20150607
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(1)2003年の星野道雄展
12年前のひつじ年2003年の日記再録を続けています。2003年6月の三色七味日記です。
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2003/06/01 日 曇り
日常茶飯事典>星野道夫展
娘と横浜へ。横浜高島屋で「星野道夫展」を見た。最終日とあってとても混んでいた。アラスカの大自然は美しく、動物たちは生き生きとした表情をみせている。
もっとゆっくり回れたらよかったのだが、あまりの混みように、早々に会場をでて、となりで開催されていた山形物産展で息子へのおみやげを買って帰る。横浜中華街で何か食べて帰るというわけだったが、混み混みの会場を回ってすっかり疲れたので、何も食べないで帰った。
本日のつらみ:伝説の人になってしまうより、もっともっと生きてアラスカシベリアを撮ってほしかった
2003/06/02 月 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>娘義太夫
漢字と作文2コマ。
夕方、阿子さんと待ち合わせ、ジュースコーナーで一休みしたあと、御徒町へ。視覚障害者と、ヘルパー、ボランティアなどの一団、十余人。今日は義太夫協会からのご招待。御徒町広小路亭で、「娘義太夫」を聞いた。
女義太夫(略して女義=じょぎ、と呼ぶのだそうです)はおろか、そもそも義太夫を単独の公演で聴いたことがない。歌舞伎文楽とともに聞くことはあったが。
義太夫だけを聴いたのは、はるか40年以上昔のこと。祖父の竹が「農村歌舞伎」の練習をしているのを脇で聞いたことがあった。竹が収入のほとんどを「農村歌舞伎」復興のために衣装やら三味線やらを買う費用につぎ込んでしまうことで、祖母梅は泣き通し。実家に残っている長女の松には言えない愚痴をこぼすために、嫁に出した娘である私の母のところ来ていた。だから、私は義太夫と聞くと、祖母が愚痴をこぼしている姿を思い出してしまう。
娘義太夫を初めて聞いた。
「義太夫を広く知ってもらうためのプログラム」編成なので、「宇宙戦艦大和」を太棹で連れ弾きするというおまけまであった。(まあ、宇宙戦艦大和は、やはり佐々木功歌入りオーケストラのほうがいいと思うけれどけれど)
阿子さんたちは「語られていることばはよく分からないけれど、すごく迫力があって感動した」と言っていた。
声の迫力、語りの魅力。今日は、ボランティアとしてたまたま聞くことになったのだが、また、聞きたいと思った。
朗読を義太夫みたいに、音楽伴奏入りでにぎやかに楽しめたらいいなあと思う。
現在図書館などで行われている朗読会は、なにやら教養主義ふんぷんで、朗読している人たちも、知的な趣味を求める奥様たちや、生き甲斐探しにリキが入った定年退職組が多くて、「楽しく気軽に聞ける」という雰囲気がない。
寝っ転がって聞いていたり、ビール飲みながら聞く、昔の下町の寄席みたいに朗読も楽しめたらいい。明治に大衆娯楽の花形として娘義太夫があったように、花形とまではいかなくても、「朗読」が観客の目の前で語ったり歌ったり、気軽に楽しめたらいいのに。
近頃では落語も「教養講座」扱いである。
本日のそねみ:女義の鍛えた声、うらやまし
2003/06/03 火 晴れ
ニッポニア教師日誌>授業
漢字、SFJ、会話、3コマ。
ひつじから電話。6月6日に入籍し、結婚式は来年の4月ごろという。
本日のなやみ:結婚祝い預金をはじめよう
2003/06/04日 水 小雨
ニッポニア教師日誌>模擬授業実習
午後、教授法2コマ。ドリル模擬授業実習。
教師役はそれぞれ教材を用意し、熱心にやっていたが、全員やっていることはリピート練習で、私がめざした「変形練習、代入練習、創造的会話練習をドリルでやってみる」というもくろみとは、ちょっとずれた。
私の説明不足。私が実演してみせてからドリル練習すればよかったが、私のを見てからまねするだけでは、自分の工夫する余地がなくなってしまう。創造的に自分で工夫したほうが面白いだろうと配慮したつもりが、逆になった。
創造的に工夫するにもやはり最初はマネからはじめることが、「まねぶ=まなぶ」ことである、という基本に立ち返るべきだった。
本日のねたみ:わたしが日本語教師になり始めた頃に比べれば、みんな手慣れている
2003/06/05 木 晴れ
ニッポニア教師日誌>授業
日本事情、作文2コマ。
7時に学バス停留所へ行くと、階段広場にはゴミが散乱している。昼休みにアンプなどを準備していたから、学生のライブに観客がたくさん集まったのだろう。たばこの吸い殻やパンお菓子の袋、ペットボトルの散乱を見ると、哀しくなる。
大学は、偏差値だけで「いい大学悪い大学」を決められるものではない。しかし、学内のゴミの多さ、歩きたばこや吸い殻投げ捨ての多さは、これまでに出講した5つの大学を比較する範囲の中では、偏差値に連動している。それがいっそう悲しい。
「自分の出したゴミは、その場所におきっぱなしにしないで、ゴミ箱に入れる」、これだけのことができない学生が集まっている学府。
