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ぽかぽか春庭「じゃじゃ馬」

2012-07-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/07/06
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>明治の語彙(1)シェークスピアのじゃじゃ馬

朗読劇「じゃじゃ馬馴らし」を観劇したアコさんからきいた、シェークスピア蘊蓄。「じゃじゃ馬ならし」の「馬」について。
 原題は、『The Taming of the Shrew』で、the Shrewとは、トガリネズミ、ジネズミのこと。馬じゃありません。英国で、とがり鼠の類は、キーキーとやかましく泣きわめき騒ぎ立てるので、そのたぐいの女性のことをshrewと呼ぶのだとか。
 へぇ!原題について調べてみようと思ったことがなく、アコさんに聞いてはじめて知りました。
 『The Taming of the Shrew』を直訳すれば「ガミガミ女の飼い慣らし方」となる。

 調べてみると、川ねずみは、「Japanese water shrew」という英語になっている。ジャコウネズミ(麝香鼠)は、「Asian house shrew」

 『じゃじゃ馬馴らし』が初めて翻訳された明治時代には、「じゃじゃ馬」ということばはすでに存在していました。

 古語辞典(岩波と三省堂)を調べてみたところ、岩波には「じゃじゃ馬」の項目が記載されており、三省堂例解古語辞典(1980)にはこの項目の記載がありませんでした。

<岩波古語辞典>
・「じゃじゃ」落ち着かず騒がしい物音の形容。ざわざわ。出典「虫がざわざわと鳴く<ロドリゲス大文典」
・「邪邪」足踏みをして、無理わがままを言ってねだること。出典「邪邪を吐きちらし<玉滴隠見」
・「じゃじゃ馬」(跳跳馬・邪邪馬)はね暴れる馬、荒馬、悍馬。出典「蛇じゃとて邪邪馬荒るる春野かな<難波草」
 「じゃじゃ」の「足踏みして無理わがままを言ってねだる」は、現代語では、「駄々=子どもが甘えて、言うことをきかないこと、駄々をこねる、駄々っ子」として出ています。(岩波国語辞典)

 現代でも、悔しがって地面を踏みつけることを「地団駄を踏む」と言います。「地だんだ」の「だんだ」は、「駄々」の転訛。駄々の語源は「鑪(たたら)を踏む」から来ている説があります。
 「地駄々じだだ」は「地踏鞴じたたら」で、「たたら」とは、鍛冶仕事や鉄の精錬のために、足で踏んで風を送る 『ふいご』 のこと。「じたんだを踏む」は「じゃじゃ踏む」とも言いました。
 
 出典からみると、「じゃじゃ」は、室町時代には「やかましく落ち着かない様子」を表していることがわかり、「じゃじゃ馬」は、江戸時代には「悍馬、荒馬」の意味で用いられていたことがわかりました。

 元々「じゃじゃ馬」は、悍馬を指して言う言葉でしたが、坪内逍遙が『The Taming of the Shrew』を『じゃじゃ馬馴らし』と翻訳して以後、「じゃじゃ馬」は「おてんば」と並んで、明治時代の、「元気のよすぎる」女性を指すことばとして定着しました。今では「じゃじゃ馬」は、男性を表すときには使わないことばになったので、PC(ポリティカル・コレクトネス(political correctness)を進める方々には、好まれない言葉であるかもしれません。
 
 ちなみに、シェークスピアの『テンペストThe Tempest』は、坪内逍遙の初訳では『颱風』でした。現代、上演される際は「あらし」「嵐」という題が多いようです。『テンペスト』というカタカナ語での本も出ています。(「ちくま文庫版シェークスピア全集」など)

ちくま文庫「じゃじゃ馬馴らし」

 では、ことのついでに、坪内逍遙訳の「ロミオとヂュリエット」より、名高いバルコニーのシーン。ジュリエットがロミオの名を呼ぶシーンです。

ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故、卿(おまへ)はロミオぢゃ! 父御(てゝご)をも、自身の名をも棄てゝしまや。それが否(いや)ならば、せめても予(わし)の戀人ぢゃと誓言(せいごん)して下され。すれば、予(わし)ゃ最早(もう)カピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞かうか? すぐ物を言はうか?
ヂュリ 名前だけが予(わし)の敵(かたき)ぢゃ。モンタギューでなうても立派な卿(おまへ)。モンタギューが何ぢゃ! 手でも、足でも、腕(かひな)でも、面(かほ)でも無い、人の身に附いた物ではない。おゝ、何か他(ほか)の名前にしや。名が何ぢゃ? 薔薇の花は、他の名で呼んでも、同じやうに善い香(か)がする。ロミオとても其通(そのとほ)り、ロミオでなうても、名は棄てゝも、其(その)持前の、いみじい、貴い徳は殘らう。……ロミオどの、おのが有(もの)でもない名を棄てゝ、其代(そのかは)りに、予(わし)の身をも、心をも取って下され。


 語尾の「~じゃ」という結び方、「名をも棄てゝしまや」という言い方が、歌舞伎の奥女中のようなもの言いになっているほか、ジュリエットの台詞で、現代に比べて、意味が通らない、という点はありません。女性の自称が「わし」であること、父親が「ててご」になっていること、現代なら「誓ってください」となるところが「誓言(せいごん)してくだされ」になっているほかは、現代に耳で聞いて意味がわからない、ということはありません。目で読んでみて、やはり明治の台詞だなあと感じます。バラは他の名に変えてもバラの香りがするのですが、日本語は明治の台詞に変えると「明治のかほり」になります。

<つづく>
コメント (4)
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