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ぽかぽか春庭「再録・朱夏」

2017-08-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170810
ぽかぽか春庭今日のいろいろ>再録・夏色に命輝く(7)朱夏

 2004年8月の「夏色に命輝く」再録を続けています。

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ポカポカ春庭のいろいろあらーな
2004/08/02 今日の色いろ=夏色に命輝く(2)朱夏

 「朱夏」は、青春と白秋の間。四季のひとつ。また、青春時代に続く人生のひととき。真っ赤な太陽の色がイメージされる。


 描きて赤き夏の巴里をかなしめる 石田波郷

 小説『朱夏』は、宮尾登美子の自伝的作品。少女時代を描いた『櫂』に続く、結婚後の時代を描いている。
 結婚し(旧)満州に渡った二十歳の綾子が、赤ん坊をつれて敗戦の夏を生き抜く、激しい朱夏。
 戦下の朱夏は、逃げまどう人々の血の色でもある。綾子は亡国の民となり、真夏の満州で飢餓と病気におびえながら生きのびる。

 五木寛之『朱夏の女たち』は、35歳前後の3人の女性の「自分探し」がテーマ。
 喫茶店経営者樹里と歯科医夫人朋子とテープ起こしのバイトをしながらライターをめざす七重。それなりに暮してはいるけれど、このまま年を重ねていっていいのかなあという気持ちが、朱夏の女たちの胸に揺れ動く。

 私が2歳の娘を保育園に預け、大学に学部から入り直したのも、ちょうど35歳のときだった。中学校国語教諭から大学日本語講師へのシフトって、傍目には同じような仕事の、たいして代わり映えしないように思えるものだろうが、私にとっては激動の季節だった。自分を探して朱夏をすごした。

 とにかく、めちゃくちゃ忙しい朱夏。
 自宅から自転車で20分の大学に入学し、学部3年生の終わりに日本語教育能力試験に合格。学部4年生のとき息子を生んだ
 授業中のにわか雨に「しまった、ふとんを干して来ちゃった!」と叫んで教室で笑われたり、生まれたばかりの息子を背負い、娘のままごとの相手をしながら、「提出期限に間に合わせよう」と、卒論書きに励んだり。
 息子をおんぶして大学院の入試二次面接にかけつけた。

 乏しい家計を奨学金がささえた。奨学金で二人の子の食い扶持をまかない、今も育英会に返済を続けている。

 娘を小学校へ送りだし息子を保育園に預けて大学院へ。やっとのことで修士課程を修了したとき、娘は9歳。卒業式父兄席にすわって母の大学院修了を祝ってくれた。

 朱夏のジョッキ飲み干してなほ乾くなり 春庭

<つづく>


ポカポカ春庭のいろいろあらーな
2004/08/03 今日の色いろ=夏色に命輝く(3)朱夏つづき

 大学院2年目からは、生活費捻出のため日本語教師の仕事をめいっぱい入れた。授業がない土日や夏休み冬休みには、夫の会社(ずっと赤字続き)の下働き。出版社へのメッセンジャーや校正アシスタント。
 「まるで仕事ができない奴」と、夫に叱られ続けた。いつも注意力散漫だから、校正者としての能力は決定的に不足していたみたい。おまけに方向音痴なので、メッセンジャーに出かけても、道をまちがえたり、乗り換えの路線をまちがえて、とんでもない方向へ進んでしまい、約束の締め切り時間に間に合わない。

 「夫婦が協力して家庭を築き上げる」という結婚前の理想は、「家事育児にはいっさい関わらない」という夫だったので、「絵に描いた餅」に終わった。
 ひとりで家事育児をこなし、日本語教師として働きながら大学院で学び、学校がない日は夫の仕事の手伝い。よくもまあ、あんな日々をすごせたものだ。真夏のエネルギーに満ちていたんですね。今はくたびれ果てております。

 仕事を続けながらの大学院生。いつまでたっても修士論文が書き上がらない。思い切って日本語学校教師をやめ、修論執筆に専念してやっと修士号を得た。
 しかし、大学院を修了しても就職口はない。日本語教師養成通信講座のスクーリング講師をして1年。単身赴任という条件をのみ、文部省(当時)からの派遣講師として中国で教えることになった。子供の世話はしないという夫なので、実家に子供たちをあずけ、背水の陣だった。

 派遣先は、『朱夏』の舞台となった地であった。NHKのテレビドラマ『大地の子』の舞台でもある。
 『大地の子』ロケ隊がやってきて、エキストラを募集しているというお知らせが講師室にも伝わった。エキストラのほとんどは中国人を採用しているが、何人か日本人も必要という。他大学の老先生といっしょにエキストラをすることになった。

 日本に帰ることなく旧満州の地に倒れた開拓団。墓もなく荒野に眠る人々への墓参団、という役回り。
 朱夏時代の私の姿。NHKドラマ『大地の子』のワンシーンに、数分間残っている。

遠き朱夏 女盛りなんてあった?(春庭)

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20170810の付け足し
 気づけば白秋の季節もすぎ、玄冬という年齢になったというのに、いまだに朱夏時代のうらみつらみは消えずに残り火となっています。

 8月7日に息子娘のクラスメートだった姉弟のママと久しぶりに会っておしゃべりできました。シューママと私、自分自身が一家の稼ぎ手となって家族を支え、がんばってきたところはいっしょ。でも、子ども達が同級生だったころ、不安定な非常勤講師だった私にとって、シューママは公立校の教諭という安定した身分の恵まれた人に見えていました。シューママの実母も同じマンションに住んでいて孫の世話を頼めるという立場の人と、どこにも助けのない孤軍奮闘の私では、愚痴のこぼし方も違うだろうと。

 でも、シューママは言う。「私、娘に言われたことある。母の日に、娘が言うの。うちには母なんていないじゃない。父みたいな人と、微妙に父やってる人の半端な父がふたり。どこにも母はいないって。娘には負担かけちゃったな」と。
 私も娘にはさんざん負担をかけて、弟クンの世話をみさせてしまったけれど、今更公開しても遅い。そのときはそれ以外に生き伸びる方法がなかった。

 シューママの長女長男末っ子次男(息子のクラスメート)はそれぞれ家を出て自立し、末っ子は結婚していることもおしゃべりの中で知りました。それぞれさまざまな紆余曲折を経て白秋から玄冬へと季節は移り変わっています。
 やわで軟弱イーカゲンな私の玄冬がそれほど厳しくない季節でありますように。 

<つづく>
コメント (6)
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