清掃業者が朝までに掃除するのだろう。 しかし、「どうせ業者がそうじするんだから、自分のごみは投げ捨ててもいいや」と考える学生が多いことが「哀しい」のだ。たばこは喫煙コーナーで、と張り紙がしてある前を歩きたばこで通過し、吸い殻を投げ捨てて平気な学生にいちいち注意するのも、近頃疲れてきた。
「大学ランキング」などの大学紹介本で「ボーダーライン大学=定員割れしていて、だれでも入れる大学」スレスレ、などと紹介される大学に入ったのなら、意地でも「大学はブランド名だけじゃないんだ、入学後の学生の成長をみてくれ」と言うくらいの気概をみせてほしいのに。
たしかに中にはきらりと光る学生もいるのかもしれない。100人の中から一人の光っている学生を見つけだすのも教師の楽しみかもしれない。しかし、教官の中には「教育は非常勤にまかせて、自分たちは研究に専念」という人も多い。
私は教官じゃなくて、非常勤講師だから、どこであれ、仕事があれば全身全霊で仕事をしますがね。で、本日も全身全霊で疲れた。
本日のごみ:ごみの中にも宝はある、粗大ゴミ置き場の捨て家具、我が家で使っているものより立派
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20150607
土曜日も仕事。午後は出身校へ。卒業一期生から在学生まで集まった会なのに、学科卒業第1期生は、私のほかは母校教官になったひとりのみ。同期の人たちに会えるかと思って出かけたのに、残念。
帰宅したら、娘息子がAKB総選挙を見ていたので、いっしょに見ました。アイドルグループのトップを決めるファン投票が、けっこうな視聴率のとれる3時間半という長さのテレビ番組になっています。年若い女の子たちが、順位があがったさがったと泣いたりわらったりする番組。平和な国だなあと思うし、この平和な民主主義の国がこれからどうなっていくのだろうと、不安もあります。
憲法違反を指摘されてもなお、他国の戦争に加わわりたいという政府も、民主主義によって選ばれたのです。
いろいろな考え方があっていいし、議論は必要です。いろんな方のお話をうかがって、自分の考え方を深めていきたいです。
が、基本、原発と戦争はわたしの周りには存在してほしくないです。レトロだといわれても、アナログと言われても、アナクロニズムといわれても、私は私の考え方しかできないのです。自分で考えていくしかないと思います。
「1位をめざします」と、アイドル女子たちは叫んでいました。アナクロ女子も叫びます。「反原発、非戦をめざします」
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(1)2003年の星野道雄展
12年前のひつじ年2003年の日記再録を続けています。2003年6月の三色七味日記です。
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2003/06/01 日 曇り
日常茶飯事典>星野道夫展
娘と横浜へ。横浜高島屋で「星野道夫展」を見た。最終日とあってとても混んでいた。アラスカの大自然は美しく、動物たちは生き生きとした表情をみせている。
もっとゆっくり回れたらよかったのだが、あまりの混みように、早々に会場をでて、となりで開催されていた山形物産展で息子へのおみやげを買って帰る。横浜中華街で何か食べて帰るというわけだったが、混み混みの会場を回ってすっかり疲れたので、何も食べないで帰った。
本日のつらみ:伝説の人になってしまうより、もっともっと生きてアラスカシベリアを撮ってほしかった
2003/06/02 月 晴れ
ジャパニーズアンドロメダシアター>娘義太夫
漢字と作文2コマ。
夕方、阿子さんと待ち合わせ、ジュースコーナーで一休みしたあと、御徒町へ。視覚障害者と、ヘルパー、ボランティアなどの一団、十余人。今日は義太夫協会からのご招待。御徒町広小路亭で、「娘義太夫」を聞いた。
女義太夫(略して女義=じょぎ、と呼ぶのだそうです)はおろか、そもそも義太夫を単独の公演で聴いたことがない。歌舞伎文楽とともに聞くことはあったが。
義太夫だけを聴いたのは、はるか40年以上昔のこと。祖父の竹が「農村歌舞伎」の練習をしているのを脇で聞いたことがあった。竹が収入のほとんどを「農村歌舞伎」復興のために衣装やら三味線やらを買う費用につぎ込んでしまうことで、祖母梅は泣き通し。実家に残っている長女の松には言えない愚痴をこぼすために、嫁に出した娘である私の母のところ来ていた。だから、私は義太夫と聞くと、祖母が愚痴をこぼしている姿を思い出してしまう。
娘義太夫を初めて聞いた。
「義太夫を広く知ってもらうためのプログラム」編成なので、「宇宙戦艦大和」を太棹で連れ弾きするというおまけまであった。(まあ、宇宙戦艦大和は、やはり佐々木功歌入りオーケストラのほうがいいと思うけれどけれど)
阿子さんたちは「語られていることばはよく分からないけれど、すごく迫力があって感動した」と言っていた。
声の迫力、語りの魅力。今日は、ボランティアとしてたまたま聞くことになったのだが、また、聞きたいと思った。
