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ぽかぽか春庭「消えた東京女子医科大学2号館ほか」

2018-05-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
201804503
ぽかぽか春庭アート散歩>春の建物散歩(1)消えた東京女子医科大学1号館ほか

 東京女子医科大学旧本館は、1930年(昭和5年)に建築された鉄筋コンクリート5階建ての建物です。
 設計は増田建築事務所(増田清1888-1977)。ちなみに増田清は作家・女優の阿川佐和子の母方の祖父。

 文化財指定も受けていなかったのですが、古い大学は、古い歴史的な建物を「大学の顔」として残しておくことが多いので、東京女子医科大学の1号館もそうだろうと思い込んでいたのですが、2018年3月19日に訪れてみたら、見事に解体されていました。
 どうやら、大学病院内で起きた医療事故を契機として大学の古い体質一新の目標が出されて、老朽化が前からわかっていた1号館2号館の解体と新築が決まったみたいです。

 古い建物の保存維持には、新築のビルを建てるよりもお金がかかります。耐震工事をほどこすにも、古い部分を残しつつ行う作業はたいへん。それならいっそ新築に、という決断に対して、建物維持の経費負担するわけでもない一般ピープルが文句をいうこともできませんが、ああ、知っていたら解体前にもう一度見学しておくんだった。
 医学部という常に最先端の設備を誇る必要のある大学ですから、レトロな建物を残す余裕はなかったのでしょう。

 更地になっていた
 

 旧本館(解体前の1号館)(画像借り物)


 
 女子医大からほど近い、早稲田奉仕園の歴史的建造物スコットホールは健在でした。
 早稲田奉仕園の創立者H.B.ベニンホフは1908年早稲田鶴巻町にキリスト教主義の大学生寮「友愛学舎」を創設しました。友愛学舎学生センターの礼拝堂兼ホールを建てることになったとき、アメリカのJ.E.スコット夫人(1851-1936)から多額の献金が寄せられました。1921年末に完成した赤レンガ組積造りの建物は、スコットホールと名付けられました。

 早稲田にあるスコットホール

 1階階段奥は、レストランになっています。
 

 早稲田奉仕園創立者べニンホフと親交のあったヴォーリズ建築事務所の設計原案に基づき、 早稲田大学の内藤多仲教授研究室が施工監理を行い、同研究室の今井兼次助教授(当時)が担当者となって設計を完成させ、 竹田米吉店が施工を請け負いました。
 内藤多仲は東京タワー設計者として名を残し、今井兼次は、早稲田大学演劇博物館を設計した建築家。

 竹田米吉(1889-1976)は、父の大工棟梁のもとで修業し、築地の工手学校(現工学院大学)を卒業したのち横河工務所に勤務。横河民輔に認められ、横河の学費援助で早稲田大学建築科を卒業。1947年に竹田建設工業を設立したのちも、職人として修業してきたことを誇りとし、1958年に『職人 一建築家の回想』(工作社)を出版して日本エッセイストクラブ賞をうけました。(中公文庫1991年)
 スコットホールのレンガは、竹田が職人としての誇りを込めて積み上げたもの。

 2008年に修復と耐震工事が行われ、スコット夫人へのオマージュ「S」のエンブレムも復活されています。
 2017年の文化財ウイークで内部の一般公開が行われました。今年も公開されたらぜひ。

 建物散歩、私の行き当たりばっ旅では、なかなか目標の建物に出会わないで道を間違えたまま一日が終わってしまう、ということもよくあります。
 葉山を散歩したときも、目当ての加地邸(遠藤新設計)には行きつけなかったのです。
 でも、一色海岸をランチ求めて歩いた時、大きな洋館を見かけました。

 鹿島別邸(旧住友邸)施工・鹿島組
 1903(明治35)年、麻布に旧住友邸として建てられました。住友家15代吉左エ門友純邸宅。1935(昭和10)年葉山に移築。旧鹿島守之助別邸


 旧鹿島邸、現在のところ、見学会もなさそうです。鹿島組の縁故じゃないと内部見学も無理でしょうか。
 加地邸のほうは、修復が完了次第見学できるようになるみたい。高級おフランス料理のレストランになるのかもしれませんが。

 私の建物散歩は、ぶらりぶらぶらこののちも行き当たりばったび。

<つづく>
コメント (4)
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