20240924
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの新旧(5)漢字読み方の変化その3
2005年の春庭コラム再録です。
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2005/02/03 (木)
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読み③
「世論」あなたは、せろん派ですか。よろん派ですか。
世論:よろん→せろん・・・は、何となく「せろん」の方が響きが好きなので、そう読んでいます。投稿者:m******** (2005 2/2 10:17)
元の語は輿論(よろん)だったのに、「輿」の字が当用漢字になかったために代替漢字として「世論」が使われた。そのため「せろん」と読む人がふえ、今では「せろん」「よろん」両方が使われている。
私は「世の中の論」という感じがすきだから「よろん」と言っているが、m*******さんはじめ、若い世代は「せろん」派が多くなる。こちらは「世間(せけん)の論」というニュアンスで受け取れる。
元の「輿論」の「輿」は「人を乗せる輿(こし)」→「あらゆるものをのせる台、人をのせている大地」→「大地の上にのっている世間の人々、世の中」という意味なので、世の中でも世間でもどちらの受け止め方もできる。読み方としては「よろん」が元々の言い方だった。
「せろん」のように読み方が変わったものも、それが広まれば定着する。「撒水さっすい→さんすい散水」「独擅場どくせんじょう→どくだんじょう独壇場」などのように、誤読に合わせた漢字のほうが優先的に使われるようにもなる。
「総合初等教育研究所」2005/01/27発表の「小学生漢字読み書き習得状況調査」で、「子どもが苦手な字」として、誤読が多かった字があげてある。
「米作農家 べいさくのうか→こめさくのうか」「川下 かわしも→かわした」「戸外 こがい→とがい」など。
誤記述の漢字。「こかげ 木かげ→小かげ」「らくがき 落書き→楽書き」など。
私は、これらはあと30年して今の子どもたちが社会の中心世代になったら、「慣用読み」「慣用書き」として定着していくだろうと予測する。
重箱読み湯桶読みがあるのだから「米作」が「べいさく」でなく「こめさく」でも、みんながそう読みたいのなら、定着する。「らくがき」するのが楽しい子どもたちは、「楽書き」と書き表わしていくだろう。
変わりはじめた当初の誤読者に対しては「今どきのワカゾーは、漢字ひとつ読めない。消耗(ショウコウ)をショウモウなどと読みおって、けしからん。嘆かわしい」と非難されただろう。今は「ショウモウ」と読んでも、当然とされる。
「米作」を「こめさく」と読む人がおおくなれば、その読み方が定着していく。
「楽書き」という書き方が生まれて定着していくかどうか、そのあと「落書き」のほうも残るかどうかは、後の世代にまかせるとしよう。
「楽書き」って、なんだか楽しそうでいいなあ。決められた紙やノートに書くだけじゃなく、教科書のすみっこや机のうらなんかに、こっそり落書きをするのが、楽しいって子どもの気持ちが出ている。
読み方の変化、最初は誤読だったものが慣用的に使われて、定着する。誤読自体はこれからも起こりうることだ。
では、子どもたちの漢字読み書き能力が弱くなっている問題を、どうしたらよいのか。
漢字文化は日本語言語文化にとって、大変重要なものだ。漢字文化をなくしてしまうことは、私たちのものの考え方感受性にまで影響が及ぶ。
たいせつなことは、「こんな簡単な読み方をまちがえるなんて、なってない」「漢字書取りを強化しなければ」と憤るだけでは済まないってことだろう。ひとつの漢字を百回繰り返して書取りしても、子どもの心に残らなければ、それは手の運動になるだけで、漢字が身に付いたことにはならない。
言語文化全体をみわたして、「ことばの学び」をどうしていくべきなのか、考えていくこと。現代の子どもたちをとりまく言語文化環境はあまりにも貧弱です。
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読み③
「世論」あなたは、せろん派ですか。よろん派ですか。
世論:よろん→せろん・・・は、何となく「せろん」の方が響きが好きなので、そう読んでいます。投稿者:m******** (2005 2/2 10:17)
元の語は輿論(よろん)だったのに、「輿」の字が当用漢字になかったために代替漢字として「世論」が使われた。そのため「せろん」と読む人がふえ、今では「せろん」「よろん」両方が使われている。