朗読を義太夫みたいに、音楽伴奏入りでにぎやかに楽しめたらいいなあと思う。
現在図書館などで行われている朗読会は、なにやら教養主義ふんぷんで、朗読している人たちも、知的な趣味を求める奥様たちや、生き甲斐探しにリキが入った定年退職組が多くて、「楽しく気軽に聞ける」という雰囲気がない。
寝っ転がって聞いていたり、ビール飲みながら聞く、昔の下町の寄席みたいに朗読も楽しめたらいい。明治に大衆娯楽の花形として娘義太夫があったように、花形とまではいかなくても、「朗読」が観客の目の前で語ったり歌ったり、気軽に楽しめたらいいのに。
近頃では落語も「教養講座」扱いである。
本日のそねみ:女義の鍛えた声、うらやまし
2003/06/03 火 晴れ
ニッポニア教師日誌>授業
漢字、SFJ、会話、3コマ。
ひつじから電話。6月6日に入籍し、結婚式は来年の4月ごろという。
本日のなやみ:結婚祝い預金をはじめよう
2003/06/04日 水 小雨
ニッポニア教師日誌>模擬授業実習
午後、教授法2コマ。ドリル模擬授業実習。
教師役はそれぞれ教材を用意し、熱心にやっていたが、全員やっていることはリピート練習で、私がめざした「変形練習、代入練習、創造的会話練習をドリルでやってみる」というもくろみとは、ちょっとずれた。
私の説明不足。私が実演してみせてからドリル練習すればよかったが、私のを見てからまねするだけでは、自分の工夫する余地がなくなってしまう。創造的に自分で工夫したほうが面白いだろうと配慮したつもりが、逆になった。
創造的に工夫するにもやはり最初はマネからはじめることが、「まねぶ=まなぶ」ことである、という基本に立ち返るべきだった。
本日のねたみ:わたしが日本語教師になり始めた頃に比べれば、みんな手慣れている
2003/06/05 木 晴れ
ニッポニア教師日誌>授業
日本事情、作文2コマ。
7時に学バス停留所へ行くと、階段広場にはゴミが散乱している。昼休みにアンプなどを準備していたから、学生のライブに観客がたくさん集まったのだろう。たばこの吸い殻やパンお菓子の袋、ペットボトルの散乱を見ると、哀しくなる。
大学は、偏差値だけで「いい大学悪い大学」を決められるものではない。しかし、学内のゴミの多さ、歩きたばこや吸い殻投げ捨ての多さは、これまでに出講した5つの大学を比較する範囲の中では、偏差値に連動している。それがいっそう悲しい。
「自分の出したゴミは、その場所におきっぱなしにしないで、ゴミ箱に入れる」、これだけのことができない学生が集まっている学府。
清掃業者が朝までに掃除するのだろう。 しかし、「どうせ業者がそうじするんだから、自分のごみは投げ捨ててもいいや」と考える学生が多いことが「哀しい」のだ。たばこは喫煙コーナーで、と張り紙がしてある前を歩きたばこで通過し、吸い殻を投げ捨てて平気な学生にいちいち注意するのも、近頃疲れてきた。
「大学ランキング」などの大学紹介本で「ボーダーライン大学=定員割れしていて、だれでも入れる大学」スレスレ、などと紹介される大学に入ったのなら、意地でも「大学はブランド名だけじゃないんだ、入学後の学生の成長をみてくれ」と言うくらいの気概をみせてほしいのに。
たしかに中にはきらりと光る学生もいるのかもしれない。100人の中から一人の光っている学生を見つけだすのも教師の楽しみかもしれない。しかし、教官の中には「教育は非常勤にまかせて、自分たちは研究に専念」という人も多い。
私は教官じゃなくて、非常勤講師だから、どこであれ、仕事があれば全身全霊で仕事をしますがね。で、本日も全身全霊で疲れた。
本日のごみ:ごみの中にも宝はある、粗大ゴミ置き場の捨て家具、我が家で使っているものより立派
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20150607
土曜日も仕事。午後は出身校へ。卒業一期生から在学生まで集まった会なのに、学科卒業第1期生は、私のほかは母校教官になったひとりのみ。同期の人たちに会えるかと思って出かけたのに、残念。
帰宅したら、娘息子がAKB総選挙を見ていたので、いっしょに見ました。アイドルグループのトップを決めるファン投票が、けっこうな視聴率のとれる3時間半という長さのテレビ番組になっています。年若い女の子たちが、順位があがったさがったと泣いたりわらったりする番組。平和な国だなあと思うし、この平和な民主主義の国がこれからどうなっていくのだろうと、不安もあります。
憲法違反を指摘されてもなお、他国の戦争に加わわりたいという政府も、民主主義によって選ばれたのです。
いろいろな考え方があっていいし、議論は必要です。いろんな方のお話をうかがって、自分の考え方を深めていきたいです。
が、基本、原発と戦争はわたしの周りには存在してほしくないです。レトロだといわれても、アナログと言われても、アナクロニズムといわれても、私は私の考え方しかできないのです。自分で考えていくしかないと思います。
「1位をめざします」と、アイドル女子たちは叫んでいました。アナクロ女子も叫びます。「反原発、非戦をめざします」
<つづく>