滋賀県主催連続講座、本年度最後の城郭探訪。
枡形の黒金門から山頂城郭になる。
次々に高石垣が出現する。
信長時代の石垣もあるが、現代になって復元されたものもある。
足元の石段も同じく。
だから、どれが本来の石垣か、素人には見分けがつかない。
看板などで表示してくれるとありがたいのだが…
二の丸には現在、信長廟がある。
以前、登った時はこの横に百名城スタンプが置いてました。
ここで押しましたよ。
現在は入口の料金所にあります。
そして、本丸へ。
本丸は二の丸と三の丸の間に挟まれていて、穴蔵のように一段低くなってる。
本丸が二の丸、三の丸より低い位置にあるなんて、おかしいと思いませんか!
本丸にしろ二の丸にしろ後世に便宜上名づけれた符号。
だから、二の丸が本丸だったかも?
もし、今の本丸が本来の本丸なら、
高床式の寝殿造りのような高層建物で、三の丸と渡り廊下で繋がってたのかも?
などと我が輩は妄想してます。
三の丸の奥にも登城道があり大手道と繋がってる。
高石垣も残されてるが、現在は三の丸方面へは行けません。
搦手道や曲輪群も行けない。
なんとか整備してほしいものですな。
そして、『天主跡』
現在は礎石が残るのみで、こちらも穴蔵のような状態のまま。
中央に礎石の無い区画がある。
ここが心柱跡と推定されてる。
今回案内してくれてる発掘担当者の話によると、ここを掘ったが柱跡の痕跡がみつからなかった。
抜き取った痕跡も無い。
地山に突き当たる一番底まで掘ったそうです。
さて、ホントに心柱がここにあったのだろうか?
40数万円かけて模型の安土城天主を造った我が輩としてはとても気になる。
造った天主の構造はデタラメだったりして…
案内役の発掘担当者の話が盛り上がってきたなか、
突然、またしても、某滋賀県知事さん登場!
例の美人才女の秘書?さんも連れてる。
午前中、大津市で琵琶湖開きのセレモニーがあった。
その後、急いでやってきたようですな。
安土城天守再建の意気込みに燃えてるようです。
『現在残されてる遺構から、みなさんそれぞれの歴史を感じとって見てください。
歴史を想像する楽しみも大事なのです。』
ん?
担当者さん、なんか話のトーンがダウンしましたよ。
歯に衣を着せたような、八方美人のような、当たりさわりのない話しぶりに変わってきましたよ
知事さんに気をつかってるの?
我が輩が代わりにに言いいましょうか。
名古屋城天守再建は、絵図や設計史料などが全部揃ってるので、忠実に再建することは可能です。
安土城天主に関しては、まともな史料がない。
建物の構造がどんなものだったのか、さっぱりわからなくて諸説ある。
そんな状態で、何の根拠もない天主を再建するなんて、無茶すぎやしませんか?
大手道も本丸も二の丸も三の丸も家臣屋敷もみな場所は推定。
どれもこれも『伝』。
しかもここは国特別史跡に指定されてる。
いわば国宝の場所。
さらに、総見寺の私有地でもある。
制約がありすぎ!
再建のための膨大な経費を、安土城全体の整備に使ったほうがいいと思うのですがね。
天守が焼けた痕跡の礎石
後編に続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