20170829
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>家族映画(5)ムーンライト
ギンレイホールで見る個人的「夏の映画祭」、今回は「ムーンライト」です。
「ムーンライト」原作:タレル・アルヴィン・マクレイニー 脚本:マクレイニー&ジェンキンス 監督:バリー・ジェンキンス 出演:アレックス・ヒバート アシュトン・サンダース トレヴァンテ・ローズ
第89回アカデミー賞 作品賞、助演男優賞(マハーシャラ・アリ)、脚色賞
アカデミー作品賞の映画だから、ギンレイにはかからないかなあと思っていたら、日本公開の4月から4か月で上映。アカデミー賞取る前に買い付けていたのかも。もっとも,作品賞をとったからといっても,大ヒットするような娯楽作品ではないから,4か月の間に日本でどれほど売れたのやらはわからない。
以下,ネタバレを含む感想です。
この映画の「家族」は、主人公シャインとその母ポーラであるけれど、ヤク中の母親は育児放棄。ポーラよりも,シャインにとって家族なのは、ヤク売人のフアンと彼のガールフレンドのテレサです。子供には、子供の心を庇護する「援助者」が必要で、フアンは、幼いいじめられっ子のシャインの心を守っています。
シャインの成長を追っていくのがテーマのひとつですが,シャインとフアン,シャインとクラスメートのケヴィンの関係性がシャインの成長に大きな意味を持ちます。
マッチョな俳優であったレーガンが大統領になると「家族の価値」がアメリカ全土で至上の価値とされます。シャインは,「家族の価値」へのアンチテーゼでもあると思います。
ララランドをおさえて作品賞を獲得した背景には,反家族やLGBTに理解なさそうな大統領が選ばれた時代へのアメリカ映画界の意識のひとつかもしれない,といううがった感想を持ちながら,8月21日,飯田橋ギンレイホールで観覧。(トランプはアンチLGBTを前面に出すことはしませんでしたが,ペンス副大統領は反LGBTの人物です)
監督のジェンキンスはゲイではないみたいですが,原作共同脚本のマクレイニーはゲイをカミングアウトしています。
ストーリーは3章に別れていて、3つの世代のシャインが3人の俳優によって描かれています。舞台となったフロリダ州リバティシティ。自由の街という名の土地なのですが。
1章 シャインは,リトル(チビ)とあだ名をつけらた10歳のいじめられっ子です。リトルと対等に付き合ってくれるケヴィンと世話をしてくれるフアンがいるので,母親の虐待や育児放棄の生活でも生きています。いじめの原因は「女っぽい」ことでした。
2章 16歳に成長したシャイン。ケヴィンは,やはりたった一人の味方で,シャインをブラックと呼びます。ケヴィンだって黒人なんですけれど。ふたりは互いに心通わすことができたと感じることがあったけれど,学校でのいじめは拡大し,いじめグループのボスは,ケヴィンにシャインを殴るように命じます。抗えずシャインを殴るケヴィン。二人の友情は終わります。殴った者の名を明かさなかったシャインは,のちにいじめのボスを殴り,そのために少年院送りに。
シャインの成長にはさまざまな問題があるけれど,もし家庭にいたままだったら,シャインはアルコール依存症麻薬依存症の子供たちが,そうなる可能性が高い「アダルトチルドレン」として成長したかも。
3章 少年院を出て以来、シャインは,フアン亡きあと,フアンと同じヤク売人として生活しています。ある日,ケヴィンから連絡を受け,彼が働くマイアミへ向かいます。
アフリカ系アメリカ人の少年が,アフリカ系しかもLGBTの二重のマイノリティを抱えた自分自身のアイデンティティをどう構築していくのか。
「家族映画」というくくりで「春庭的夏み映画祭り」の観覧感想をのべてきました。
「ムーンライト」は、家族の中でなく成長し自分自身を見つめていくゲイ男性のストーリーでした。どのような環境であれ,人が自分自身のアイデンティティを認め,周囲を理解しようとしながら生きていくこと,それは,ラストシーンの月光の光の中のように,美しい。
LGBT撲滅主事者のペンスが副大統領になるような社会で,この映画がつくられ作品賞を受けることができるアメリカ社会。病んでいるといわれ続けて来ましたが,それでもなお,権力と反対の意見を持つ者たちは、映画を作り、人々に訴えることができる。
一方、海の対岸では、「反原発」とか「反核」という文言が入っていると、集会予定だった公共の施設が「他の予約がいっぱいで」などという理由で断られてしまうという大政翼賛社会になりつつある。ウソだと思うなら、あなたの市の公共貸し出し施設で「反原発、反モリカケ」なんてタイトルの集会を開くとして施設利用を申し込んでごらんあそばせ。
それを受け入れてくれる市や区であるなら、きっと私には住みごこちがいいでしょう。
来月あたまも、映画感想が続きます。
