
旧朝香宮邸南面
20180325
ぽかぽか春庭アート散歩>春の建物散歩(3)庭園美術館アールデコの室内
庭園美術館(旧朝香宮邸)見学記の続きです。館内撮影OKのラッキーな日。装飾部分など、見学者で混雑しているときには撮りにくい部分を撮ることができました。
旧朝香宮家は、明治時代後期、久邇宮朝彦親王の第8皇子である鳩彦王(やすひこおう)(1887-1981)が1906年に創設した宮家です。1908年には明治天皇第8皇女允子(のぶこ)内親王(1891-1933母は園祥子)と結婚。2男2女に恵まれました。
朝香宮夫妻は1925年に開催されたパリのアールデコ博覧会を視察し、帰国後アンリ・ラパンに邸宅の装飾を依頼。ラパンは、ルネ・ラリックらアールデコの装飾作家を動員し1932年に邸宅が完成しました。允子妃は、宮邸に住むことたった1年。竣工の翌年になくなってしまわれました。
1932年に完成したアールデコの館が、米軍接収、外務大臣公邸(吉田茂が居住)などを経て、庭園美術館として公開されています。
以下の写真、1932年竣工当時のままの室内装飾もあるし、復元されたものもあり、新しく買い付けたアンティークものなどが入り交じっています。しかし、その区別が私にはつきませんので、ただ撮ったものをUPしています。
しかも写真の整理整頓が下手なので、撮った装飾品が、どの部屋のものだったのかごちゃまぜになっているので、いろいろご指摘いただければ、幸いです。
くわしい説明が必要な方は、朝香宮邸の解説書が各種でているのでご参照ください。
私の手元にあって参照しているのは、藤森照信『アール・デコの館 旧朝香宮邸』増田彰久(写真)ちくま文庫1993です。

室内の装飾デザインは、ラパンやラリックなど担当したデザイナーの名前がわかっているものもあるし、宮邸建築を担当した宮内庁内匠寮工務課のだれか、ということもあります。建築の全体設計は宮内庁内匠寮工務課の権藤要吉(1895〜1970)が担当しました。
1階と2階の主要な7室は内装をフランス人デザイナーのアンリ・ラパン(1873〜1939)が担当。ラパンはガラス工芸のルネ・ラリック(1860〜1945)、マックス・アングラン(1908〜69)、鉄工芸(鍛金)のレイモン・シューブ(1893〜1970)、彫刻家レオン・ブランショ(1868〜1947)等の作品をうまく組み込んで、フランスのアール・デコの美しさを生かした邸宅に仕上げました。アールデコで装飾された建築は、世界にあまり残っていないということで、世界的にも貴重な建物です。
玄関床モザイク模様のタイル

小玄関の丸窓から外を見る

大広間の壁に掛けられていたラパン『サントヴィクトワール山麗ふたりの子どものいるプロヴァンス地方の風景』1920-1930

大広間のレリーフ

大客室の暖炉とドア

大客室の天井にはルネ・ラリック作のシャンデリア(ブカレスト)が2基

大客室の扉。上部に、レイモン・シューブによる鉄製のタンバン装飾。ドアの部分にはマックス・アングランによるエチング・グラスのパネルが嵌めこまれています。

大食堂天井には照明器具が3基。ラリックが果物(パイナップルとザクロ)をモチーフに製作。

大食堂内にあるマントルピースとその上に飾られている壁画です。この壁絵には、赤いバーゴラのある噴水の庭が描かれています。

階段の模様を裏側階段横から見る。

2階プライベートな空間(殿下居間、書斎、若宮寝室、姫宮寝室、妃殿下居間、寝室など) 各室のさまざまな照明器具。







ラリック作花瓶「オラン」1927

アールデコ時代のティーセット1921セーブル製陶所アンヌマリーフォンティーヌ絵付け

ドア上装飾と大客室の装飾



大食堂のドアと壁装飾

天井に接する柱の装飾

ラジエーターカバー、暖炉カバー。日本的なモチーフが多いです。





通風孔カバー


ドアの飾り


家具
カップボード、テーブルと椅子(レイモン・シェーブ作)

テーブルの装飾

椅子2脚アンドレグルーデザイン、マリーローランサン絵付け1927ごろ

大客室に置かれていた家具の装飾

2階階段上のロビーに飾られていた允子妃肖像写真マヌエル兄弟写真館1927年撮影

パリでの自動車事故で入院中の朝香宮鳩彦王を見舞う允子妃1923年
(入院した夫を見舞うためにパリへ行き、アールデコ万博視察がかなったため、アールデコ屋敷が建設されることとなった)

エッフェル塔視察の允子妃とおつきの女官。

アールデコの時代のファッション。


アールデコ時代のドレス(允子妃が着用したものではないみたい)

明かりがともった邸宅


庭から見た邸宅

日本庭園

雨の中、水もしたたるいい女(の気分)

<つづく>