20210918
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン教師日誌>日本語2021かんじいい漢字教室(3)太宰治の愛人は中国人だと思った、という誤解
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン教師日誌>日本語2021かんじいい漢字教室(3)太宰治の愛人は中国人だと思った、という誤解
多くの非漢字圏母語話者の日本語学習者が「日本語はむずかしい」と嘆く要因のひとつが、漢字です。しかし、中国語母語話者にとって、すでに中国で習ってきた5000字の漢字が身についていますから、漢字の意味の理解は圧倒的に早く、他の非漢字圏学習者に比べて有利です。
次に有利なのは、漢字は学習してこなかったけれど、母語の文法(ことばの並べ方)が日本語と同じである韓国朝鮮語、モンゴル語、トルコ語などの話者。ことばの並べ方が同じなので、語の入れ替えをすれば、すぐに日本語がはなせるようになる。
一番有利なのは、母語がモンゴル語で、学校で漢字教育を受ける中国内モンゴルに住むモンゴル族です。
中国人の間違いは。意味が近いけれど、日本語と中国語でちがう表現です。
「愛人」は、中国語では妻や夫などパートナーのことですが、日本語では「正式な結婚をしている妻&夫のほかの恋人のこと」などの、意味が異なる場合は教師も注意を喚起しますが、微妙な違いだと学生も教師も気づかないまますごしてしまうことも。
「工作」という語、初級で出てくることはそれほどないです。なので、語彙を調べないまま中級に進むと、誤解したままのことも。
「夏の工作」という語を見たとき、日本語母語話者なら、夏休みに宿題で作った自由研究の工作を思い浮かべますが、中国人学生は「夏休み中のアルバイト」と思います。「工作」は、中国語では「仕事」という意味だからです。「工作」が出てきたときは要注意。
初級教科書で出てくる語には語彙表(訳語表)がついているのでまだ誤解は少ないですが、中級上級となり、中国語漢字語彙が増えてくると、意味はわかると思って辞書をひかない学生も出てくる。
つい先日も「中国人は、知っている漢字だと意味もわかると思って辞書をひかない」という例に遭遇しました。
Oさんは、来日して20年の女性。中国政府出資会社の総経理(社長)という要職をこなしつつ中学生女子の子育て中。多くの人の支えを受け、2年前に日本の私立大学で博士号を取得した努力家です。
しかし、自分の日本語は基礎がしっかりしていないと感じて、もう一度基礎から日本語を学び直そうと思いたちました。コロナ禍のせいで、中国と日本の往復ができず、仕事がなかば開店休業状態になったためもあります。(リモートではむずかしい対人の仕事中心なので。)
博士論文の「発表原稿」の添削を頼まれたことをきっかけとして、日本語の基礎と「日本の歴史文化社会」についてのレクチャーをすることになりました。
ある日の個人授業で、日本の「華族制度、爵位、公侯伯子男」について説明する機会がありました。最近の歴史教科書には、江戸時代の「士農工商」という身分を掲載していないそうです。この身分制度は、実際の江戸社会を反映していないと考える歴史家が多くなったからです。
しかし明治以後の身分制度、平民士族華族は、法的な制度であり、社会のなかで一定の機能があった制度です。
「華族」と言う語、初級中級でも出てきません。
Oさんは、「華」は「中華=中国」という意味だと考えました。「チベット族」「モンゴル族」などと同じく、「華族」という語は「中国族、中国人」のことだと信じて、Oさんは「華族」の意味を調べたことはありませんでした。
太宰治を主人公とする映画を見た時、太宰の愛人のひとりが「華族出身」と聞いて、Oさんは「へぇ、太宰治の妻は日本人だけれど、愛人は中国人だったんだ」と、思い込みました。映画の中の「華族の女性」は、とても中国人とは思えないくらい、日本語がなめらかです。
春庭が華族制度について説明したあと、Oさんは「センセー、わたし、初めてわかりました。太宰治の愛人は、中国人じゃなかった」と、ようやく理解した感動を述べました。
「華」も「族」も、意味がよくわかっている漢字だから、熟語「華族」はわかっていると思い、日本語の辞書をひかなかったために起きた誤解例です。華族とは、中国族ではなく、日本の貴族制度のことだった。すでに歴史的なことがらになり、現代社会には必要のない語なので、Oさんは「華族」の意味を誤解したままだったのです。
ちなみに、このときの会話。
「あの、センセー、小説家が女の人といっしょに死ぬ日本の映画を見ました。男の人は小説家ですけど、名前、忘れました」「女性といっしょに死んだ作家で有名な人は、婦人記者といっしょに死んだ有島武郎か、美容師と死んだ太宰治ですが、ほかにもいたっけな」「あ、センセー、人間なんとかという映画です」「ああ、それじゃ、太宰治ですね、『人間失格』という小説は有名です。映画のタイトルは、『人間失格太宰治と三人の女たち』でしたね。でも、華族が出てくるのは、人間失格ではなくて、斜陽という小説です」
「センセと話していると、今まで20年も日本に住んできて、わかっていなかったことが、次から次によくわかるようになって、すごくうれしい」
私にとっても、「華族」を中国人のことだと思い込む、というような例を知ることができて、とてもうれしい。日本語教師の「なんでも引き出し」にまたひとつよい例をしまうことができました。
『斜陽』に出てくる華族出身の愛人太田静子の娘太田治子も、本妻津島美知子 の娘津島裕子もどちらも小説家になった話などして、華族の話題を終わりにしました。
小栗旬が太宰を演じる「人間失格~」を、私は見ていなかったのですが、見ようかと言う気になりました

<つづく>