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ぽかぽか春庭「ちえのわ録画再生日記1992年10月30日「人生の習慣&光」

2012-11-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/11/03
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年(14)20年前の今日、何をしていたか1992年10月30日人生の習慣

1992年十月三十日 金曜日「人生の習慣」
「イヤなことは後回しにする、私の習慣を反省しつつ『人生の習慣』を読んだこと」

 ピーナツの最初の一粒を食べ始めたらあと一つ後一つだけと言いながら一袋全部食べてしまう私なのに、御褒美のエサを目のまえにつるしてオベンキョウしようとは、あさはかな考えであった。

 本たちはコシマキめくって、「ちょっと1ページだけのぞいて御覧なさいよ」「ネェ、裾開くだけならサービスよ」なんて、誘惑してくるのだ。この誘惑にどうして立ち向かえるだろうか。「ちょっと1ページだけ」が、たちまち「第一章だけ」となり、「ほんの裾だけ、あとがきだけ」が「裾から手を入れ、帯まで届き」になり、ああ、今日も修士論文見向きもせず。

 裾だけチョコッといいつつ『言葉の海へ』の大岡信の解説、『舞踏に死す』の吉武輝子のあとがきを読む。
 本居春庭を描いた『やちまた』とか、言語に関わった人々の話は全部読んでおきたい。 『諸橋轍次博士の生涯』も大修館からでたので、読みたいし。そして、演劇、舞踊に関わった人々の話も。

 『人生の習慣』は、もうちょっとだけ、といいながら「信仰を持たない者の祈り」「癒し、恢復と文学」「人生の習慣」の三つの章を読んだ。

 「人生の習慣」の中で、大江は『私たち障害者の家族は、息子なら息子が知恵遅れであることが社会にとって積極的な貢献をなしうるとはなかなか主張しにくいのです。』と述べているが、これは謙遜であって、大江という優れた文学者の家に「光」というたいへんすぐれた感性の持ち主である障害者が誕生し育ってきたことは、大江家の家族だけでなくいわば、衰微しつつある人類の存在すべてにとっての福音であり、その名の光は、文字通り、人類再生を照らす光りに成りうると、私は思っているし、光に照らされたことのある人は皆思っていることだろう。

本日の家訓「光の次はのぞみ(新幹線のネーミングなり」

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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012年11月03日のつっこみ
 必要な仕事をあとまわしにして、新聞読みちらし雑誌に目をとばし本を読む、という習性は、一生なおらないのでしょう。
 毎週末、「来週の授業につかうパワーポイントスライドを全部つくってしまおう」と思うのですが、週末は遊ぶ方が優先ですから、仕事は毎回泥縄方式。今週もまた。東京国立博物館、近代美術館などを回ってきます。

<つづく>
コメント (2)
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