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ぽかぽか春庭「再録・晩夏」

2017-08-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170812
ぽかぽか春庭今日のいろいろ>再録・夏色に命輝く(7)晩夏

 2004年UPの「夏色に命輝く」を再録しています。
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ポカポカ春庭の「いろいろあらーな」
2004/08/11 夏色に命輝く (6)晩夏

 夏の末。「晩夏」「夏深し」「夏終わる」


紅くして黒き晩夏の日が沈む(山口誓子)
さらば夏の光よ男匙洗う(清水哲男)
晩夏光刃物そこらにある怖れ(大野林火)

 「刃物そこらにある怖れ」も、現実のナイフや包丁などの刃物というより、心をつきさす言葉などもふくめた、作者の心象の中の刃物ではないかと思う。
 しかし、今年の夏ばかりは、この句から悲しい事件を連想してしまう。

 7月18日、夏休み入りに先立ち、長崎県佐世保市コミュニティセンターで「怜美さんとのお別れの会」が開かれた。小6同級生殺害 御手洗怜美さんにヒマワリを捧げ、冥福を祈る。夏休みを暗くすごすことのないように、クラスメートたちに心の区切りをつけてほしいから、と怜美さんのお父さんから申し出があって開催された会という。

 怜美さんのお父さんから子どもたちへ「あなたたちのすぐそばに、あなたたちを一番愛している人がいることを忘れないでください。死という形でなくても、あなたたちが目の前からいなくなったら悲しむ人がいることを決して忘れないでください。そして自分の人生を大切に生きてください」

 クラスメートたち、楽しく明るい夏休みを過ごしているだろうか。

 小学生中学生が関わる事件が増えてきた中、この佐世保事件とマレーシアからの転入女子生徒による新宿男児突き落とし事件など、夏の間もずっと心にひっかかていた。再び、親鸞の言葉が身に染みる。「わが心のよくて殺さぬにはあらず」
 生徒集団の中に、心の居場所がなかったという新宿の加害女生徒。だれひとり、この女生徒の心に寄り添う人がいなかったなんて、、、、。

 自分が加害側になることの怖れもなしに「クラスではみんな仲良くいたしましょう」「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」と、お題目を教室標語として貼っておれば事足りて、世はなべて何事もなしと、優雅に夏休みをすごせる人もいるが、、、、。

 映画『16歳の合衆国』を見た。
 もの静かで内気な知性的高校生、16歳のリーランドが、ガールフレンドの弟ライアンを殺してしまう。知的障害をもつライアンを施設から家までおくってやったり、仲良くしていた彼がなぜ?誰にも理由が分からない。

 リーランドは犯罪少年の矯正施設に収容され、パール教官の担当クラスになった。パールから渡されたノートには、自由の女神の写真が表紙にあしらわれ「United States」とタイトルがある。
 リーランドはその下に of Leland と書き込む。「リーランドの合衆国」でもあるし、「統合されたリーの土地」「リーランドの統一された状態」でもある。

 リーランドは「人生は、寄せ集められた断片の総和より大きい」ということばを、心に深くとめている。
 断片をひとつひとつ寄せ集めて、リーランドは心の中をノートにつづる。

 大人たちは少年犯罪の理由を知ろうとする。理由を知って「親子関係に問題がある」とか「イジメが原因」などの理由をつければ、罪を犯した心を理解した気になって安心する。

 しかし、ひとりの人間の心の奥底、心理の統一された状態など、カウンセリングしたからといって、わかるものではないだろうし、本人にも説明しきれないのかもしれない。人の心の闇をすべて明らかにすることはできないのだろう。

 「哀しみに満ちた人生」がキーワードのひとつとなっている映画だが、見終わっても哀しみの塊がずしりと心に重い。ラストの哀しみもカタルシスにはならない。

 だれも、自分は絶対に正しく、人を傷つけることなどないまま生きていると、いい切れはしない。だれも、心の中に闇の部分を持っている。
 どこにも「罪持つ人を、石もて打つ資格」のある人は、いない。

 だれも心の中に刃物あるをおそれ、そこらに刃物あるをおそれながら命をみつめる。
 夏は命の季節。命をみつめ命を育み、命を鮮やかな色に染め上げる季節。
 すべての生きとし生けるものの命が、何よりも子供たちの命が、輝く夏色でありますように。

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20170812の付け足し
 映画のほとんどは、飯田橋のギンレイホールにかかったものを、夫の会社のシネマパスポートを借りてみることにしているのだけれど、『16歳の合衆国』は、ギンレイの上映作品リストには入っていなかった。ということは、ロードショウで見たことになります。なぜ、この映画を2004年にみようと思ったのかは、思い出せない。おそらく、長崎の同級生女児殺人事件殺人犯となった未成年の心情を知りたいと思ったのかもしれないけれど。

 2016年夏に起きた相模原障害者施設殺傷事件。
 元施設職員の男A(犯行当時26歳)が障碍者施設やまゆり園に侵入し、刃物で19人を刺殺、26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件。事件から1年がすぎて、さまざまな検証も行われてきたけれど、加害者の心の闇は私たちには計り知れません。
 加害者家族は、事件の前から加害者から離れて暮らしていたのだそうだけれど、教師をしていたという加害者の親も解決不可能な苦しみの中にいるのではないかと思います。

 19人の被害にあった方たちの1周忌。「どの命も平等に価値がある」というお題目を並べるだけでは、また第2のやまゆり園事件が起きるように感じます。なぜなら、「命に差をつける」考え方の人が、若い世代にいるし、政治家にもいるのですから。(かって重度障害児の施設で「この人たちに生きる価値があるのか」と発言した元都知事は、やまゆり園事件に対しても、「加害者の考え方も理解できる」と発言しています、(要検証:『文學界』2016年10月号128ページ)

 夏の暑さは日ごとに薄らいでいくのでしょうが、心のやりきれなさは、暑さとともに減っていくわけではありません。
 ただひとつ言えるのは、「この命に価値があるかどうか」とは、決して人間が判断すべきことではない、ということ。

 沖縄にもフィリピンにも墜落したオスプレイを沖縄の空に発着させ続けさせるという政治家は、おそらく、本土の命より沖縄の命のほうが「軽い」という価値観を持っているからこその決断なのでしょう。オスプレイ、必要だったら羽田から発着させてください。都民のひとりとして、頭の上をオスプレイが通過することに反対しませんから。
 東北の震災が「田舎でよかった、都会ならたいへんだった」という「失言大臣」、内閣一同のホンネと思います。
 原発でふるさとに帰れない人が、慣れない土地で病むことになっても、「軽い命」の持ち主へはお金で保障しさえすればいいという了見が透けてみえます。
 原発、必要なら東京の新海面処分場埋立地あたりに数基立ててください。東京の電気は、東京自前でまかないましょうよ。

<つづく>
コメント
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