20201121
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記秋色の空(2)横須賀ストーリー
土曜日日帰りの行楽として娘が計画したのは「横須賀散歩」。
私が知っているのは「♪これっきりこれっきりこれっきり、これっきりですかあ~」という山口百恵の出身地であること、軍事にかかわり深い港町であること、横須賀浦賀沖にペリーが来たことくらい。
東京から日帰り圏内であるのに、鎌倉や葉山の神奈川県立美術館などは何度も訪れているのに、三浦半島の反対側の横須賀は訪問したことがありませんでした。
娘が横須賀を訪れたくなったのは、横須賀美術館に行くため。
上田薫展に展示されているという「超リアリズム絵画」の代表作「割れた卵殻から落ちる黄身と白身」の「写真以上のリアリズム」にびっくりしたからです。上田薫展の報告はのちほど(埼玉県立近代美術館で2度目の上田薫展を観覧)
京急が「三浦半島満喫切符」「横須賀満喫切符」など、電車+ごはん+行楽(施設入場料またはおみやげ)がセットになっている券を売り出しています。
朝8時半に家を出て、横浜行き特急、乗り継いだ京急も急行だったので10時には馬堀海岸駅につき10時10分にはバス停に着きました。ところが馬堀海岸から三浦海岸行きのバスは5分前に出たという時刻表。次のバスは10時半。それじゃ待っているのもなんだから、目の前にあるスーパーで何か買おうと店へ。10時半前に戻っても、延々待ち10時50分に到着。これじゃ、前のバスも20分くらい遅れたのかも、スーパーへ行かないで待っていればよかったと思ったのが、本日の失敗第1の巻。
防衛大学校のキャンパスや寮がある街なので、通りを歩く大学校生の制服姿を見ることができたことが待ち時間の収穫でした。昔は士官学校の制服を着た姿が女性のあこがれのマトだった、というのもわかるカッコいい制服の防衛大学校生でした。
バスは混みこみでしたが、なんとか座る席はありました。進行左側に座った娘の座席からは海が見えたというのですが、右側の私の席からは横須賀の住宅街、特に目につく建物もなし。
美術館から見る横須賀の海
11時過ぎ、横須賀市立美術館入館。娘1000円私シルバー券650円。「上田薫展」と常設展、別館の谷内六郎展を観覧できます。
美術館内
最初にレストランのぞいて、「けっこう空席があるから、ランチ時もだいじょうぶそうだね」と思ったのが第2の失敗。
常設展を見ている途中で「おなかすいたね」ということになりました。
今日一日のうちなら何度も観覧自由というので、1時近くになってにレストランに行くと、ウエイティングボードには、ずらりと順番待ちの名前。わあ、失敗した、先に名前を書いてから観覧すべきだった、と思ってももう遅い。谷内六郎館を見てくることにしました。
谷内六郎(1921-1981)は、長く週刊新潮の表紙絵を描いていた画家です。1956年から26年の間に1336枚の原画を描き、59歳で亡くなりました。
1975年に横須賀市内にアトリエ構えて制作してきた縁で、遺族が横須賀市に作品を寄贈しました。遺族は「作品アドバイザー」として25年間年間22万円のアドバイザー料金を受け取ってきたのですが、2012年に市はアドバイザー料金の停止を決定したため、遺族は作品の返還を求めまた。裁判になりましたが、2013年に市側の「寄贈されたものは返還しない」という主張が勝訴。市の財政悪化のため、というのですが、市の予算を22万円けずってどんなメリットがあったのかわかりませんが、少なくとも著作権がある間は年間22万を支払ってもよかったんじゃないかしら。もしくは、遺族は寄贈ではなくて貸与にしておくほうがよかったかと。
そんないきさつは知らないままでしたが、季節ごとに展示側が変わる谷内作品、毎週発行の週刊誌で見かけていたころは「特別大好き」とも思わなかったのですが、亡くなって40年たった今から見直すと、昭和の子供たちの姿が季節ごとに現れていて、ノスタルジーあふれ、かつ私にはなつかしい絵でした。
谷内六郎館入り口
コロナ感染予防に役だつ図柄「やつ手も手を洗っている」
ランチの席を待っている間に谷内六郎展示館を見て帰っても、ボードに書かれた名前の減り具合はなかなか進みません。空いているテーブルがけっこうあるから大丈夫思ったのは、ソーシャルディスタンスとかで、利用していないテーブルがあったからでした。
