20180522
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>死ぬ前、死んだあと(2)ゲットアウト
ホラーもスリラーも嫌いなのに、「IT」と併映の「ゲットアウト」見ました。
映画小僧まっき~さんおすすめの2018アカデミー賞脚本賞受賞作品なので、こわかったけれど、「映画では、主人公は無事にたすかる」という原則を信じて見終わりました。
なにが一番怖いかって、白人の黒人に対する劣等感、特に身体性に対しての。白人は、精神的(脳みそ)には白人のままで、黒人の強靭優秀な肉体を手に入れたい、と深層心理でのぞんでいることを、あからさまに描いたところが恐怖。
オバマを大統領にかついだあと、見てくれは差別主義者を黙らせたようでいて、実態はますます差別が潜在的に広がったことが伝わりました。もちろんこの映画に描かれたことと、実際の差別はことなるでしょうが。
2016年、アメリカの現実社会での事件がありました。
コンビニ前でCDを売っていただけの黒人男性を、白人警察官がためらいなく撃ち殺してしまうという事件。ルイジアナ州バトンルージュ市の白人警察官2名は、黒人男性アルトン・スターリングを問答無用で取り押さえて射殺。「ポケットから拳銃をだすのかと思ったから」というのが、正当防衛と信じて撃ち殺した理由だそうですが、残されていた防犯カメラの映像では、スターリングが携帯していた拳銃は、警官が彼を取り押さえる前に、下に落ちていたのです。たまたま映像が残されたから、この警官のふるまいが決して正当防衛ではないことがわかったのですが、26年前のバトンルージュでは。
1992年にルイジアナ州バトンルージュ市で高校2年生だった服部剛丈君が撃ち殺された事件も、忘れることはできません。仮装してハロウィーンパーティに行こうとしたハットリくんは、違う家に入り込んでしまい、家主のピアーズに射殺されました。ルイジアナ州の刑事裁判では正当防衛としてピアーズは無罪。服部君の父が起こしたピアーズに対する民事裁判ではピアーズ有罪。服部君は家の中に踏み込んだわけではなく、庭にいたのだし、ピアーズに恐怖を感じさせるような要素もなく、過剰防衛であったことなどが明らかになりました。ピアーズの趣味が「鹿狩り」で、ガンマニアであったことも判明。白人ピアーズにとっては、鹿も黄色人種少年も同じ。
オバマの登場は、「名誉白人」として白人側に寄せられる黒人が増えたことを意味するだけで、差別がなくなったわけではないことを、映画を見た人ははっきりと感じます。
以下、ラストまでのネタバレを含む紹介と感想です。
主人公クリスは、恋人ローズ・アーミテージの実家へ行くことにしました。ローズの両親に「恋人の間柄」であることを伝えに、あいさつするためです。
愛犬シドは、クリスの親友ロッドに預けます。ロッドは黒人に与えられるもっとも給料が高そうな職業のひとつ、運輸保安庁の職員です。(医者や弁護士など、名誉白人側に入れば、高い年収は保証されます。オバマは弁護士資格を持つエリートでした)。
クリスはローズに「恋人が黒人であることを家族に知らせていないのはなぜか」とたずねますが、ローズは家族がクリスを歓迎することに自信をもっています。
シドニー・ポワチェが恋人ジョアンナの両親に会うという1967年の映画『招かれざる客』のスリラー版ともいえる映画です。
シドニー・ポワチェが高い演技力を持ちハリウッドで最初の「犯人役などでない善人を演じられる俳優」になったのに、かっての黒人社会での評価が高くなかったのは、シドニーは、身体は黒いけれど、立居振る舞いは完全に白人社会のものごしを身につけて演じていて、白人社会にとって違和感なく受け入れられる身体になっていたからだそうです。実のこなし方がすっかり白人であったシドニーの演技。黒人社会から見れば、顔が黒いだけの名誉白人。
身についた身体表現。日本では。たとえば、ホームの向かい側に知り合いの姿を見つけた人。その人が中高年であれば、ホーム越しにも、丁寧なおじぎをする。そのホーム越しのおじぎ姿を見かけた留学生が、「あんなに離れているのに、なぜおじぎ?」と不思議がって質問してきたことがありました。
