20241020
ぽかぽか春庭アート散歩>2024建物散歩(4)吉川英治記念館
深夜に目がさめていたとき、テレビをそのままにしていたら、「大人の人形劇」という番組になって、太原御幸の場面になった。おお、これは平家のラストシーンと思ってぼんやり見ていたら、後白河院が尼となった建礼門院平徳子を訪問する。ラストは麻鳥夫婦が吉野山の桜をながめ、平和をかみしめて平家が終わる。人形劇、リアルタイムでは見ていなかったので気づかなかったけれど、麻鳥夫婦の花見で終わるということは、この人形劇は吉川英治原作だったのかとわかりました。
吉川英治記念館は、「来訪者減少により維持できず閉館」というニュースを見たきりで、再開館になった時期を知らなかった。青梅市が吉川英治旧宅を買い取って市営の施設にして復活しました。
吉川英治は、敗戦前年に移住し約9年間暮らしたこの旧宅で「新平家物語」などを書きました。屋敷の旧主は養蚕農家で、英二は二階の蚕室に絨毯や畳を入れ、子供部屋にするなど改築を施しました。この母屋には「草思書屋」という扁額が掲げられています。
国指定重要文化財旧吉川英治邸母屋「草思堂」




元は養蚕農家だったため、二階の屋根上には蚕室の温度管理のための越屋根がついています。
縁側のガラス戸は、時代を示すゆがみのあるガラスです。母屋のいろりの間には、戦中戦後はめずらしかった屋内用内線電話が設置されています。文子夫人と再婚後、夫人は夫の執筆を邪魔しないよう、連絡は電話でなされた、とのガイドさんの説明。


洋館は、明治時代後期に建てられました。洋館ベランダのタイルは瀬戸製


洋館書斎 展示館


展示館で、吉川英治の生涯をまとめたビデオなどを見て、展示室では文化勲章を眺めました。
吉川が青梅吉野村で暮らしたあいだ、吉野村の住民税の8割は吉川英治の印税だったそうです。
吉川文学の歴史小説、長いものが多いから、全巻読んだものはありません。宮本武蔵だとか私本太平記だとか、映画やテレビドラマで見ただけですけど、「読んだつもり」で、吉川邸の樹齢500~600年という椎の木を眺めました。
<おわり>