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20230420
ぽかぽか春庭アート散歩>建物拾遺(2)転入先の村野藤吾
4月10日、ようやく新しい健康保険証をもらうことができました。ごく当たり前に健康保険証をつかっているけれど、留学生たちの話を集めると、健康保険制度がない国のほうが多いことがわかります。誰の身にも、いつ病気やケガが病気になるのかはわからないこと。それでも安心して暮らしていられるのは、病気になったらすぐに医者に行けると思うから。
転入手続きを行った区役所、村野藤吾の作品。東京・昭和の名建築です。
転出届を出した元の区役所の建物など、小さ目の庁舎が5つか6つくらいに分かれていて、どこに何があるのかわかりずらいしょうもない区役所です。(統合して新ビルを建てるという話ですが)。
転入先の旧千代田生命本社だった区役所、敷地も広く「生命保険、どんだけ儲かっていたんだよ!」と、突っ込みたくなるくらい、贅沢なつくりです。せっかく転入してしたのですから、せいぜい区役所利用しようと思います。和室など、区民利用ができる部屋もありますので。
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2013年に書いた春庭建築探訪のコラム
数年に一度出かけるのが、目黒区総合庁舎。1966年竣工、旧千代田生命保険本社ビル。同生命保険が2000年に破綻した後、目黒区が買い取り2003年から区庁舎となっています。
結婚後の本籍地を、夫の実家がある区にしたので、戸籍抄本などが必要になると出かけていました。今では郵送やネットで戸籍請求もできるのに、わざわざ出かけるのは、区役所の建物に入りたいからです。
数年に一度出かけるのが、目黒区総合庁舎。1966年竣工、旧千代田生命保険本社ビル。同生命保険が2000年に破綻した後、目黒区が買い取り2003年から区庁舎となっています。
結婚後の本籍地を、夫の実家がある区にしたので、戸籍抄本などが必要になると出かけていました。今では郵送やネットで戸籍請求もできるのに、わざわざ出かけるのは、区役所の建物に入りたいからです。
区役所の建物紹介。
建物の全面は、彫りの深いアルミ鋳物のたて格子で覆われています。その内側には、バルコニーが設けられています。
外光は、このたて格子とバルコニーを通してやさしい光に表情を変え、室内に差し込みます。
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レストラン・喫茶室の前の廊下からは、中庭の池、和室の縁側を見ることができます。池には「心」の字をくずした石組みが置かれています。
池の石組みと植え込みは、村野氏自ら選び、職人と共に丁寧に組み、植え込みました。
レストラン前の廊下から池を望む
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和室がある棟は、かつての社員の喫茶室・厚生フロアとして使われていました。現在の和室および茶室は、文化的活動を目的とした登録団体がご利用いただけます。
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区役所HPの村野藤吾の紹介
1891年(明治24年)佐賀県生まれ。1984年(昭和59年)兵庫県で逝去(93歳)。1929年(昭和4年)大阪に村野建築事務所(後に村野・森建築事務所)を設立。1967年(昭和42年)に文化勲章、他に日本芸術院賞、日本建築学会賞(3回)、毎日芸術賞、BCS(建築業協会)賞などを受賞。しました。現総合庁舎、旧千代田生命保険相互会社では、1969年(昭和44年)に第10回BCS賞を受賞。
今は、改築されてしまいましたが、50年前、村野藤吾が手掛けた校舎の中で学んでいたのだなあと思います。
住民票をもらうなどの手続きも目黒駅中などの出張所でもできるのですが、どうせなら、これからも村野作品の建物中で手続きしたい。
<つづく>