おじぎ文化が身に染み込んでいる上司だったら、ホームの向こうにいる部下が手を顔の横に出し「やぁ」なんていう挨拶をしたら、朝から不愉快になるのかも。出勤時にグータッチでこぶしを自分のほうに突き出してきた部下がいたら、喧嘩売ってんのかと思ってしまう。
クリスは決して「白人文化を身につけた金持ちの黒人」ではないけれど、ローズとの仲に満足しています。積極的に行きたいわけじゃないけれど、ローズの実家に行くことを拒絶することもないと思っています。父はおらず、女手一つで育ててくれた母も幼いころになくなっているクリスは、ローズの「家族への気持ち」を大事にしたいのです。
ドライブ旅行の途中、森の中で鹿をはねてしまうという事故があります。調べに来た警察官に身分証を出せと強要され動揺するクリスに対して、ローズは冷静に「運転していなかったクリスの身分証を提示する必要はない」と主張します。ローズは、白人警察官が持っている「黒人ならとりあえずチェックする」を拒絶した、と思えます。
ローズは鹿の死になんの動揺もしませんが、クリスは精神に大きなショックを受けます。
狩るほうにとっては単なる戦利品だが。
狩られたものが武器となり、狩るほうへと逆襲することもある。

トラブルはあったけれど、無事ローズ実家に到着。
両親が言っていたように、両親はクリスが黒人であることに差別もなく歓迎してくれます。 ローズの父親は脳神経外科の医者、母親は催眠術を使う精神分析セラピストです。使用人をやとい、広大な敷地に邸宅を持つアーミテージ家は、銀のスプーンでお茶を飲む、上流白人家庭です。
銀のスプーンは裕福な育ちをすることの象徴だけれど、一方家に縛り付けられることの象徴にもなる。銀のスプーンとは無縁の育ちのクリスは、銀スプーンによって自分自身を縛り付けられることから無縁でいられるのか。
ローズの家族がクリスに注文したのは、クリスがやめられないでいるタバコについて「健康のためにやめたほうがいい」ということだけでした。

ローズの実家は裕福で教養ある一家。しかし、しだいにクリスには違和感が募っていきます。とくに、アーミテージ家の使用人、黒人の庭師ウォルターと家政婦ジョージナに、クリスは不気味さを感じます。クリスにとって違和感があるのは、彼らが「白人家庭の使用人」という立場をとっているからでしょうか。彼らは、雇い主にしつけられているのか、少しも黒人らしいふるまいはしません。
猛スピードで夜の邸内を走るウォルターや鏡がわりの窓ガラスに映る自分の姿に見ほれるジョージナに、不気味さを感じたクリスは、思わずローズの母ミッシーのいる部屋に入ってしまいます。そこでは。
クリスは、ミッシーに強制的に催眠療法を施術され、(白人家庭では歓迎されない)たばこが嫌いになります。
アーミテージ家では、近隣の人々が集まって、亡くなったローズの祖父をしたうパーティが開かれます。
ローズの父ディーンと同様、みな黒人に偏見をもっていないようにふるまいます。しかし、パーティに集まった女性招待客から「あっちのほうも強いんでしょ」というおきまりのセリフを投げかけられたり、パーティ前夜の家族夕食会で、泥酔したローズの弟がいう黒人スポーツ選手へのことばなどに、クリスは白人が内包する黒人の身体能力への劣等感を感じ取ります。
しだいにクリスに不快感が深まります。
パーティに招待された黒人はただ一人ローガンのみ。クリスは、彼にあいさつしようと、黒人同士なら普通のあいさつになっているグーとグーを合わせるグータッチをしようと手をさしだします。しかし彼は、白人がやるように手を広げ普通に握手してきました。彼には黒人的なふるまいはひとつもなく、黒いのはみかけだけ。
クリスがケータイのフラッシュを切らずにローガンを撮影し、フラッシュを浴びた彼は、クリスに殴り掛かります。一瞬ですが、彼の中のなにかが爆発してしまったのでした。ローガンは別人のように豹変してクリスに「Get out」と叫びます。皆に抑えられたローガンは、ローズ母の催眠術で元の静かな人へ戻ります。
私は映画見巧者ではないので、たとえば、クリスがグータッチを拒否られたシーンなど、グータッチ=黒人社会のあいさつ、ということに気づかず、黒人のはずのローガンが手を開く握手をしたのも、「白人の奥さんと結婚したから」くらいにしか思わなかったのです。
