2012/07/22
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(4)老いの繰り言
姑は、「ケンコーおたく」でした。そのときそのときでマイブームは変わるものの、健康にいいことは、ドクダミ茶、桑の葉茶、玉葱茶、カスピ海ヨーグルト、なんでも試してきて、健康自慢でした。
今年になって、少し衰えが見えてきたとはいえ、87歳にしては気丈だなと思っていたのですが、気力だけではこの夏を乗り越えることができそうになく、急激に弱くなりました。
私の体など、姑に比べたらあちこち不調だらけ、姑より先に弱るかと思っていたのですが、この夏は「老老介護」に励むことになりそうです。
姑は、これまで童謡を歌う会やら詩吟の会やらへ出かけ、体操教室に出かけてきました。87歳の誕生日を祝い、米寿まで元気にいたいと張り切っていたのに、そのあと「食事を作るのも、買い物に出かけるのもめんどうになった」と言いだし、「要支援1」という認定を受けたのです。87歳で初の要支援なのですから、70代でも介護5,6という方に比べればよほど気丈なひとり暮らしだったのですけれど、やはり「寄る年波」は寄ってくる。
認定を受け、デイケアセンターが利用できることになりました。土曜日はバスが自宅前まで迎えに来てくれて、デイケアセンターで「体操」をするのをとても楽しみにしていて、「体操をすると元気がでる」と言っていました。まだまだ気持ちは元気でいる、ということはわかるのですが、いかんせん、足腰の弱り脳血流の衰えが日常生活を疎外しています。毎週歯医者や病院検査にひとりで通っていたのにも、付き添いが必要だと言うことになりました。
今週の木曜日、娘がつきそっての病院への行き帰りでも、「向かいから来たベビーカーをよけ損ねて、転びそうになった」と、娘の報告。娘は、ベビーカーの通行をさまたげてしまったと思って「私が、すみませんってあやまったら、ベビーカーのお母さんは、あら、どうぞお気遣い無くって笑って言ってくれた」と言ったのですが、私はそれは違うんじゃない、と思いました。ベビーカーのお母さんは、「老人連れのふたりが私のベビーカーをよけて歩いて当然」と、感じたいるから「お気遣い無く」という発言になったのでしょう。
私たちの世代が子連れで外出するとき、ベビーカーは通行のジャマだと扱われて、電車に乗せることはできませんでした。外出時、歩けない子はおんぶして、歩ける子は手をひくのが街を通行するスタイルでした。
近年は、ベビーカーでの電車やバス乗車がおおっぴらに認められるようになり、子育て支援の要請をしてきた私たちの主張がやっと認められたのだと、うれしく思います。
しかし、それを当然と心得る若いお母さんは、ベビーカーが進行するときは、歩行者はよけてくれるものと勘違いしています。
ベビーカーが通行するときは、「そこのけ、そこのけ、赤ちゃんが通る」と、押し通ってはいけないと思います。前方にお年寄りがいたら、ベビーカーのほうが通行に気をつかうのが当然だ、と、昔モノの私は感じるのです。お年寄りが向かいから来たら、ベビーカーのほうが、立ち止まるかお年寄りをよけるかすべきだ、と思ってしまったのですが、これも「老いの繰り言」なのでしょう。
ともあれ、この夏、妹一家に混ぜてもらって行くことにしていた「清里高原野外バレエ鑑賞旅行」の3泊4日の旅もキャンセルしました。前期いっしょうけんめい働いた、ごほうびのつもりで楽しみにしていたのですが、自分へのごほうびよりも、日常生活が不自由になった姑をなんとかしなければなりません。
煮付けの味から窓ガラスの拭き方まで「家風」をヨメにたたき込もうとする姑の話とか、孫を「我家のあととり」と思い込み、ヨメの子育てにいちいち口を出す姑の話とか、いろんな嫁姑の愚痴を方々で聞いてきたので、私の暮らし方にいっさい口を出さなかった姑に感謝しているし、舅なきあと一人で暮らしで生きてきた姑を偉いと思って来ました。
これまで私が働いてこれたのも、姑が元気に一人暮らししていてくれたおかげですけれど、これからも働き続けなければならない中、老老介護となるこれからの生活をどう組み立てていったらいいのか、思案中。娘がおばあちゃんの世話をよくしてくれることに頼っていくことになりそうです。
友人達、みな第一線を退き、ゆうゆう年金暮らしに入ったのに、働かなければ食べていけない私の老後もたいへんと思ってきましたが、さらに困難が山積みとは。
老いの繰り言を並べ立てても解決しないのですが、繰り言続けています。
横浜中華街の春節まつり。中国踊りのかぶりものをつけた姑と私
