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ぽかぽか春庭「コメントへのおわび」

2012-11-07 20:41:05 | エッセイ、コラム
予約掲載の日付ミスにつき、まっき~さんコメントは、12月02日春庭コラムにコピーさせていただきます。
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ぽかぽか春庭「ちえのわ録画再生日記1992年11月4日シンデレラになれなかったシンドローム」

2012-11-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20122/11/07
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記1992年20年前の今日、何をしていたか(17)1992年11月04日「シンデレラになれなかったシンドローム」

(二九八〇)1992年十一月四日 水曜日(晴れ)
日常茶飯事典「ダンスサークルのランチおしゃべり会にでて、シンデレラになれなかった主婦のアイディンティティについて思うこと」

 午前中ダンス。ドリームズカムトゥルーの「晴れたらいいね」の曲に合わせて、私は先生の動きの通りに真似したつもりだったけど、ユミさんに「ちょっとぉ、お元気オバサンの体操してんじゃないんだからさ、もうちょっと、こう、柔らかさっていうか、色気をだしてよ、ダンスなんだから。」との御注意を承る。
 「ひらり」のイメージで元気よくパッパッと動いたんだけど、以後、柔らかめに動く。ドスコイ!

 家の新築の間ダンスを休んでいた沢さんが、新しい家の片付けがやっと済んだので、Aダンスの会員たちをランチ・パーティに呼ぶという。ちょっと迷ったけどおつきあい。
 二十数坪の借地いっぱいにロフトつきの二階建の家が建っている。皆で「いいわねえ」といいながら部屋のなかを見せてもらう。一階のリビングキッチンで、沢さんの用意した炊き込み御飯や、お土産の海苔巻、ケーキなどを食べながら、三時まで主婦のおしゃべり会に参加。

 Aダンスの主婦たちも、姑とのイザコザとか夫への不満とか、子供の進学がうまくいかなかったとか、後向きのグチに終始することも多いが、ダンスの話も合間にはさまれるので「これからこうしていきたい」という前向きの話題がある。
 ダンスを健康法+自己解放+自己表現として生活に取り入れ、ミワコ先生が大好きな人たちという共通項があることで、私もこのグループのおしゃべりに対して違和感なく加わることができる。

 グチのほか、おしゃべりの中心話題はなんといっても欠席裁判である。サークルのメンバーのうち、その場にいない人が標的になる。「そりゃ、あの人はいい人よ、それは私もわかっているけど、こういうのはあんまりじゃないの。」と口火が切られて、欠席者は裁かれる。

 わたしなど、おしゃべり会に欠席することが多いので、いないときはあれこれ言われているのだろうが、気にしない、気にしない。
 私は新参メンバーで、私が発言することは求められていないので、聞き役に徹していて不自然ではない。他人の悪口は笑って聞いている。さんざん悪口をいった後で「それでもあの人にはこういう良いところがあるわね。根はいい人なのよ」と必ずフォローが出る。この、フォロー出現の賢さで、このサークルが十年間続いてきたのだと思う。

 本日の欠席者のうち、標的はユミさん。ユミさんはディナーショウだかのリハーサルがあるとかで欠席した。ユミさんは、専業主婦から一念発起、歌手として仕事を始めた人。専業主婦やパート主婦が主流のこのサークルの中では目立つ存在だ。
 ユミさんは、サークルの創立メンバーのひとり。「私がいるからこの会はもっているのよ。私が出演しなかったら、このサークルの発表会なんか誰も見にきやしない」と宣言しつつ、会の運営方針もあくまでも自分の意向で決めていこうとするので、モメごとはいつもここらへんから起こる。

 練習のあとのミーティングタイムに、ユミさんが発言を求めた。「十一月一日に(先生の教え子が出演する)文化祭ダンス発表を見にいったが、出演者に贈る花束代を見にいった人たちで割勘にした。サークルの仲間が出演しているから、忙しい中時間をやりくりして電車賃をつかって、見にいってやるのだから、花束代など個人負担すべきでなく、会費からだしたらどうか」という趣旨だった。

 文化祭公演にミワコ先生の主宰する「ミワコダンスグループ」の人たちが出演し、サークルメンバーも『アメリカアメリカ』の曲で踊った。サークルの会員たちは、毎年連れだって見に行く。私は、蜜柑の文化祭があったので行かなかったのだが、ユミさんはめずらしくいっしょに行ったのだ。