黒人身体文化、ふるまいの文化の差に気づけなかったのです。異文化コミュニケーション学んだと思っていたのに、まだまだくちばし黄色いね。顔黄色いのと同様に。
クリスが部屋に引きこもったあと、パーティではビンゴが行われます。ビンゴ会場にはこのパーティの新参者であるクリスの写真がかざられています。
ビンゴは、ある「特別提供」をオークションでせり落とすためのもの。セリに勝ち残ったのは、盲目の画廊経営者ジムでした。美術品鑑定のために、ジムは「目を失ったこと」を残念に思っています。
ロッドは、クリスがケータイで撮影し送信した黒人の写真から、その人物はジャズ・ミュージシャンのローガン・アンドレであることを割り出します。ローガンは行方不明になったままだ、という事実をクリスに知らせます。
アーミテージ家とローズの真実に気づいたとき、クリスは催眠術によって意識不明となり、椅子にしばりつけられてしまいます。目覚めたクリスは、ローズの祖父が「君に凝固法を実施する」と語りかけるビデオを見せられます。
凝固法の実施シーンがこわいです。
アーミテージ家に集まった白人たちの望みはひとつ。白人の脳(意識・思考)のまま、黒人の肉体を手に入れること。今回のパーティで黒人の強靭な身体を手に入れることができるのは、セリに勝ち残ったジムひとり。
キツネ狩りや鹿狩り。狩る白人たちに、狩られる鹿への同情はありません。「神は、自分に似せて人間を作り上げた。そして人間の食料として動物を作り上げ。神が作った動物を食べる権利は当然のこととして人間に与えられている」からです。
「神自身に一番似ていて、この世に優越してよい人種は自分たち」と信じる人々がいること、トランプを見ているとさもありなんと思います。
この映画に出てくる白人たちに「人類みな平等」はもちろん、「草木虫魚悉皆成仏」という生物平等説は理解してもらえないでしょうね。鹿を殺して肉として利用する権利をもっているのと同様に、優越する白人は、そうでない人間の肉体を利用する権利を有する。自分のお皿にたかろうとするハエをハエたたきで叩き潰しても、殺生の痛みを感じることのないように、ハエなみの存在をたたくのは、優越する人間にとって当然のことと思う人々も存在するのだと、思い知ります。
(ミャンマー仏教徒は、蚊を叩き潰すのは殺生になってしまい、自分の「仏教徒的正しい生き方度」が減るから避けたいと思う人が多いです。そういう人は、叩き潰さないで、殺虫スプレーを部屋中にまき散らします。スプレーは、直接蚊に向かって噴射しません。ただ、部屋の空気を換えようとして部屋に撒く。その部屋に自分から入ってきちゃった蚊は、蚊自身の運命として死んでいく。撒いた人は、ひとことも蚊に「ゲットアウト」とは言っていないからセーフ。殺生したことにはならないので、来世に「よい階級」へ生まれ変わり権利は保持されます)。
移植治療の行きつく先には、移植用の臓器培養が出てくるかもしれません。都市伝説では、アメリカの金持ちは、最貧国の子供たちを「健康優良な身体に育つための養育施設」に引き取っているのだそう。臓器移植用の健康な臓器。養育院の標語は「健全なる精神は健全なる身体に宿る」こわっ。
単なる都市伝説ですが、さもありなんという気がしてしまう。
カズオイシグロの『私を離さないで』の世界は、もうすぐ。
トランプはあからさまに人種差別を口にしていますが、移民に職を奪われたと思って誇りを打ち砕かれているプアホワイト層には受けているのだそうです。
トランプが言ったとされる「(アフリカ諸国、中米ハイチ南米のエルサルバドルなどの)糞の穴から来た移民」という発言を、トランプ自身は「言ってない」と否定しているのですが。もし彼が朝鮮半島の統一に寄与したなんてことで平和賞を受けることになったら「糞の穴平和賞」と呼びたい。同様に、現首相の大おじさんが手に入れたのは「密約で国民騙した平和賞」と呼びませう。
さて、この後、黒人はどうふるまえばいいんでしょう。これまでのように、スポーツや音楽に秀でた能力を発揮して名誉白人の地位を手にいれるのか。