ランチにありついたのは3時近くになっていました。待ち時間、私は美術館前に広がる芝生に寝転がり、横須賀の海を眺めて過ごしたのですが、娘は「名前呼ばれたときにそばにいないと後回しにされるかもしれないので、心配だから」と、ずっと立って入り口近くに立って待っていたので、すっかり疲れてしまいました。
でも、名前呼ばれたときにそばにいなかった人があとからやってきて、すぐに案内された例もあって、「立って待っていて疲れた」と。コロナ対策のためにウエイティングチェアを撤去中なんですって。だったら、整理券を渡すなどの工夫をすべきだと思いました。
3時にレストランアクアにようやく入れました。ランチコース、待ちくたびれておなかぺこぺこ状態で食べたので、「空腹は最高の調味料」
パスタランチ
前菜&サラダ、パスタ2種(娘と私)、デザート
食べ終わって常設展をゆっくり回り、上田薫展が人が少なくなっていたのでもう一度見て、美術館をあとにしたのは5時。もう暗くなっていました。絵を見ている間に夕暮れの東京湾景を見逃してしまったのが第3の失敗。
夕暮れの横須賀美術館
美術館の向かい側にある「スパッソ」という油壷温泉から湯をひいているという温泉に入りました。
「東京湾夕景色」を見ながら露天風呂につかる、という予定だったのですが、もう海はまっくら。対岸に横浜の明かり東京のあかり千葉のあかりが並んでいるのをtながらお湯につかりました。
岩盤浴は追加料金なしで入れました。25分たつと係員が「時間ですよ」と呼びにくる。娘は横浜プリンスホテルの岩盤浴や川口のスーパー銭湯の岩盤浴と比べて、ここが一番自分に合っているという感想。
風呂上りは、お楽しみ晩御飯。ホテルのレストラン浜木綿で「海軍カレーセット」
海軍カレーを賞味。
21時過ぎにホテルを出て、22時半に帰宅。
一日の日帰り行楽。「京急横須賀満喫ツアー切符」3200×2=6400円。美術館入場券1650円。美術館ランチ6000円。美術館図録代ほか5000円。海軍カレー追加のジュース650円。合計ふたりで14時間たっぷり楽しんで2万円ちょいの日帰り行楽でした。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2020二十重日記秋色の空(2)横須賀ストーリー
土曜日日帰りの行楽として娘が計画したのは「横須賀散歩」。
私が知っているのは「♪これっきりこれっきりこれっきり、これっきりですかあ~」という山口百恵の出身地であること、軍事にかかわり深い港町であること、横須賀浦賀沖にペリーが来たことくらい。
東京から日帰り圏内であるのに、鎌倉や葉山の神奈川県立美術館などは何度も訪れているのに、三浦半島の反対側の横須賀は訪問したことがありませんでした。
娘が横須賀を訪れたくなったのは、横須賀美術館に行くため。
上田薫展に展示されているという「超リアリズム絵画」の代表作「割れた卵殻から落ちる黄身と白身」の「写真以上のリアリズム」にびっくりしたからです。上田薫展の報告はのちほど(埼玉県立近代美術館で2度目の上田薫展を観覧)
京急が「三浦半島満喫切符」「横須賀満喫切符」など、電車+ごはん+行楽(施設入場料またはおみやげ)がセットになっている券を売り出しています。
朝8時半に家を出て、横浜行き特急、乗り継いだ京急も急行だったので10時には馬堀海岸駅につき10時10分にはバス停に着きました。ところが馬堀海岸から三浦海岸行きのバスは5分前に出たという時刻表。次のバスは10時半。それじゃ待っているのもなんだから、目の前にあるスーパーで何か買おうと店へ。10時半前に戻っても、延々待ち10時50分に到着。これじゃ、前のバスも20分くらい遅れたのかも、スーパーへ行かないで待っていればよかったと思ったのが、本日の失敗第1の巻。
防衛大学校のキャンパスや寮がある街なので、通りを歩く大学校生の制服姿を見ることができたことが待ち時間の収穫でした。昔は士官学校の制服を着た姿が女性のあこがれのマトだった、というのもわかるカッコいい制服の防衛大学校生でした。
バスは混みこみでしたが、なんとか座る席はありました。進行左側に座った娘の座席からは海が見えたというのですが、右側の私の席からは横須賀の住宅街、特に目につく建物もなし。
美術館から見る横須賀の海
