"滋賀県主催連続講座、本年度最後の城郭シンポジウム。
2019年3月10日(日)
前日に引き続き、安土に来ました。
本日はあいにくの雨降り☔️
でも、まる一日館内に座ってるだけなので、問題無し。
受付は点呼無し。
予約したのに、結果的に自由参加扱い。
どうやら、募集定員の300名に届かなかったようです。
確かに会場に入ると空席がいくつもありました。
天気悪かったからか?
午前中は中井教授の基調講演、
午後は、信長ゆかりの小牧山城・岐阜城・安土城、それぞれ発掘担当者の報告。
最後にパネルディスカッション。
という内容。
ちょこっと紹介。
まずは、基調講演
【信長の城】中井均滋賀県立大学教授
織豊系城郭の特徴は、
高石垣・金箔瓦・礎石建物(天守)。
『小牧山城』
石垣◯、瓦Ⅹ、天守▲
瓦は全く発見されてない。
天守たぶん無かっただろう。
最近の調査で山頂付近に玉石敷遺構が検出された。
山頂に信長あるいは家族の住居があった可能性あり。
安土城よりも先に山頂部が総石垣の城だった。
ただし、石垣の高さは低い。
*間々観音
『岐阜城』
石垣◯、瓦◯、天守△
天守はあったかも?
3つの城の中で唯一、信長以前からあった城(斎藤道三時代の城)
*伊奈波神社
『安土城』
石垣◯、瓦◯、天守◯
小牧山城→岐阜城→安土城で完成形。
天守に信長自身が住んだ。
*総見寺
3つの城に共通するのは、
山頂に詰城、麓に居館があった。
信長は権威を示すために決して山を下りなかった。
家臣には平地に城を建てさせた。
権威を見せる城として、信仰としての寺社を城に利用した。
………………午後の報告………………
【小牧山城】小野友記子、小牧市教委 小牧山課
紅一点の小野さん、久しぶりに拝見💓
シックな黒の服装でナイス。
ちょっと太ったかな?
石垣:チャートの自然石使用。
加工の痕跡無し。
信長以前の尾張で、石垣を使った城は無い。
小牧長久手合戦で家康の陣城になり、虎口や堀、土塁の一部が改変されてるが、基本的に現状のほとんどが信長時代の遺構。
途中で、動画による紹介があった。
やっぱりムービーはインパクトありますな。
【岐阜城】高橋方紀、岐阜市教委教育課
石垣:チャート。
一部に斎藤氏時代の石垣あり。
金箔瓦が発見されたが、信長ではなくて信忠かも?
山麓の居館部は巨石群とたくさんの庭園が配置されてる。
谷部の奥に高層建築あり。
山頂周辺にたくさんの砦群があり、
次々に石垣が見つかってる。
【安土城】滋賀県教委、仲川靖
石垣:ほとんど湖東流紋岩。
瓦は山頂の主郭部のみ。
『伝羽柴秀吉邸跡』には庭園遺構と主屋が2回以上の増改築あり。
中井氏説は、信長時代は麓の居館がここだった。
仲川氏説は、後に秀吉が三法師(織田秀信)を迎え入れるために改築したかも?。
Φ(*^ひ^*)Φ
お二方の説を合算すると、
伝羽柴邸跡は、本来信長の麓居館で、その後、秀吉が改築した。
だから、後世にここを秀吉邸と勘違いして伝わってしまった。
ということかな?
伝大手道は、発掘調査の結果、信長時代より後の遺構の可能性あり。
大手口は正親町天皇行幸用に4つの門があるが、すべて形状が異なる。
ホントに行幸用だったのか?
現在の入口の駐車場には内堀があった。
内堀を復元させたい。
以上、おおざっぱに紹介しました。私見も混ぜてるので、鵜呑みにして他所へ吹聴しないようにお願いします。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
最後に、皆勤賞の表彰式がありました。
延べ700名の参加者のなかで該当者はわずかに7名。
一人一人名前呼ばれて拍手浴びてました。
我が輩は、所用があって1回目をパスしたが、2回目以降皆勤したのに…
うーん残念無念。
実は、何年か前に完璧に皆勤賞だったことあるが、その時は、表彰式が省略された。
なんでやねん!
馬《●▲●》助ヒヒーン♪