クリスはローズの家でいろんな違和感を感じますが、私が感じた違和感。腎臓ひとつ肝臓ひとつでも移植手術後の拒否反応がひどいのに、ウォルターは猛スピードジョギングができるくらい健康だし、ジョージナは鏡の中に映る自分にうっとりする若さを誇る。父ディーンの外科医技術がものすごいのか、とか、疑問に思うところはありました。
全体としては、新手の恐怖の描き方として、まっとうでした。
アジア人(アメリカ人海軍提督発言によると「黄色い猿ども」)であるわたくしは、映画の中ではクリス側の目で見ていましたが、白人はこれ見てどう思うのかしら。
クリスは自分自身の工夫で危険から逃れようとするのですが、死を目の前にした彼を救うのは、黒人同士の友情です。
単純な私は、主人公が友人に助けられてやれよかったと思うのですが、実は、非公開となった最初のラストシーンは、クリスは殺人罪で捕らえられておわり。刑務所で衰弱していくクリスのあまりに悲惨なラストゆえ、社会から受け入れられなくなることをおそれて、このバージョンはお蔵入り。公開されたのは私が見た「死の直前に救われる」バージョンになったのだと、メイキングではばらされているそうです。
現実のルイジアナ州バトンルージュ市だったら、確実にクリスは逮捕されて死刑だろうな。(あのう、バトンルージュ市をディスってませんから。ただ、ハットリくん刑事裁判の恨みがあるっつうか)
でも、ハリウッド的に「ウケる」ラストに変更したから、ごほうびに脚本賞とれたのかな、と勘ぐってみる。使われなかったラストのままだと、もっと傑作になったかもしれないけれど、興行成績はあがらなかったにちがいない。
銃で鹿を撃つのが好きなお金持ちへ。戦利品として鹿の剥製を部屋に飾るのはやめておきなされ。逆襲したい鹿はどこにでもいる。
今月も、銃万歳国のなかで、コロンバイん高校乱射事件を模倣したとされる高校内乱射事件が起きました。クラスメートが何人も殺された高校で、在校生が望むのは「もっと警備を強化してほしい」だったとか。どれだけ警備強化しようと、銃が身の回りにごろごろといある限り、銃で殺される人はなくならないと思うけれど。
ハリウッド的忖度がない現実社会では、今日も銃は人を殺す。明日も。
<つづく>
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>死ぬ前、死んだあと(2)ゲットアウト
ホラーもスリラーも嫌いなのに、「IT」と併映の「ゲットアウト」見ました。
映画小僧まっき~さんおすすめの2018アカデミー賞脚本賞受賞作品なので、こわかったけれど、「映画では、主人公は無事にたすかる」という原則を信じて見終わりました。
なにが一番怖いかって、白人の黒人に対する劣等感、特に身体性に対しての。白人は、精神的(脳みそ)には白人のままで、黒人の強靭優秀な肉体を手に入れたい、と深層心理でのぞんでいることを、あからさまに描いたところが恐怖。
オバマを大統領にかついだあと、見てくれは差別主義者を黙らせたようでいて、実態はますます差別が潜在的に広がったことが伝わりました。もちろんこの映画に描かれたことと、実際の差別はことなるでしょうが。
2016年、アメリカの現実社会での事件がありました。
コンビニ前でCDを売っていただけの黒人男性を、白人警察官がためらいなく撃ち殺してしまうという事件。ルイジアナ州バトンルージュ市の白人警察官2名は、黒人男性アルトン・スターリングを問答無用で取り押さえて射殺。「ポケットから拳銃をだすのかと思ったから」というのが、正当防衛と信じて撃ち殺した理由だそうですが、残されていた防犯カメラの映像では、スターリングが携帯していた拳銃は、警官が彼を取り押さえる前に、下に落ちていたのです。たまたま映像が残されたから、この警官のふるまいが決して正当防衛ではないことがわかったのですが、26年前のバトンルージュでは。
1992年にルイジアナ州バトンルージュ市で高校2年生だった服部剛丈君が撃ち殺された事件も、忘れることはできません。仮装してハロウィーンパーティに行こうとしたハットリくんは、違う家に入り込んでしまい、家主のピアーズに射殺されました。ルイジアナ州の刑事裁判では正当防衛としてピアーズは無罪。服部君の父が起こしたピアーズに対する民事裁判ではピアーズ有罪。服部君は家の中に踏み込んだわけではなく、庭にいたのだし、ピアーズに恐怖を感じさせるような要素もなく、過剰防衛であったことなどが明らかになりました。ピアーズの趣味が「鹿狩り」で、ガンマニアであったことも判明。白人ピアーズにとっては、鹿も黄色人種少年も同じ。
