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ぽかぽか春庭「再録・炎天」

2017-08-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170806
ぽかぽか春庭今日のいろいろ>再録・夏色に命輝く(4)炎天

 2004年にUPした「夏色に命輝く」を再録しています。

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ポカポカ春庭のいろいろあらーな
2004/08/06 今日の色いろ=夏色に命輝く(5)炎天

 「炎帝」のほか、暑さが燃え上がるような炎のつく季語「炎天」


炎天の犬捕り低く唄ひだす(西東三鬼)

 三鬼の「炎天~」を、山本健吉は「ハムレットのセリフを思い出す」と、評している。
 墓掘り人夫が唄いながら掘り続けるようすを、ハムレットがながめて言う。「あいつは自分の仕事に何の感情も持たないのか?」ホレーショが答える。「慣れてしまえば何も感じなくなるんです」

 山本の評の要約。「血塗られた手として仕事を続けるうちに鼻唄さえ出てくる犬捕りを、三鬼は背筋のぞっとするような感覚を受け取っているが、それだけではなく、犬捕りへの親近感も表現されている」。
 親鸞が「わが心のよくて殺さぬにはあらず」と言ったのと同じ内省が、三鬼の「低く唄いだす」から見えてくる、と山本は言う。
 
 私は、この句から辺見庸のエッセイを思い出す。
 辺見は、火事のように真っ赤な色をみせるつつじ花壇に目をとめる。「今猩々」という種類のつつじという。
 その花壇は、保健所が集めた野犬の処理場の中にあった。野犬といっても、ほとんどは人が捨てた犬。

 不要になって捨てられた犬たちを、男は毎日黙々と殺し、焼き続ける。仕事だから。
 男は仕事のあいま、つつじの手入れに余念がない。肥料をやり、より色鮮やかな花を咲かせようと苦心する。犬を焼却処分した灰は、よい肥料になるのだという。
 辺見の目に、躑躅(つつじ)は「巨大な血溜まり」のように見えてくる。(『独航記』の中の「躑躅の男」)

 ハンターに捨てられた猟犬。年をとって役にたたなくなったから、不要。マンションで洋服を着せられ冷暖房の中で愛玩されたペット。引っ越し先はペット不可だから、もういらない。引っ越しのとき、燃えるゴミといっしょに捨てる。
 人間の都合で、「燃えるゴミ」のように捨てられ、ゴミよりも「養分のある肥料」になる灰。

 猟犬の髑髏の灰も、チワワの細い骨の灰も、花壇にまかれ、色鮮やかな躑躅に変わる。
 「躑躅(つつじ)という漢字は、髑髏(どくろ)という字に似ている」と言った漢字マニアの留学生がいた。

 犬殺しをせぬのも、人質の首を刎ねぬのも、「わが心のよくて殺さぬにはあらず」。
 ある炎熱の日には、自分の手が「血溜まりの花」を摘むことにならぬとは、誰が言えようか。いや、人々は今日もこの炎天に「戦争のために使う税金」を払うために、せっせと稼いでくる。すでに、躑躅と髑髏は重なっている。

 8月6日に、「水をください」と叫びながら炎熱地獄のなかに死んでいった人々を忘れてしまうなら、私たちの手もまた、血溜まりの花をつかんでいるのだろう。

 一瞬の閃光に焼き尽くされていった人の無言の叫びを聞く耳もたず、「武器を売るのも経済活動」と言う人たちを認めてしまうなら、私の手もまた、、、、。


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20170806の付けたし
 72年目の8月6日。ただ,祈ります。忘れない。

 
<つづく>
コメント (2)
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