20230409
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>花のもとにて春至難(5)桜吹雪忌2023
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>花のもとにて春至難(5)桜吹雪忌2023
2月28日、母が心不全で55歳で亡くなって50年目でした。妹から「あした、お墓参りに行くよ」というラインが入ったのだけれど、2月末のHALはリストラバトルで、意気消沈しているときだったので、お墓参りは妹にまかせました。
実家の檀家寺では、33回忌を最後として法事は打ち止めなのですが、家族がお墓参りをするのは、重いのままに。
母が亡くなって50年もたつのに、妹はいまだに町のなかで「あなたのお母さんに、私の家族はほんとうに世話になった。うちの家族がなんとか生きてこれたのは、お母さんのおかげです」と感謝のことばを受け取っています。ごく自然に人助けをして、それを人に吹聴することもなく、「陰徳を積んだ人」だったので、55歳で亡くなったときは、人を助けるばかりで自分をいたわらないから、早くに亡くなってしまったのか、と悔しくてならなかったです。
なかには「お母さんにたいへんに御恩を受けたのに、私は気づいておらず、最近知ったんです、直接お礼をいえないままになってしまいました」と、妹がある人からご挨拶を受けたそうです。
父と同じ会社で働いていたMさんがなくなり、小さな子供二人と奥さんが残されました。そのころ、母は会社の家族会の会報に文章を寄せたり新聞の俳句短歌欄に入選したりしていたので、母を見込んで「信用金庫の事務の仕事」をしてくれないか、と頼まれていました。母は娘3人に「女性も働くほうがいい」とい言い続けていましたから、仕事を受けたかったと思います。
60年も前のこと、女性が働く場は少なく、まして中年の女性が就職する機会はめったにありませんでした。母は「Mさんはお子さんふたりかかえて、ご主人がなくなって、これからたいへんだろうから、信用金庫の仕事があるなら、Mさんにお願いしてもらえませんか」と、仕事を譲りました。Mさんは、どうして自分に仕事が紹介されたのかわからないまま、働き続け、定年退職するときに、はじめて「こういう経緯で働いてもらうことになったんだけど、そのことは口止めされていたんです」と、知らされました。
どうして自分に仕事を紹介されたのか、気に留める時間もないくらい、仕事と子育てで夢中で生きてきて、近所に住んでいながらただのご近所さんとしておつきあいしてきた母が、実は「働き手を失った一家の救いの手」を伸ばしてくれたことに、何十年もたってからわかった、というのです。
妹からこの話を聞いて、あらためて「自分のことはあとまわしにして人の世話をすること」が多かった母をしのびました。
姉と妹は、母によく似て人の世話をすることが多かったのに、私は母の姉アヤ伯母に似て、人と話すことが苦手なひきこもりの性格を受け継ぎました。姉と妹はアヤ伯母に似ておしゃれが大好き、新しい服とバッグを手に入れることが大好き。私は母に似て服装にまったく興味がない、というふうに、遺伝子がどうばらまかれるかはおもしろいもんだなあ、と思います。アヤ伯母は字がきれいで、役所で働いていたとき、まだワープロもない時代に、役所から出す封筒の宛名を書くのが仕事のひとつだったけれど、母も私も悪筆。悪筆だけれど、ものを書くのは大好き。
母は55歳で、心臓が弱っていることを藪医者に見抜いてもらえず、「熱がでているので、これはインフルエンザだから抗生物質うっておきましょう」と、注射され、ますます心臓が弱りました。
死をみとった大学病院では「最初の診断は疑診」とカルテに書き込みました。誤診と書くと最初の医者を非難することになるので、「疑診」と書いたのです。
ほんとうに残念な早世でしたが、50年たっても母から受けた恩を忘れない人がいるということは、娘にとっては誇りです。
姉が「子宮筋腫」と誤診された「子宮肉腫」のために2002年に他界しました。54歳でした。昨年で21回忌の法事を故郷の寺で行いました。今年は、それぞれが時間のあるときにお墓参りをする、ということになりました。
親族間のラインで、姉の娘や妹の娘たちが、姉が最後を迎えたホスピスについて思い出を語りあっているのを読み、姪たちが姉のことを話題にして懐かしんでいてくれることをうれしく思いました。
人の死は2度あります。一度目は肉体的な死。心臓停止か、脳波の停止かという違いはそれぞれの人によるでしょう。2度目の死は、その人を覚えていて思い出を語ってくれる人がひとりもいなくなった時です。
姉は美容室を経営し、お客さんにも慕われていましたから、姉のことを覚えていてくれる人も、まだ残っているだろうと思います。
姉の一家、姉のふたりの娘から孫6人、ひ孫が3人になりました。
姪たちの心にも残っている姉を、私も静かにしのんですごそうと思います。
2002年4月10日。姉はふるさとのホスピスに入院して山の中の桜満開を見届け、桜吹雪の中旅立ちました。私は姉の忌日を「桜吹雪忌」と呼んで、桜が散る時期になると姉をしのびます。
<おわり>