 これに対して、花束をもらった側の主婦たちは怒り心頭「花束代と電車賃が惜しいのならアタシ現金かえすわよ。お花ちょうだいなんて言ってないわ。」といきまく。
 花束をもらった側のなかで久さんは、サークルのなかで一番年上で、孫が四人もいる人だが、いつもひかえめでおとなしい。一方きりこさんは「ユミさんから花束もらったとき『いつもは私が受け取る側なのに、今日は逆だわね』っていわれて、久さんだっていやな気がしたのよね」と、久さんにも同意を求める。

 ユミさんは子育てが一段落してから趣味のシャンソンを生かし、何度かリサイタルを開いて、今ではプロの歌手として活動するようになっている。十年間いっしょにダンスサークルを続けてきた主婦たちは、まだシロウトだったユミさんのリサイタルにつきあい、拍手をおくり花束を贈ってきたのだ。
 「今までユミさんに何度花束贈ったって、花代が惜しいなんて言ったことないわよ」と、きりこさんは怒る。

 ユミさんには「私はいまやプロの歌手であり、他の主婦たちとは違うのだ」という誇りがあり、「このサークルは私が中心になっているから十年間つづいているのだ」という気持がある。
 他の主婦たちにすれば、「私たちが一生懸命応援してプロへの道も開けたのだし、いくら歌の世界ではプロといっても、サークルの中では他のメンバーと平等の一会員にすぎない。ユミさんが会の運営を自分の気持しだいでやっていこうとするのは、がまんできない」と思っている。

 先日の文化センター祭でのダンスでも、ユミさんがその日の気分であれこれ指図し決めていこうとするので、他の会員は不平タラタラだった。
 そのほか、「ユミさんにこう言われて頭にきた」とか「ユミさんが私にこのように言ったのはいくら冗談としてもひどい。」とか、悪口大会。私は謹んで拝聴。

 私は面白がって聞いていたが、私自身はユミさんの強烈な個性もいやではない。芸の道を志し、自分の芸を売って生きていこうとする人の個性は面白くて好きだ。だれより自分が一番と思い、自分を通そうとしなければ、芸能の世界にしろうとの一主婦が入り込めはしない。

 ユミさんの冗談は、笑いの中にぐさりと人を刺すことがある。
 皆がフラメンコの衣裳をつけてセビジャーナスの練習をしていたとき、私はフラメンコのスカートなどもっていないから、ありあわせの長いスカートをはいて踊っていた。ユミさんはすかさず「ちょっとアナタ、それはシンデレラが床掃除するときのスカートだわよ。そういうスカートはいていると、踊るよりモップでも持って掃除したくなってくるでしょ。」と、のたもうた。
 たしかにヒラヒラとレースがいっぱいついているフラメンコのスカートにくらべれば「お掃除用スカート」に見えるのかと、おかしくなって私もハハハと笑った。

 しかし、シンデレラになりたかった人が、12時をすぎて「白馬の王子を待ち続けても、かぼちゃの馬車もダンスパーティもなく、ガラスの靴を履くこともなかった自分」に気づいてしまった後だとしたら、そして「つつましやかに家事をこなし子供を育てて一生を終わる主婦ではあきたらない自分」と思っていたら、笑っただけでは終わらない。
 「踊るよりモップ持ってお掃除しているほうが似合う」と言われて、ハハハと笑ったあとに苦い思いが広がったかもしれない。
 私は人間ができていないから、笑ったあと「モップで床掃除のほうが似合う女ですみませんね。でも私は自分一人でもステップふんで踊るんだ」と、思う。

 シンデレラ症候群。いつかやってくる王子様が、今の自分の境涯を変えてくれるだろうと、待ち望む。「いつか誰かが、今よりもましな人生を与えてくれる」ことを待ち続ける人のシンドローム。
 でも、シンデレラ希望者の多くは、一生、華やかなダンスパーティで王子様とステップを踏むこともなくすごすことになる。

 子育てが一段落したジャズダンスサークルの主婦たちは、それぞれ、元銀行員の経歴を生かして信用金庫のパート事務をするとか、病院の看護助手をするとか、保険とかパートの仕事を始めている。しかし何といっても、歌手として再出発したユミさんほど華やかなスポットを浴びている人はいない。
 主婦たちがユミさんを非難するときの熱気の中に、平凡な主婦たちの満たされなかった人生への思いがこもっているように感じる。「自分もお城へ行きたかったのに、ガラスの靴を履けなかった」という「シンデレラになれなかった症候群」。
 でも、ユミさんは王子様を待っていたのではない。歌手への道を自分で切り開いたのだ。

