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ぽかぽか春庭「こんな夜更けにバナナかよ」

2021-04-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

 

20210403

ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2021ステイホームシネマ(5)こんな夜更けにバナナかよ


 久しぶりにアコさんから電話がありました。アコさんは視覚障害を持つ、私の大事な友人のひとりです。
 アコさんは、昨年のコロナ発生以後、1年間ほとんど自宅から出ることなく、関東に住む実家のお母さんにもずっと会えていないことなど、つらい歳月であったことを語っていました。自宅待機せよ、という緊急事態宣言の中、身体障害を抱える人々は、高齢者以上にちょっとした買い物に出るのも不自由な生活になりました。外出のためにヘルパーさんに付き添いを頼めば、家事や身体介護の時間が足りなくなるからです。コロナで仕事が減った人や店舗、企業などには補助がありましたが、コロナだからといって、介護の時間が増えるわけではなく、障害を持つ人にはいっそう厳しい生活になっていること、これまで世間は目を向けてきませんでした。私も含めて。

 私がアコさんの朗読ボランティアとなったのは、1985年ごろからでした。区立図書館の有償ボランティア。2時間の朗読サービス実施で800円の謝金を受け取りました。当時私は、奨学金をもらうために国立大学学部に入学し、2歳の娘の子育てと大学の授業の毎日、何か「直接社会に役立つことをしている」という実感が欲しかったのです。

 アコさんは「今までのどの朗読ボランティアよりも、あなたの読む声と文字の解説が、視覚障害者が求める朗読にあっている」といい、私はアコさんの専属のような形になりました。アコさんがご主人の転職のために大阪へ引っ越したころには、もう図書館のボランティアをやめていましたが、「視覚障害者も楽しむ演劇」の活動をするするためにアコさんが東京へ来て劇場に行く際に、ガイドヘルパーとして付き添いました。

 無償ボランティアで、劇場への往復交通費やいっしょに演劇を鑑賞する入場費用は自腹でしたが、このガイドヘルパーを続けたのは、私自身が「直接人の役に立つという感情」を必要としていたからだと、今では気づいています。
 実家に助けられてようよう暮らしを保つ生活の中で「助けられているだけ」ではなく、「だれかを助けることのできる自分」であることが、生きる支えになっていたのだと、今はわかっています。私がアコさんを助けた、という以上に、アコさんが私を支えていたのです。

 『こんな~』は、2003年に原作の『こんな夜更けにバナナかよ筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』が出版されたときから読みたいと思いつつ、「筋ジスで身体不自由な方の話、重いんじゃないかなあ。読むのは気力体力がついてから」と、後回しにしてきました。著者渡辺一史は大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞しています。

 鹿野靖明さん(1959-2002)とボランティアに参加したさまざまな人生をまとめたノンフィクションは、決して重いばかりの話ではなく、鹿野さんの人を魅了する人柄と、彼を支えたボランティアの交流。通算500人に上ったボランティアそれぞれの人生に焦点を当てた著作。タイトルでもわかるように、決して重いばかりの話ではなく、ユーモアのある、しかし深く人生を考えさせられる著作。

 大泉洋主演で映画化されても、本が出版されたのは、鹿野靖明さんが亡くなったあとだということを知っていたので、娘の「こういう時期だから、人が亡くなる話はつらい、しかも春馬くん死んじゃってるし」ということで躊躇していましたが、えいやっと、いっしょに見ることにしました。

 大泉洋は、いつも通りテンションマックスでしゃべりまくるだろうけれど、もともと鹿野さんはしゃべるのが大好きな人だったというし、鹿野さんは2002年に本の出版前に亡くなっているのは承知で、楽しんで見ることができました。

 ユーモアにあふれ、面白くて笑える脚本になっていたけれど、障害者を支えるとは何か、生きるとは何かという問題を深く考えさせる内容になっていました。

監督/前田哲 出演/大泉洋、高畑充希、三浦春馬、萩原聖人、渡辺真起子、宇野祥平、韓英恵、竜雷太、綾戸智恵、佐藤浩市、原田美枝子

 以下、ネタバレを含みます。

 鹿野さんは、「自分の人生と生活を、自分で決定する自由を持つことを自立とみなす」として、さまざまな苦難を抱えながら数多くのボランティアを組織し、障害を持つ者が生き生きと人生を過ごせるために全力で講演を続け、介護法が成立する前の困難な時代を切り開く活動を成し遂げました。

 筋ジストロフィは、筋肉がしだいに動かなくなり、最終的には呼吸もできなくなり心臓の筋肉が動かなくなって死に至る。鹿野さんは5歳で発症し、18歳で車椅子生活に。それでも「施設のなかで、世話を受けるだけで、自分で自分自身のことを決めることができない生活」より「不自由でも自分で自分の生活を決定できる自由」を求めてアパートでのひとり暮らしを始めました。一人暮らしといっても、鹿野さんには自分の尻を拭くこともできないのです。
 鹿野さんは、ボランティアを組織し、彼を24時間支える体制を作りました。自力呼吸ができなくなったあと、気管切開を受けて声帯損傷で声が出なくなったあとも「しゃべりたい」という強い意志でリハビリを続け、話せるようになり、最後に心臓の筋肉が止まるまで、自分自身の人生をまっとうしました。

 大泉洋は、風貌は決して鹿野さんに似ていないのに、鹿野さんに関わったみなが「鹿野さんそのまま」と評した熱演で、映画を明るい雰囲気にしていました。累計500人の「鹿野さんを支えるボランティア=鹿ボラ」を集約する形で創作された高畑充希、三浦春馬のエピソードもよくまとめられていたと思います。

 ボランティア側の「だれかを支える自分でありたい」という願いを組織できた鹿野さんの「自分の人生を生ききる力」は、多くのボランティアの人生を支えた、ということ、アコさんへのボランティア活動が自分自身の生活を支える元になっていたことを経験している私には、自分自身のこととして理解できました。

 高畑充希、三浦春馬のふたりは、実在のボランティアたちを集約として創作された役です。「ふたりが結婚した」という鹿野さん死後のエピソードも、この映画を明るく終わらせるために希望ある創作ストーリーであったと思います。(春馬くん、つらいこともあったろうけれど、鹿野さんのように生き抜いて欲しかった)。

 緊急事態宣言延長後、土日も家で「テレビばっかり生活」になっています。私のような怠け者は、自宅待機に一番向かない。人と接することもなく、運動することも頭を活性化することもなく、ぼうっとテレビをだらだら流し続ける生活。私のような怠け者ばかりでなく、生き生きと過ごしている人もむろんいるとは思うけれど。 
 せめて、だらだらと見たテレビドラマや映画の感想をメモしておくことが、せいいっぱいの積極的な活動です。

 原作者渡辺一史(1968~)の『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』ちくまプリマー新書 2018は、中高生向きの著作ですが、読んでみたいです。人は人を支え、支えられて生きる動物なのです。

 ブックオフ110円本で渡辺の『こんな夜更けにバナナかよ』を購入。鹿野の死のシーンから読み始めました。

<つづく>
コメント (2)
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