20241027
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記秋(4)オットー・フォン・ハプスブルグ
白金植物園庭園美術館訪問の10月16日。白金台駅を出ると目の前が港区立郷土歴史館。展示の内容によって立ち寄ることもあります。16日は「オットー・フォン・ハプスブルグその生涯と遺産 」の最終日だったので、観覧しました。写真と説明をパネルに貼りつけたオットーの一生の紹介です。展示の方法は簡便なものでしたが、オットーについて何も知らなかったものにとっては、よい内容でした。
オットー・フォン・ハプスブルグ(ドイツ語表記 Otto von Habsburg1912-2011)は、最後のオーストリア皇帝カール1世と皇后ツィタの第一子。最後の皇太子。母親の皇后ツィタは、オットーが皇帝として復位することを崩御する日まであきらめませんでしたから、オットーが皇位継承権を放棄しオーストラリア共和国市民となったという知らせに、絶句したそうです。
オットーは、一市民となったあと、国際汎ヨーロッパ連合第2代会長として、EUをまとめることに力をつくしました。
港区郷土博物館の口上
ハプスブルク家が、第一次世界⼤戦までの時代にオーストリア=ハンガリー帝国のハンガリー王及びオーストリア皇帝として君臨した事は良く知られています。その最後のハンガリー王及びオーストリア皇帝の長子がオットー・ハプスブルク(1912~2011)でした。第一次世界⼤戦後、オットーが戴冠することはありませんでしたが、第二次世界⼤戦下では外交上のコネクションを使って、何千もの迫害された人々を救済し、戦後はヨーロッパのために活動する国際的組織である汎ヨーロッパ連合の会長や、欧州議会の議員となりました。また、『鉄のカーテン』崩壊に重要な役割を果たした1989年の汎ヨーロッパ・ピクニックの後援者として、国際社会に多大な貢献をしました。そのオットー・ハプスブルクは、日本を何度も訪問し、皇室や政治的指導者、更には巨大企業の経営者とも強い関係を構築し、日本と欧米諸国との国際関係促進にも⼒を尽くしました。ギャラリー展では、日本との関係もご紹介します。

オットーは、第二次世界大戦後は欧州議会議員や国際汎ヨーロッパ連合会長を務め、汎ヨーロッパ主義のために活動しました。欧州統合を提唱した国際汎ヨーロッパ連合初代会長であったリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーが死去したあと、リヒャルトの友人として会員になっていたオットーが、1972年に臨時会長となり、翌1973年に正式に第2代会長となりました。「東側社会」の崩壊をもたらした汎ヨーロッパ・ピクニックの中心人物の一人として活動し、冷戦時代の終結に寄与しました。
私は、リヒャルト・クーデンホーフカレルギーについては、その母青山光子の名によって知っていましたが、EUの土台となった活動にオットーもかかわってきたことを知りませんでした。
紹介パネルは、洗礼式からの幼いころの写真は多数紹介されていましたが、オーストリア帝国が崩壊したのちの、スペインなどで流浪の日々をおくったころのことはあまりくわしくない。国籍を奪われた亡命者となった王室一家は、食べ物にも事欠いた生活だったというので、写真を撮る余裕もなかったのでしょう。
オットーは、ハプスブルク家家長の役目を息子カールに譲ったのち、2011年、98歳で亡くなりました。
展示では、「皇位継承者」「欧州の子弟」「オーストリア併合あるいは王政復古」「戦争と再出発」「オットー・ハプスブルクと日本」 のパートに分けてパネルが示されていました。
オットーは何度も来日し、日本の皇室や経済人と積極的に関わったことが紹介されていました。オットーの息子カールは、現在オーストリアに在住しています。
オットーがなくなった時、ローマ教皇からカールあてに届いた弔文の宛先は、Seiner Kaiserlichen Hoheit Erzherzog Karl von Österreich(オーストリア大公カール殿下)」だったそうなので、バチカンは今もカールをオーストラリア大公として遇しているのですね。
今回のオットーの生涯紹介の共催は、駐日ハンガリー大使館 リスト・ハンガリー文化センターです。オットーは最後のハンガリ王の息子であり最後の皇太子であったので、ハンガリーがオットーを顕彰するのはわかりますが、オーストリアと共催していないのは、いろいろあるんでしょうね。オットーはパスポートを得る目的でオーストリア国民となることを選びましたが、自分自身のアイデンティティとしては「汎ヨーロッパ市民」と感じていたのだそうです。
現在ウクライナとモルドバがEUへの加入審議中の国になっています。どちらも旧ソビエト連邦の構成国家でしたが、ロシアの傘下にいるよりEUとして国を維持していきたいと願っています。(国内には賛否両論がありますが)
EUも移民問題や国家間の経済格差などさまざまな問題を抱えていますが、クーデンホーフカレルギーやオットー・ハプスブルグの理念を受け継いで、ヨーロッパがよりよい共同体になっていけるよう、極東から見守っています。
港区立郷土歴史館(旧公衆衛生院)の前で。

<つづく>