2011年の姑の誕生日祝いに、中華街で食事したときの記念写真です。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>十二単日記201207老いの小文(4)老いの繰り言
姑は、「ケンコーおたく」でした。そのときそのときでマイブームは変わるものの、健康にいいことは、ドクダミ茶、桑の葉茶、玉葱茶、カスピ海ヨーグルト、なんでも試してきて、健康自慢でした。
今年になって、少し衰えが見えてきたとはいえ、87歳にしては気丈だなと思っていたのですが、気力だけではこの夏を乗り越えることができそうになく、急激に弱くなりました。
私の体など、姑に比べたらあちこち不調だらけ、姑より先に弱るかと思っていたのですが、この夏は「老老介護」に励むことになりそうです。
姑は、これまで童謡を歌う会やら詩吟の会やらへ出かけ、体操教室に出かけてきました。87歳の誕生日を祝い、米寿まで元気にいたいと張り切っていたのに、そのあと「食事を作るのも、買い物に出かけるのもめんどうになった」と言いだし、「要支援1」という認定を受けたのです。87歳で初の要支援なのですから、70代でも介護5,6という方に比べればよほど気丈なひとり暮らしだったのですけれど、やはり「寄る年波」は寄ってくる。
認定を受け、デイケアセンターが利用できることになりました。土曜日はバスが自宅前まで迎えに来てくれて、デイケアセンターで「体操」をするのをとても楽しみにしていて、「体操をすると元気がでる」と言っていました。まだまだ気持ちは元気でいる、ということはわかるのですが、いかんせん、足腰の弱り脳血流の衰えが日常生活を疎外しています。毎週歯医者や病院検査にひとりで通っていたのにも、付き添いが必要だと言うことになりました。
今週の木曜日、娘がつきそっての病院への行き帰りでも、「向かいから来たベビーカーをよけ損ねて、転びそうになった」と、娘の報告。娘は、ベビーカーの通行をさまたげてしまったと思って「私が、すみませんってあやまったら、ベビーカーのお母さんは、あら、どうぞお気遣い無くって笑って言ってくれた」と言ったのですが、私はそれは違うんじゃない、と思いました。ベビーカーのお母さんは、「老人連れのふたりが私のベビーカーをよけて歩いて当然」と、感じたいるから「お気遣い無く」という発言になったのでしょう。
私たちの世代が子連れで外出するとき、ベビーカーは通行のジャマだと扱われて、電車に乗せることはできませんでした。外出時、歩けない子はおんぶして、歩ける子は手をひくのが街を通行するスタイルでした。
近年は、ベビーカーでの電車やバス乗車がおおっぴらに認められるようになり、子育て支援の要請をしてきた私たちの主張がやっと認められたのだと、うれしく思います。
しかし、それを当然と心得る若いお母さんは、ベビーカーが進行するときは、歩行者はよけてくれるものと勘違いしています。
ベビーカーが通行するときは、「そこのけ、そこのけ、赤ちゃんが通る」と、押し通ってはいけないと思います。前方にお年寄りがいたら、ベビーカーのほうが通行に気をつかうのが当然だ、と、昔モノの私は感じるのです。お年寄りが向かいから来たら、ベビーカーのほうが、立ち止まるかお年寄りをよけるかすべきだ、と思ってしまったのですが、これも「老いの繰り言」なのでしょう。
ともあれ、この夏、妹一家に混ぜてもらって行くことにしていた「清里高原野外バレエ鑑賞旅行」の3泊4日の旅もキャンセルしました。前期いっしょうけんめい働いた、ごほうびのつもりで楽しみにしていたのですが、自分へのごほうびよりも、日常生活が不自由になった姑をなんとかしなければなりません。
煮付けの味から窓ガラスの拭き方まで「家風」をヨメにたたき込もうとする姑の話とか、孫を「我家のあととり」と思い込み、ヨメの子育てにいちいち口を出す姑の話とか、いろんな嫁姑の愚痴を方々で聞いてきたので、私の暮らし方にいっさい口を出さなかった姑に感謝しているし、舅なきあと一人で暮らしで生きてきた姑を偉いと思って来ました。
これまで私が働いてこれたのも、姑が元気に一人暮らししていてくれたおかげですけれど、これからも働き続けなければならない中、老老介護となるこれからの生活をどう組み立てていったらいいのか、思案中。娘がおばあちゃんの世話をよくしてくれることに頼っていくことになりそうです。
友人達、みな第一線を退き、ゆうゆう年金暮らしに入ったのに、働かなければ食べていけない私の老後もたいへんと思ってきましたが、さらに困難が山積みとは。
老いの繰り言を並べ立てても解決しないのですが、繰り言続けています。
横浜中華街の春節まつり。中国踊りのかぶりものをつけた姑と私
2011年の姑の誕生日祝いに、中華街で食事したときの記念写真です。
<おわり>