 私は、シンデレラシンドロームとは無縁に生きてきた。最初から「王子様は私のところにはやってこない」とサメていた。やりたいことがあれば、王子様に助けてもらわずとも、自分の力を試してみようとした。今まで試した力のすべてが失敗であったのは「残念でしたね」というしかないけど。
 地方公務員一年半で退職。臨床検査士一年半で退職。英文タイピスト五か月。中学校の国語科教員三年。劇団の役者三か月。フリーライター一年。日本語教師一年半。私の失敗の記録。でも、この転職の記録が私の人生だ。

 臨床検査士も日本語教師も、ちゃんと正式な資格試験に合格して就職したのだというと、親戚中から「せっかく一生ものの資格を得ても、まっとうしなければ何にもならない」と非難ごうごうだ。定年退職まで一つの職を全うすることを人生と思っている人たちが多数派の親戚たち。やっとひとつの職に慣れたころ次の転職資格をとる、という生き方は、「人生敗残記録」としか見てもらえない。
 シンデレラ姫にも白雪姫にもならなかったけど、せめてトラバーユの女王と自己規定しよう。「女王様とお呼び!」

 私がユミさんに反発を感じずに、プロとしてがんばってほしいと思えるのは、私もいつか、したいことを仕事にして、プロになりたいという夢だけは持ちつづけようと思うからだ。夢はいつかはかなう。ドリームズカムトゥルー。

 悪口大会を終えて、主婦たちは「ああ、言いたいこといってスッキリした。」といいつつ帰宅した。主婦たちのお手軽なカタルシス。明日は、晴れたらいいね!


1992年の私(左)と歌手のゆみさん(右)

1992年、マイケルジャクソンの「The Way You Make Me Feel」を踊る春庭。40代は今よりずっと細かった。なんとかむずかしい振り付けを踊りきろうとする必至の形相が笑えます。

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もんじゃ(文蛇)の足跡:2012/11/07のツッコミ
 Aダンスィングのメンバーの練習後ランチ会、1992年から20年がたっても、相変わらずユミさんへの悪口はランチ会おしゃべりのメインテーマです。

 この夏休みに練習とランチ会に参加したときは、毎夏恒例になっているユミさんのプリンスホテルディナーショウが悪口のタネでした。チケット収入減少のため、ビュッフェの質が落ちて、ろくな食べ物がなかった、という話題に終始しました。「誰よりも歌はうまいのに、衣裳や食べ物をケチると、ショウがみすぼらしく思える」というのが、ディナーショウを毎年見に行っている人の感想。私は4月に行われた「歌手生活25周年記念リサイタル」を聞きに行っただけで、ディナーショウは高いから過去に一度行っただけ。

 でも、素人主婦たちのジャズダンスサークル、Aダンスィングが30年も続いているのは、悪口を言ってもそれが決して冷たくはなく、笑いと本質的な思いやりがあるからだと思います。ディナーショウの感想でも、「ユミさん、このところ太ったので、衣裳がパッツンパッツンだった」という悪口は言っても、「さすがに歌はうまい」と、フォローがある。

 ユミさんがいないときはユミさんをこきおろし、私がいないときは私の貧乏ぶりや服装のセンスのなさを笑いのタネにしておしゃべりをしていることで、介護に疲れたり夫との不和の生活のガスぬきをして、元気の素を作り出しているのが、Aダンスィングのランチ会。ミサイルママがいないときは「若い時に美人だった人ほど、皺が増えたりして容色衰えるとつらいわよね」と言われていた。いない人は必ずサカナにされる。

 わたしは、どれだけ悪口を言われても、笑いものにされても、このサークルのメンバーを嫌いになることはなかった。だから、水曜昼の練習には参加できなくなった今も、春休み夏休みには練習にゲスト参加して、ランチ会にも一度はつきあう。30代だった主婦たちが、全員60代になっても、元気に踊っている姿を見ているだけでも、こちらも元気になってきます。

 私は相変わらず「e-Naちゃんの踊っている姿、子豚がころがっているみたいで、かわいいわよ」なんて言われても気にせずころがっています。

 あ~1992年に「いつか、したいことを仕事にしてプロになりたい」と願った仕事は、まだ遠い先の夢です。(目標は吉野せいさんです)

<つづく>
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