をゆく。
野路9丁目に来ました。
野路町は、草津市南部、副都心ともいうべき地域で、交通が便利なので団地・工業地・学園地などに開発された。
『新宮神社御旅所』
新宮神社は北東方向にあり、この後で行きます。
由緒によると、鎌倉時代に佐々木高綱(源頼朝、義経の従兄弟)が観音堂を建立した。
隣の玉川小学校に観音堂池があり、この付近では最古のため池だったが、小学校建設で大半が埋められてしまった。
そして、室町時代中頃から御旅所になったそうです
東海道沿いに大鳥居が建てられたが、昭和60年市道の通行の邪魔だということで壊された。
そこで、大鳥居の礎石が保存された。
看板の裏に大事に残されてる
こうなったのは、住宅地の開発のせいですな。
野路廣野児童遊園
鯉のぼりがあります。
5月ですね。
なんか、嬉しいです。
14時33分、
お地蔵さん
そして、
『萩の玉川』
野路の玉川。
萩と川と月が映えるので、萩の玉川と呼ばれる。
日本六玉川の1つで、
平安時代以来多くの歌人や俳人によって歌われてる
野路は鎌倉時代、有名な宿駅でもあった。
この先に十禅寺川があり、これが玉川だったらしい。
平安時代には堤防もなく、自由に平地を流れていて萩が生えてた。
交通の要衝だったが、草津宿が栄えるにつれて野路は廃れていき、
江戸時代になると
現在見られるような小さな池があるだけになった。
とはいえ、明治以来地元の人の努力でなんとか保存された。
感謝しなければならないです。
北上し、交差点をわたる
14時43分
左手に
煉瓦の小屋がある。
この中に
『子守り地蔵』
5つの石に6体の地蔵さん。
野路町の民話に
「江戸時代に、カブトムシをつかまえようと大名行列を横切り、手打ちになった親子の菩提を弔うため、村人たちが地蔵をまつった」とある。
何も知らない子供が大名行列に飛び込み、慌てて親が止めに入ったが、あえなく切られた、ということか?
哀れですな。
この大名行列は、九州肥後の殿様らしい。
肥後といえば、あの人?
でもこれ、ホントに江戸時代のものなの?
顔を見るとどうみてもお地蔵さんに見えない。
地蔵さんは、近代に造られたのでは?
その43へ続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