オバマの登場は、「名誉白人」として白人側に寄せられる黒人が増えたことを意味するだけで、差別がなくなったわけではないことを、映画を見た人ははっきりと感じます。
以下、ラストまでのネタバレを含む紹介と感想です。
主人公クリスは、恋人ローズ・アーミテージの実家へ行くことにしました。ローズの両親に「恋人の間柄」であることを伝えに、あいさつするためです。
愛犬シドは、クリスの親友ロッドに預けます。ロッドは黒人に与えられるもっとも給料が高そうな職業のひとつ、運輸保安庁の職員です。(医者や弁護士など、名誉白人側に入れば、高い年収は保証されます。オバマは弁護士資格を持つエリートでした)。
クリスはローズに「恋人が黒人であることを家族に知らせていないのはなぜか」とたずねますが、ローズは家族がクリスを歓迎することに自信をもっています。
シドニー・ポワチェが恋人ジョアンナの両親に会うという1967年の映画『招かれざる客』のスリラー版ともいえる映画です。
シドニー・ポワチェが高い演技力を持ちハリウッドで最初の「犯人役などでない善人を演じられる俳優」になったのに、かっての黒人社会での評価が高くなかったのは、シドニーは、身体は黒いけれど、立居振る舞いは完全に白人社会のものごしを身につけて演じていて、白人社会にとって違和感なく受け入れられる身体になっていたからだそうです。実のこなし方がすっかり白人であったシドニーの演技。黒人社会から見れば、顔が黒いだけの名誉白人。
身についた身体表現。日本では。たとえば、ホームの向かい側に知り合いの姿を見つけた人。その人が中高年であれば、ホーム越しにも、丁寧なおじぎをする。そのホーム越しのおじぎ姿を見かけた留学生が、「あんなに離れているのに、なぜおじぎ?」と不思議がって質問してきたことがありました。
おじぎ文化が身に染み込んでいる上司だったら、ホームの向こうにいる部下が手を顔の横に出し「やぁ」なんていう挨拶をしたら、朝から不愉快になるのかも。出勤時にグータッチでこぶしを自分のほうに突き出してきた部下がいたら、喧嘩売ってんのかと思ってしまう。
クリスは決して「白人文化を身につけた金持ちの黒人」ではないけれど、ローズとの仲に満足しています。積極的に行きたいわけじゃないけれど、ローズの実家に行くことを拒絶することもないと思っています。父はおらず、女手一つで育ててくれた母も幼いころになくなっているクリスは、ローズの「家族への気持ち」を大事にしたいのです。
ドライブ旅行の途中、森の中で鹿をはねてしまうという事故があります。調べに来た警察官に身分証を出せと強要され動揺するクリスに対して、ローズは冷静に「運転していなかったクリスの身分証を提示する必要はない」と主張します。ローズは、白人警察官が持っている「黒人ならとりあえずチェックする」を拒絶した、と思えます。
ローズは鹿の死になんの動揺もしませんが、クリスは精神に大きなショックを受けます。
狩るほうにとっては単なる戦利品だが。
狩られたものが武器となり、狩るほうへと逆襲することもある。

トラブルはあったけれど、無事ローズ実家に到着。
両親が言っていたように、両親はクリスが黒人であることに差別もなく歓迎してくれます。 ローズの父親は脳神経外科の医者、母親は催眠術を使う精神分析セラピストです。使用人をやとい、広大な敷地に邸宅を持つアーミテージ家は、銀のスプーンでお茶を飲む、上流白人家庭です。
銀のスプーンは裕福な育ちをすることの象徴だけれど、一方家に縛り付けられることの象徴にもなる。銀のスプーンとは無縁の育ちのクリスは、銀スプーンによって自分自身を縛り付けられることから無縁でいられるのか。
ローズの家族がクリスに注文したのは、クリスがやめられないでいるタバコについて「健康のためにやめたほうがいい」ということだけでした。