私は「世の中の論」という感じがすきだから「よろん」と言っているが、m*******さんはじめ、若い世代は「せろん」派が多くなる。こちらは「世間(せけん)の論」というニュアンスで受け取れる。
元の「輿論」の「輿」は「人を乗せる輿(こし)」→「あらゆるものをのせる台、人をのせている大地」→「大地の上にのっている世間の人々、世の中」という意味なので、世の中でも世間でもどちらの受け止め方もできる。読み方としては「よろん」が元々の言い方だった。
「せろん」のように読み方が変わったものも、それが広まれば定着する。「撒水さっすい→さんすい散水」「独擅場どくせんじょう→どくだんじょう独壇場」などのように、誤読に合わせた漢字のほうが優先的に使われるようにもなる。
「総合初等教育研究所」2005/01/27発表の「小学生漢字読み書き習得状況調査」で、「子どもが苦手な字」として、誤読が多かった字があげてある。
「米作農家 べいさくのうか→こめさくのうか」「川下 かわしも→かわした」「戸外 こがい→とがい」など。
誤記述の漢字。「こかげ 木かげ→小かげ」「らくがき 落書き→楽書き」など。
私は、これらはあと30年して今の子どもたちが社会の中心世代になったら、「慣用読み」「慣用書き」として定着していくだろうと予測する。
重箱読み湯桶読みがあるのだから「米作」が「べいさく」でなく「こめさく」でも、みんながそう読みたいのなら、定着する。「らくがき」するのが楽しい子どもたちは、「楽書き」と書き表わしていくだろう。
変わりはじめた当初の誤読者に対しては「今どきのワカゾーは、漢字ひとつ読めない。消耗(ショウコウ)をショウモウなどと読みおって、けしからん。嘆かわしい」と非難されただろう。今は「ショウモウ」と読んでも、当然とされる。
「米作」を「こめさく」と読む人がおおくなれば、その読み方が定着していく。
「楽書き」という書き方が生まれて定着していくかどうか、そのあと「落書き」のほうも残るかどうかは、後の世代にまかせるとしよう。
「楽書き」って、なんだか楽しそうでいいなあ。決められた紙やノートに書くだけじゃなく、教科書のすみっこや机のうらなんかに、こっそり落書きをするのが、楽しいって子どもの気持ちが出ている。
読み方の変化、最初は誤読だったものが慣用的に使われて、定着する。誤読自体はこれからも起こりうることだ。
では、子どもたちの漢字読み書き能力が弱くなっている問題を、どうしたらよいのか。
漢字文化は日本語言語文化にとって、大変重要なものだ。漢字文化をなくしてしまうことは、私たちのものの考え方感受性にまで影響が及ぶ。
たいせつなことは、「こんな簡単な読み方をまちがえるなんて、なってない」「漢字書取りを強化しなければ」と憤るだけでは済まないってことだろう。ひとつの漢字を百回繰り返して書取りしても、子どもの心に残らなければ、それは手の運動になるだけで、漢字が身に付いたことにはならない。
言語文化全体をみわたして、「ことばの学び」をどうしていくべきなのか、考えていくこと。現代の子どもたちをとりまく言語文化環境はあまりにも貧弱です。
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20240924
2005年の、まだインターネットもスマホも現在のように普及していないころに、春庭は子供の感じ読み書き能力の低下を憂えておりますが、ラインやメールでも100文字超えた文章を書くことなく、単語のみで会話するのが昨今の小中学生。漢字語彙どころか、日本語文章そのものが消えていこうとしている現代です。千年前の小説を今の私が読んでも、日本語として認識できるのに対して、今の小中学生が社会の中堅となる50年後には、日本語文章は「新・言文一致運動」が起こり、「吾輩は猫である」の「現代語訳」が教科書に載るでしょう。教科書掲載だから、ちゃんと日本語だってわかる程度のぶっ飛んでいるとも言えない程度の言文一致。
「おれ、ネコ。なまえ、まだない。どこ、うまれた?わかんな~い。うぜえジメジメしたとこでニャーニャー泣いてた。キオク?あるっちゃある。ニンゲン?はじめて見た。そいつらショセー。ネコ食うやつら 」
「かわ?カワイーって、ながれてくほうっしょ。ンでもっておんなじ水じゃアリエネー。ドよ~ンにアワが消えたり出たり浮かんだりで止まっちゃいねぇ。ヒトもすみかもこんなもん」
はい、泡沫のごとき我が人生。消えたり出たりして流れていきましょう。
<つづく>