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【旧東海道歩き43】子守り地蔵~野路上北池公園

2019-03-08 22:00:00 | 東海道歩き『近江路』

2018年5月12日(土)、草津市 子守り地蔵に交通安全をお願いして北上。 14時44分

野路7丁目 野路5丁目、 T字路の角に 『野路在郷軍人用地』石柱

在郷軍人とは、予備役・退役軍人など現役じゃない軍人のこと。 そのための用地だったということか? イマイチよくわからない。 野路コミュニティセンターを右折した 『新宮神社』『都久夫須麻神社』 先に御旅所を訪ねたので、本殿にも立ち寄った

本殿は国重文。 神社の創建は、730年。 本殿は、1523年に建立されたが、江戸時代1662年の大地震で改造された。 一間社流造、正面軒唐破風付、檜皮葺き。

なかには入れないので、外から頑張って撮影した。

隣に「古宮神社」

新宮神社の中に古宮神社とはこれいかに? そういや都久夫須麻神社もあるはずだが、見逃した。 都久夫須麻神社といえば、竹生島ですよね。 見逃したといえば、 後で知ったのだが、 「入口の脇門には旧膳所城門が移設され、膳所藩本多家の家紋「右離れ立葵」の軒丸瓦が見られる」 という。 草津市地域は、膳所藩の領地多いから、膳所城の遺構があっても不思議ではない。 うーん、残念無念。 新宮神社の北側に

『玉川山浄泉寺』 縁起を読んでみると

本願寺蓮如上人が東国に布教に行く時に野路城に入った。 城主の黒川駿河守宗次が、丁寧にもてなした。 この縁で蓮如上人の弟子となり得度、城の一角に「十禅念仏道場」を建立。 後に浄泉寺と改名したそうです。

何も遺構は残ってないが、 ここに野路城があったのですね。 とりあえず、城跡があったということを知って嬉しいです。 北上します。

左に南草津病院が見える。 民家の塀の上に看板あり。

『清宗塚』

平宗盛の長男。 壇之浦の戦いで生捕りになり、父とともに鎌倉へ護送され、源頼朝と対面した後、再び京都へ護送される。 が、途中で父は野洲市篠原で殺され、清宗は、この野路で殺された。 首は京都で晒されたが、胴体はここに埋葬されたようです。 その胴塚が民家の中にあるようです。 毎年6月21日に「清宗忌」が行われるので、その時に行けば胴塚を生で見られるかも? 今回はこの画像で我慢する。 看板の解説に書かれてあるように この民家は、遠藤権兵衛家。 議員のポスターがあります。 もしかしたら、遠藤権兵衛家の人かな? すぐ近くに 『教善寺』

江戸時代、遠藤権兵衛が僧となり、敷地と田畑一町歩(約3000坪)を寄進して建立された。 遠藤さんはこの周辺の有力者のようですね。

北川という小さな川を越える 15時08分

街道は、「かがやき通り」に突き当たる

JR南草津駅へ向かう通りです 道をわたると 『野路上北池公園』 街道は途切れるが、この公園の中を通ってたようです。 その44へ続く

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近江の山城を歩くリニューアル版が発売されます

2019-03-08 07:40:23 | 近江の史跡
近江の山城を歩く 

https://www.amazon.co.jp/dp/4883256065/ref=cm_sw_r_other_apa_i_02zGCbQ6J6KXR

内容紹介


近江には多くの山城が存在し、その入門書として2006年に刊行した『近江の山城ベスト50を歩く』は多くの城好きに支持され、現在も求める声が多い。しかし、刊行当時から10年以上がたつこともあり、新たに分かった知見などを踏まえ、山城のみに絞ってリニューアル版を刊行した。本書では合計70の山城について概要と縄張図を掲載。城の位置図、各城跡へのアクセス図を付けた、城探訪必携の書。



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どのようにリニューアルされたのか見てみたい。


この本を持ってない人は是非とも買うべし!


4月6日発売です



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