ローズの実家は裕福で教養ある一家。しかし、しだいにクリスには違和感が募っていきます。とくに、アーミテージ家の使用人、黒人の庭師ウォルターと家政婦ジョージナに、クリスは不気味さを感じます。クリスにとって違和感があるのは、彼らが「白人家庭の使用人」という立場をとっているからでしょうか。彼らは、雇い主にしつけられているのか、少しも黒人らしいふるまいはしません。
猛スピードで夜の邸内を走るウォルターや鏡がわりの窓ガラスに映る自分の姿に見ほれるジョージナに、不気味さを感じたクリスは、思わずローズの母ミッシーのいる部屋に入ってしまいます。そこでは。
クリスは、ミッシーに強制的に催眠療法を施術され、(白人家庭では歓迎されない)たばこが嫌いになります。
アーミテージ家では、近隣の人々が集まって、亡くなったローズの祖父をしたうパーティが開かれます。
ローズの父ディーンと同様、みな黒人に偏見をもっていないようにふるまいます。しかし、パーティに集まった女性招待客から「あっちのほうも強いんでしょ」というおきまりのセリフを投げかけられたり、パーティ前夜の家族夕食会で、泥酔したローズの弟がいう黒人スポーツ選手へのことばなどに、クリスは白人が内包する黒人の身体能力への劣等感を感じ取ります。
しだいにクリスに不快感が深まります。
パーティに招待された黒人はただ一人ローガンのみ。クリスは、彼にあいさつしようと、黒人同士なら普通のあいさつになっているグーとグーを合わせるグータッチをしようと手をさしだします。しかし彼は、白人がやるように手を広げ普通に握手してきました。彼には黒人的なふるまいはひとつもなく、黒いのはみかけだけ。
クリスがケータイのフラッシュを切らずにローガンを撮影し、フラッシュを浴びた彼は、クリスに殴り掛かります。一瞬ですが、彼の中のなにかが爆発してしまったのでした。ローガンは別人のように豹変してクリスに「Get out」と叫びます。皆に抑えられたローガンは、ローズ母の催眠術で元の静かな人へ戻ります。
私は映画見巧者ではないので、たとえば、クリスがグータッチを拒否られたシーンなど、グータッチ=黒人社会のあいさつ、ということに気づかず、黒人のはずのローガンが手を開く握手をしたのも、「白人の奥さんと結婚したから」くらいにしか思わなかったのです。
黒人身体文化、ふるまいの文化の差に気づけなかったのです。異文化コミュニケーション学んだと思っていたのに、まだまだくちばし黄色いね。顔黄色いのと同様に。
クリスが部屋に引きこもったあと、パーティではビンゴが行われます。ビンゴ会場にはこのパーティの新参者であるクリスの写真がかざられています。
ビンゴは、ある「特別提供」をオークションでせり落とすためのもの。セリに勝ち残ったのは、盲目の画廊経営者ジムでした。美術品鑑定のために、ジムは「目を失ったこと」を残念に思っています。
ロッドは、クリスがケータイで撮影し送信した黒人の写真から、その人物はジャズ・ミュージシャンのローガン・アンドレであることを割り出します。ローガンは行方不明になったままだ、という事実をクリスに知らせます。
アーミテージ家とローズの真実に気づいたとき、クリスは催眠術によって意識不明となり、椅子にしばりつけられてしまいます。目覚めたクリスは、ローズの祖父が「君に凝固法を実施する」と語りかけるビデオを見せられます。
凝固法の実施シーンがこわいです。

アーミテージ家に集まった白人たちの望みはひとつ。白人の脳(意識・思考)のまま、黒人の肉体を手に入れること。今回のパーティで黒人の強靭な身体を手に入れることができるのは、セリに勝ち残ったジムひとり。
キツネ狩りや鹿狩り。狩る白人たちに、狩られる鹿への同情はありません。「神は、自分に似せて人間を作り上げた。そして人間の食料として動物を作り上げ。神が作った動物を食べる権利は当然のこととして人間に与えられている」からです。
「神自身に一番似ていて、この世に優越してよい人種は自分たち」と信じる人々がいること、トランプを見ているとさもありなんと思います。
この映画に出てくる白人たちに「人類みな平等」はもちろん、「草木虫魚悉皆成仏」という生物平等説は理解してもらえないでしょうね。鹿を殺して肉として利用する権利をもっているのと同様に、優越する白人は、そうでない人間の肉体を利用する権利を有する。自分のお皿にたかろうとするハエをハエたたきで叩き潰しても、殺生の痛みを感じることのないように、ハエなみの存在をたたくのは、優越する人間にとって当然のことと思う人々も存在するのだと、思い知ります。
