
20201105
ぽかぽか春庭アート散歩>2020アート散歩秋(3)松江興雲閣と倉敷の建物
近代建築、特に偽洋風と呼ばれてきた「明治期に日本人大工の建てた見様見真似洋館」が好きな春庭。観光ガイドブックをじっくり読む娘に、松江市には興雲閣という明治時代の洋風館があることを教えてもらいました。娘が松江城天守閣に登っている間、興雲閣を見学。
興雲閣は、1902(明治35)年に着工、翌1903(明治36)年に完成。
当初、明治天皇の行在所にする目的でつくられたため、装飾・彫刻などは豪華華麗なつくりにしてありました。しかし、明治天皇の巡幸は実現せず、1907(明治40)に、皇太子嘉仁親王(大正天皇)の山陰道行啓時に3日間迎賓館として使用。その後は松江市工芸品陳列所として使用されました。
改修を経て、2016(平成27)年から歴史的建造物として一般公開されています。




松江城前で娘と記念写真を撮ってから、娘といっしょに興雲閣をじっくりと見学しました。八雲立つ松江市にふさわしい雲が湧き上がるような建物でした。
小泉八雲が松江に住んだのは、1891年 に小泉節子(1868-1932)と結婚して住んだ借家での1年ほどだけです。八雲が亡くなる1904にはまだ建っていなかった興雲閣でしたが、節子のふるさとに洋館が建つという噂くらいは聞いたことがあるかもしれません。たぶん、洋館建設さを知ったとしたら「あの町にはふさわしくない」と、反対したかも。古い小さな借家のたたずまいを心から愛した八雲でしたから。
今となってみると、江戸の威風を示す松江城のわきに立つ木造洋館の興雲閣、これはこれでいいなあと思います。興雲カフェで食べたチーズケーキおいしかったし。
倉敷市にもよい建物がたくさんありました。今回はひとつひとつの建物をじっくり見る時間がなかったのですが、旧大原家住宅は大原美術館を見たあと、ゆっくりとお茶などいただきました。
旧大原家住宅は、クラボウ一族の本宅です。現在は「語らい座大原本邸」として一般公開され、地域の人のコミュニケーションスペースになっています。
建てられた年代は割烹「鶴形」の建物のほうが古いのですが、割烹営業のためにたびたび改築が行われたため、「改築なしの建物」としては、大原家住宅が倉敷で一番古いとのこと。
江戸時代後期の1795(寛政7)年からつい最近まで、大原家の人々が代々住んでいました。
2018年から倉敷市の施設として一般公開。
旧大原家入り口

旧大原家の中にたくさんの建物があります。

旧大原家離れ

離れでお茶とお菓子をいただく

旧大原家住宅と有隣荘の間から大原美術館を見る。

中橋から見る大原美術館

旧中国銀行倉敷本町支店 。
改築中なので、中の見学はできませんでしたが、改修後は大原美術館別館として公開される予定。
大原孝四郎が設立した旧倉敷銀行本店の跡地に、大原孫三郎によって建築された第一合同銀行倉敷支店→中国銀行で、1922(大正11)の完成。
設計は陸軍技師の建築家薬師寺主計。(1884-1965)。薬師寺は陸軍を退役し、大原孫三郎に招かれ倉敷絹織株式会社の役員となり大原美術館、倉紡中央病院などの設計を担当しました。
旧中国銀行

旧中国銀行も改修がすんだあと、大原美術館別館としてオープンするそうですから、倉敷の建物も、次はもっとゆっくり見る機会を作りたいと思います。
今回、ゆったりした気分で倉敷美観地区ですごすことができたのは、遊覧船にのって船頭さんの解説を聞きながら建物を見ることができた20分余り。歩いて見るのとはまた違う風情があってよかったです。
遊覧船に乗って

川から眺める美観地区の建物






川から見上げる大原美術館

旧大原家住宅と隣に建つ大原家別邸となる有隣荘は、1928年(昭和3年)に 大原孫三郎が、病弱な妻を気遣って建てたもの。来客の多い本邸ではなく、妻が落ち着いて暮らせるように、として建てた住まいだそうです。春秋の期間限定で内部公開が実施されるそうですが、今回は見ることかなわず。
有隣荘の川沿い側の塀

旧大原家住宅と有隣荘塀

遊覧船上の顔

<つづく>