
芳賀日出男展
20180318
ぽかぽか春庭茶飯事典>2018十八番日記春盛り上がる(11)芳賀日出男展+山村健児斎藤朱門展 in フジフイルムスクエア
くちかずこさんと地下鉄改札で別れて、私も帰宅しようかと思ったのですが、久しぶりの六本木、そうだ、いつもミッドタウンに来たときは、富士フイルムの展示コーナーを見ていくことにしていたんだっけ、と思い出しました。ミッドタウンの道路沿いに富士フイルムスクエアがあります。地下鉄の駅に降りる途中に芳賀日出男の展示ポスターを見て、せっかく六本木まで出てきたので、見ていくことにしました。

写真を見るのが好きなのですが、写真美術館とこの富士フィルムスクエアで見るのがほとんどです。
3時半にスクエアに入ったら、ちょうどボランティア解説員さんの「写真の歴史解説」というのが始まったところでした。
フェルメールが絵を描くときに使ったというカメラ・オブスクラの話から。
スクエアの展示室には、レプリカのカメラ・オブスクラが置いてあります。解説員さんは「フェルメールは、絵を描くときにカメラ・オブスクラを覗いて、画面構成に使用した」という一般に流布している説を紹介しました。
実際にはフェルメールの描画法には諸説出ていて、フェルメール没後の財産目録の中には、カメラ・オブスクラはなかった、ということまで研究されています。でも、カメラの歴史の最初のところに、フェルメールを出しておくのは、カメラ史を語るうえで、言いたくなるエピソードだろうと思います。
前半は、写真の発達史。タゲレオタイプ(銀板写真)など、写真美術館で習い覚えた写真史の復習ができました。中盤は展示室に並べてあるさまざまなカメラについての紹介。最後は、スクエアの現在の展示である芳賀日出男の写真の解説で1時間強のレクチャーでした。
芳賀日出男は、1921年満州の大連で生まれ、慶応大学入学のためはじめて内地の土を踏みました。小学生のとき父にカメラを買ってもらってから写真を撮り続け、大学でもむろんカメラクラブに所属。大学で折口信夫の講義を受け、民俗写真を撮るようになりました。以来60年にわたって、日本の民俗を撮り続け、今では消えてしまった祭りや民俗行事の貴重な記録となっています。
1970年代、私が民俗芸能に興味をもっていたころから、芳賀日出男の写真に触れてきました。遠野の早池峰神楽や奥三河の花祭などを見にいきましたが、出かける前の予習としてながめた写真集にその名を見ていました。
今回の写真展は、代表作の30点を展示。点数は少ないですが、芳賀の傑作が並んだのを見渡すと、日本の中に残してゆくべき光景が心に響きます。(すでに失われたものも多いけれど)
「民俗写真の巨匠 芳賀日出男 伝えるべきもの、守るべきもの」
2018年1月4日(木)から3月31日(土)

写真展だと、撮影禁止のことが多いですが、撮影自由、ブログ掲載OKでした。
代表作のひとつ「十三参りの少女 沖永良部島」

スペース1では毎日写真コンクールの入賞者作品展示。素人の作品ですが、それぞれに渾身の1枚を出品していて、みな上手な写真でした。
スペース2では、山村健児と齋藤朱門の自然写真。大画面の写真、美しく迫力満点の写真に圧倒されました。
会場では斎藤氏は売り物の写真にサインをしていて声をかけにくかったですが、山村氏は自身の作品の前で、来訪者と記念撮影に応じており、私もいっしょに撮ってもらいました。

山村氏と斎藤氏は、カリフォルニアで知り合い、自然写真の神髄を目指してフォトフラファー道をともに歩んできました。すごい迫力と美しさの自然写真ですが、山村さんは「デジタルで加工した写真を認めない」という日本の主流派の考え方とは一線を画し、独自の自然観による撮影をしています。
私は写真は好きですが、写真界の動向にはうといので、デジタル加工の可否もわからないのですが、わかったことは、山村健児さんはイケメンで、最初来訪者との写真撮影に応じている姿は、モデルさんかと思いました。
イケメンといっしょに撮ってもらってうれしいです。
山村さんの作品の前で

<つづく>