(ミャンマー仏教徒は、蚊を叩き潰すのは殺生になってしまい、自分の「仏教徒的正しい生き方度」が減るから避けたいと思う人が多いです。そういう人は、叩き潰さないで、殺虫スプレーを部屋中にまき散らします。スプレーは、直接蚊に向かって噴射しません。ただ、部屋の空気を換えようとして部屋に撒く。その部屋に自分から入ってきちゃった蚊は、蚊自身の運命として死んでいく。撒いた人は、ひとことも蚊に「ゲットアウト」とは言っていないからセーフ。殺生したことにはならないので、来世に「よい階級」へ生まれ変わり権利は保持されます)。
移植治療の行きつく先には、移植用の臓器培養が出てくるかもしれません。都市伝説では、アメリカの金持ちは、最貧国の子供たちを「健康優良な身体に育つための養育施設」に引き取っているのだそう。臓器移植用の健康な臓器。養育院の標語は「健全なる精神は健全なる身体に宿る」こわっ。
単なる都市伝説ですが、さもありなんという気がしてしまう。
カズオイシグロの『私を離さないで』の世界は、もうすぐ。
トランプはあからさまに人種差別を口にしていますが、移民に職を奪われたと思って誇りを打ち砕かれているプアホワイト層には受けているのだそうです。
トランプが言ったとされる「(アフリカ諸国、中米ハイチ南米のエルサルバドルなどの)糞の穴から来た移民」という発言を、トランプ自身は「言ってない」と否定しているのですが。もし彼が朝鮮半島の統一に寄与したなんてことで平和賞を受けることになったら「糞の穴平和賞」と呼びたい。同様に、現首相の大おじさんが手に入れたのは「密約で国民騙した平和賞」と呼びませう。
さて、この後、黒人はどうふるまえばいいんでしょう。これまでのように、スポーツや音楽に秀でた能力を発揮して名誉白人の地位を手にいれるのか。
クリスはローズの家でいろんな違和感を感じますが、私が感じた違和感。腎臓ひとつ肝臓ひとつでも移植手術後の拒否反応がひどいのに、ウォルターは猛スピードジョギングができるくらい健康だし、ジョージナは鏡の中に映る自分にうっとりする若さを誇る。父ディーンの外科医技術がものすごいのか、とか、疑問に思うところはありました。
全体としては、新手の恐怖の描き方として、まっとうでした。
アジア人(アメリカ人海軍提督発言によると「黄色い猿ども」)であるわたくしは、映画の中ではクリス側の目で見ていましたが、白人はこれ見てどう思うのかしら。
クリスは自分自身の工夫で危険から逃れようとするのですが、死を目の前にした彼を救うのは、黒人同士の友情です。
単純な私は、主人公が友人に助けられてやれよかったと思うのですが、実は、非公開となった最初のラストシーンは、クリスは殺人罪で捕らえられておわり。刑務所で衰弱していくクリスのあまりに悲惨なラストゆえ、社会から受け入れられなくなることをおそれて、このバージョンはお蔵入り。公開されたのは私が見た「死の直前に救われる」バージョンになったのだと、メイキングではばらされているそうです。
現実のルイジアナ州バトンルージュ市だったら、確実にクリスは逮捕されて死刑だろうな。(あのう、バトンルージュ市をディスってませんから。ただ、ハットリくん刑事裁判の恨みがあるっつうか)
でも、ハリウッド的に「ウケる」ラストに変更したから、ごほうびに脚本賞とれたのかな、と勘ぐってみる。使われなかったラストのままだと、もっと傑作になったかもしれないけれど、興行成績はあがらなかったにちがいない。
銃で鹿を撃つのが好きなお金持ちへ。戦利品として鹿の剥製を部屋に飾るのはやめておきなされ。逆襲したい鹿はどこにでもいる。
今月も、銃万歳国のなかで、コロンバイん高校乱射事件を模倣したとされる高校内乱射事件が起きました。クラスメートが何人も殺された高校で、在校生が望むのは「もっと警備を強化してほしい」だったとか。どれだけ警備強化しようと、銃が身の回りにごろごろといある限り、銃で殺される人はなくならないと思うけれど。
ハリウッド的忖度がない現実社会では、今日も銃は人を殺す。明日も。
<つづく>