11時過ぎ、横須賀市立美術館入館。娘1000円私シルバー券650円。「上田薫展」と常設展、別館の谷内六郎展を観覧できます。
美術館内
最初にレストランのぞいて、「けっこう空席があるから、ランチ時もだいじょうぶそうだね」と思ったのが第2の失敗。
常設展を見ている途中で「おなかすいたね」ということになりました。
今日一日のうちなら何度も観覧自由というので、1時近くになってにレストランに行くと、ウエイティングボードには、ずらりと順番待ちの名前。わあ、失敗した、先に名前を書いてから観覧すべきだった、と思ってももう遅い。谷内六郎館を見てくることにしました。
谷内六郎(1921-1981)は、長く週刊新潮の表紙絵を描いていた画家です。1956年から26年の間に1336枚の原画を描き、59歳で亡くなりました。
1975年に横須賀市内にアトリエ構えて制作してきた縁で、遺族が横須賀市に作品を寄贈しました。遺族は「作品アドバイザー」として25年間年間22万円のアドバイザー料金を受け取ってきたのですが、2012年に市はアドバイザー料金の停止を決定したため、遺族は作品の返還を求めまた。裁判になりましたが、2013年に市側の「寄贈されたものは返還しない」という主張が勝訴。市の財政悪化のため、というのですが、市の予算を22万円けずってどんなメリットがあったのかわかりませんが、少なくとも著作権がある間は年間22万を支払ってもよかったんじゃないかしら。もしくは、遺族は寄贈ではなくて貸与にしておくほうがよかったかと。
そんないきさつは知らないままでしたが、季節ごとに展示側が変わる谷内作品、毎週発行の週刊誌で見かけていたころは「特別大好き」とも思わなかったのですが、亡くなって40年たった今から見直すと、昭和の子供たちの姿が季節ごとに現れていて、ノスタルジーあふれ、かつ私にはなつかしい絵でした。
谷内六郎館入り口
コロナ感染予防に役だつ図柄「やつ手も手を洗っている」
ランチの席を待っている間に谷内六郎展示館を見て帰っても、ボードに書かれた名前の減り具合はなかなか進みません。空いているテーブルがけっこうあるから大丈夫思ったのは、ソーシャルディスタンスとかで、利用していないテーブルがあったからでした。
ランチにありついたのは3時近くになっていました。待ち時間、私は美術館前に広がる芝生に寝転がり、横須賀の海を眺めて過ごしたのですが、娘は「名前呼ばれたときにそばにいないと後回しにされるかもしれないので、心配だから」と、ずっと立って入り口近くに立って待っていたので、すっかり疲れてしまいました。
でも、名前呼ばれたときにそばにいなかった人があとからやってきて、すぐに案内された例もあって、「立って待っていて疲れた」と。コロナ対策のためにウエイティングチェアを撤去中なんですって。だったら、整理券を渡すなどの工夫をすべきだと思いました。
3時にレストランアクアにようやく入れました。ランチコース、待ちくたびれておなかぺこぺこ状態で食べたので、「空腹は最高の調味料」
パスタランチ
前菜&サラダ、パスタ2種(娘と私)、デザート
食べ終わって常設展をゆっくり回り、上田薫展が人が少なくなっていたのでもう一度見て、美術館をあとにしたのは5時。もう暗くなっていました。絵を見ている間に夕暮れの東京湾景を見逃してしまったのが第3の失敗。
夕暮れの横須賀美術館
美術館の向かい側にある「スパッソ」という油壷温泉から湯をひいているという温泉に入りました。
「東京湾夕景色」を見ながら露天風呂につかる、という予定だったのですが、もう海はまっくら。対岸に横浜の明かり東京のあかり千葉のあかりが並んでいるのをtながらお湯につかりました。
岩盤浴は追加料金なしで入れました。25分たつと係員が「時間ですよ」と呼びにくる。娘は横浜プリンスホテルの岩盤浴や川口のスーパー銭湯の岩盤浴と比べて、ここが一番自分に合っているという感想。
風呂上りは、お楽しみ晩御飯。ホテルのレストラン浜木綿で「海軍カレーセット」
海軍カレーを賞味。
21時過ぎにホテルを出て、22時半に帰宅。
一日の日帰り行楽。「京急横須賀満喫ツアー切符」3200×2=6400円。美術館入場券1650円。美術館ランチ6000円。美術館図録代ほか5000円。海軍カレー追加のジュース650円。合計ふたりで14時間たっぷり楽しんで2万円ちょいの日帰り行楽でした。
<つづく>