滋賀県主催連続講座、本年度最後の城郭探訪。
天主台石垣の上から琵琶湖を見る。
天気が良すぎて霞みのため見にくいが普通ならここから北の竹生島、
南の大津などすべて見渡せる。
当然ながら、家臣の城の長浜城・大溝城・坂本城も視野に入る。
琵琶湖に突き出た岬に築かれた安土城の重要さがわかりますな。
総見寺跡へ移動。
ここで、昼食休憩した。
某知事さん、
『今、何時?』
と美人秘書に聞いてる。
時計もってないんかい!
スマホを見ろよ!
昼食は高級レストランで食べるのかな?
我が輩もあんな身分になってみたいものです。
秘書さん、前回の坂本城と違って今回は山登りなのでズボンでした…
で、知事さんは先に下山されました。
三重塔及び二王門、どちらも甲賀郡から移築した。
信長時代以前の建物で貴重。
国重文に指定されてます。
お城の中に寺を建立し、それが現存してるのは極めて稀なのでは?
仁王門を下るとそのまま城下町の百々橋へ出られるが、現在は通行不可。
昔、無料だった頃は自由に入れたが、今は有料なのでわざわざ料金所まで迂回しなければならない。
そして、仁王門の下、百々橋まで来た。
信長は拝観料をとって総見寺を参拝させたそうです。
総石垣お城の先駆者とも言える信長ですが、寺の拝観料をとったことも歴史上の先駆けとも言えますな。
中井教授は、こちらが大手道だった、という見解。
ならば、仁王門は、大手門ということかな?
本来は仁王門から↓ここまで真っ直ぐ石段を降りられた。
↑これは数年前に探訪したときの画像
総見寺は、安土城の重要な防備の要としての役割りがあったのだろうね。
ちなみに、北側に七曲り道があった。
こちらは家臣や下級武士や町人などの道だったのでは?
と、我が輩は思ってます。
この後、城下町散策。
常楽寺港は、安土城築城の重要なキーになったとも言える。
木村氏城跡は、現在畑。
そして、最後は
『浄厳院』
安土城城下町の一番端っこにある。
本堂は国重文。
こちらも別の寺から移された。
明智光秀の丹波攻略で
丹波八上城の波多野兄弟が信長に殺された場所。
来年の大河ドラマで必ず登場すると思うのですが…
梅が満開でした
以上、探訪報告おしまい。
翌日は、この連続講座の総仕上げの
シンポジウムがありました。
2日連続の安土行きとなりました
馬《●▲●》助ヒヒーン♪