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ぽかぽか春庭「老人の肖像」

2012-07-20 00:00:01 | アート
2012/07/20
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(2)老人の肖像

 オランダのマウリッツハイス王立美術館が2012年4月から2年間改修拡張工事となり、閉館している間、所蔵絵画が他の美術館に貸し出されます。

 東京都美術館のリニューアルオープン。目玉はフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。そのほか、フェルメール、レンブラント、ルーベンスなど、マウリッツハイス美術館の有名所蔵品がリニューアルオープンの目玉として東京都美術館で公開されるというので、なんとか招待券を手に入れようとしたのですが、だめ。ミサイルママが、一人5枚まで区の市民サービスで格安チケットを購入できるというので、私の分もいっしょに買ってもらいました。一般1600円のところ、半額です。

 仕事が終わってから、「少女」に会いに出かけました。平日というのに、まず美術館に入るまでに60分待ち。

 きっと絵の前は「人、黒山をなす」で、背の低い私は遠くから人の頭ごしにしか見られないだろうと覚悟して、それでも一目、見つめ合えるかも、と「少女」の部屋にいきました。他の絵はぜんぶすっとばして3階へ。
 最初はものすごい人混みにもまれながら30分並びました。最前列で見るための列です。「立ち止まらないでください」という係員にせかされて、絵の前最前列を10秒で通り過ぎる「通過鑑賞」
 つぎに立ち止まっていてもいい2列目での鑑賞をねらう。黒山の中、じりじりと前に進んで2列目に並び、30分くらい立って見ていました。
 「きれいだねぇ」としゃべりあう二人連れ。少女が頭に巻いている青いターバンの色について、連れの女性に蘊蓄並べる「油絵ちょっとかじりました男」の弁舌。いろんなおしゃべりを聞きながら、少女と見つめ合いました。
 
 5時半閉館、5時に入場締め切り、というので、入場締め切り後、もう人が入ってこない時間がチャンスと見て、館内で待っていました。2度目は比較的すいて、1度目よりはゆっくり見ていられました。今度は最初に30分2列目に陣取って見て、最後にもう列に並ぶ人がいなくなってから、何度も列について、ぐるぐる通過鑑賞。

 本物の「少女」は、とても魅力的でした。最近の図版は印刷技術がとてもいいので、版画などは本物もコピーも区別がつかないこともあるのですが、この「少女」の青いターバンや光る真珠、そしてあの蠱惑的な瞳は、図版とは比べものにならないくらい良かったです。。本物を見ることができてうれしい。

 そのほかのフェルメール、2008年に東京都美術館のフェルメール展で見たことのある『ディアナとニンフたち』にも再会できました。2008年に東京都美術館で見たフェルメール。「ディアナとニンフたち」のほか、『マリアとマルタの家のキリスト』『小路』『ワイングラスを持つ娘』『リュートを調弦する女』『手紙を書く婦人と召使』『ヴァージナルの前に座る若い女』を見ることができたのですが、このときは「真珠の耳飾りの少女」は来日しませんでしたから、今回の展覧会を楽しみにしていました。
 スカーレット・ヨハンソンが少女を演じた映画もとてもよかった、ということもあります。

 会場出口の外は絵はがきや複製画、図録などの売り場、その外側に「少女の服」が展示されていました。
 今回、展覧会のプロモーションで武井咲が少女のイメージキャラクターを演じています。『真珠の首飾りの少女』の絵は上半身だけなので、下半身のスカートについては、当時の女性の衣裳を文献資料で調べ上げ、布地やデザインなどを考証して作ったのだそうです。文化服装学園の学生達が一ヶ月がかりで手縫いで縫い上げたという衣裳も展示されていて、ていねいな仕事でした。

フェルメールの少女に扮した武井咲

文化服装学園の学生が縫った衣裳を着ています

 レンブラントやルーベンスもよい作品が展示されていて、充実していました。会期中、夏休みにもう一度行きたいと思っています。今回は、「少女」に会うのが主な目的だったので、他の作品はささっと駆け足鑑賞になってしまったので、もういちど、ゆっくり見られそうな日を選んで。

 レンブラントの最晩年の自画像と並んで、『老人の肖像Portrait of an Old Man』が印象深かったです。1667年、レンブラントの最後の日々にに描かれた油彩です。
 老人は、衣服から見ると、裕福な環境で人生を過ごしたことが見てとれます。肘掛け椅子にゆったり座り、シャツは襟元を開け広げてくつろいでいます。満足のいく人生を写し取らせて子々孫々に残そうとしてレンブラントに肖像を依頼したのでしょう。


 でっぷりとした上半身は、お金持ちらしい風貌で、17世紀のオランダということを考えると、東インド会社などの東洋貿易で大もうけしたひとかもしれません。
 しかし、レンブラントの筆致は、このお金持ちの老人の別な面も映し出しているような気がします。
 人生の成功者なのかもしれないのに、なぜか悲しげにも見えるのです。お金は得ても、愛のない人生だったのかも知れません。あるいは、愛する人に先立たれた人なのかもしれません。
 老いていくことそのものを悲しんでいるのかもしれません。いずれにせよ、この老人は幸福そうではないと思えるのです。

 晩年のレンブラントは妻に先立たれた後、家政婦や女中との愛憎関係がもつれ、裁判沙汰忍なるし、作品の完成度をめざすあまり、金持ちからの肖像画依頼がなくなって無一文になるし、不幸続きでした。「老人の肖像」には、そんな人生最後の悲しみが描き込められているように思います。
 最愛の妻が眠る墓地まで売らなければならないほど逼迫したレンブラント。さらには息子まで先立ってしまい、老いの悲しみの中に人生を終えなければなりませんでした。

 だれも、幸福で満ち足りた晩年をおくりたいと願い、人生の最後のときをおだやかにやすらいで迎えたいと思っています。
 「老人の肖像」は、そんな願いとは異なるレンブラントの「これが老人の現実なのだ」というため息が絵の具となって塗り込められているように感じました。

<つづく>
コメント (4)
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