文亀元年(1501)年、3月28日(快晴)、
前関白九条政基(57歳)は和泉国日根荘へ向かいました。
政争に敗れて都落ち?
隠居の物見遊山?
というわけではない。
日根野は九条家の重要な荘園でした。
しかし、応仁の乱後の混乱で、守護や根来寺などによって荘園が浸食され、年貢がまともに上納されなくなった。
公家の名門ともいうべき九条家の財政事情が,厳しくなり借金だらけ。
やむにやまれず、なんとか改善しなければ、という思いでついに政基は
老体に鞭打って現地に乗り込むことにしたのです。
2019年3月17日(日)
日根野駅から十二谷池に行きました。
荘園の農地を潤す溜め池です。
現在、すぐ横に上下水道局があります。
今も日根野地区の水源の役割を果たしてるのですね。
このような溜め池が周辺にたくさんある。
どの溜め池も堤を盛り上げてるので
まるで山登りみたい。
八重治池、
尼津池などの荘園遺跡を巡った。
風雨が強くて帽子も傘も飛ばされそうで大変でしたよ。
なお、ズボンは前日ずり落ちたので、本日はベルトを付けてしっかり締め付けました😜
そして、昼過ぎに
日根神社に到着。
京都からはるばるやって来た関白九条政基公もこの付近に到着。
一泊したそうです。
我が輩は隣の公園で昼のパン食べた。
花見の頃に来るといいかも?
食後、隣の『慈眼院』へ。
拝観は要予約。拝観料も必要。
なので、本堂だけ撮影して帰ろうとしたが、
駐車場の裏へ回ると、門が開いていて、内緒で中に入りました。
すると、ありました!
ありましたよ!
金堂は国重文。
多宝塔は、石山寺、高野山金剛三昧院の塔と並ぶ日本三名塔の一つで、
鎌倉時代に建立された。
国宝です。
じっくり堪能したいが、内緒なので不法侵入で怒られそうで、撮影だけして退散。
良い子は絶対に真似しないでね。
『天満宮』
本殿は、国重文。
小さい祠なのですが、貴重なものらしい。
これらの溜め池や寺社は、
日根野荘遺跡として国史跡に指定されました。
さらに、奥へ向かいます。
続く…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