<つづく>
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>家族映画(5)ムーンライト
ギンレイホールで見る個人的「夏の映画祭」、今回は「ムーンライト」です。
「ムーンライト」原作:タレル・アルヴィン・マクレイニー 脚本:マクレイニー&ジェンキンス 監督:バリー・ジェンキンス 出演:アレックス・ヒバート アシュトン・サンダース トレヴァンテ・ローズ
第89回アカデミー賞 作品賞、助演男優賞(マハーシャラ・アリ)、脚色賞
アカデミー作品賞の映画だから、ギンレイにはかからないかなあと思っていたら、日本公開の4月から4か月で上映。アカデミー賞取る前に買い付けていたのかも。もっとも,作品賞をとったからといっても,大ヒットするような娯楽作品ではないから,4か月の間に日本でどれほど売れたのやらはわからない。
以下,ネタバレを含む感想です。
この映画の「家族」は、主人公シャインとその母ポーラであるけれど、ヤク中の母親は育児放棄。ポーラよりも,シャインにとって家族なのは、ヤク売人のフアンと彼のガールフレンドのテレサです。子供には、子供の心を庇護する「援助者」が必要で、フアンは、幼いいじめられっ子のシャインの心を守っています。
シャインの成長を追っていくのがテーマのひとつですが,シャインとフアン,シャインとクラスメートのケヴィンの関係性がシャインの成長に大きな意味を持ちます。
マッチョな俳優であったレーガンが大統領になると「家族の価値」がアメリカ全土で至上の価値とされます。シャインは,「家族の価値」へのアンチテーゼでもあると思います。
ララランドをおさえて作品賞を獲得した背景には,反家族やLGBTに理解なさそうな大統領が選ばれた時代へのアメリカ映画界の意識のひとつかもしれない,といううがった感想を持ちながら,8月21日,飯田橋ギンレイホールで観覧。(トランプはアンチLGBTを前面に出すことはしませんでしたが,ペンス副大統領は反LGBTの人物です)
監督のジェンキンスはゲイではないみたいですが,原作共同脚本のマクレイニーはゲイをカミングアウトしています。
ストーリーは3章に別れていて、3つの世代のシャインが3人の俳優によって描かれています。舞台となったフロリダ州リバティシティ。自由の街という名の土地なのですが。
1章 シャインは,リトル(チビ)とあだ名をつけらた10歳のいじめられっ子です。リトルと対等に付き合ってくれるケヴィンと世話をしてくれるフアンがいるので,母親の虐待や育児放棄の生活でも生きています。いじめの原因は「女っぽい」ことでした。
2章 16歳に成長したシャイン。ケヴィンは,やはりたった一人の味方で,シャインをブラックと呼びます。ケヴィンだって黒人なんですけれど。ふたりは互いに心通わすことができたと感じることがあったけれど,学校でのいじめは拡大し,いじめグループのボスは,ケヴィンにシャインを殴るように命じます。抗えずシャインを殴るケヴィン。二人の友情は終わります。殴った者の名を明かさなかったシャインは,のちにいじめのボスを殴り,そのために少年院送りに。
シャインの成長にはさまざまな問題があるけれど,もし家庭にいたままだったら,シャインはアルコール依存症麻薬依存症の子供たちが,そうなる可能性が高い「アダルトチルドレン」として成長したかも。
3章 少年院を出て以来、シャインは,フアン亡きあと,フアンと同じヤク売人として生活しています。ある日,ケヴィンから連絡を受け,彼が働くマイアミへ向かいます。
アフリカ系アメリカ人の少年が,アフリカ系しかもLGBTの二重のマイノリティを抱えた自分自身のアイデンティティをどう構築していくのか。
「家族映画」というくくりで「春庭的夏み映画祭り」の観覧感想をのべてきました。
「ムーンライト」は、家族の中でなく成長し自分自身を見つめていくゲイ男性のストーリーでした。どのような環境であれ,人が自分自身のアイデンティティを認め,周囲を理解しようとしながら生きていくこと,それは,ラストシーンの月光の光の中のように,美しい。
LGBT撲滅主事者のペンスが副大統領になるような社会で,この映画がつくられ作品賞を受けることができるアメリカ社会。病んでいるといわれ続けて来ましたが,それでもなお,権力と反対の意見を持つ者たちは、映画を作り、人々に訴えることができる。
一方、海の対岸では、「反原発」とか「反核」という文言が入っていると、集会予定だった公共の施設が「他の予約がいっぱいで」などという理由で断られてしまうという大政翼賛社会になりつつある。ウソだと思うなら、あなたの市の公共貸し出し施設で「反原発、反モリカケ」なんてタイトルの集会を開くとして施設利用を申し込んでごらんあそばせ。
それを受け入れてくれる市や区であるなら、きっと私には住みごこちがいいでしょう。
来月あたまも、映画感想が続きます。
<つづく>