20150609
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(2)2003年の地下鉄文庫の本
2003年の三色七味日記再録です。
~~~~~~~~~~~
2003/06/06 金 晴れ
日常茶飯事典>地下鉄文庫の本
ビデオ、会話、3コマ。
昨日出かけるとき、「電車の中で読む本どれにしよう」と探していたら、娘が「地下鉄文庫ゲットの本あるから貸してあげる」と宮部みゆき『夢にも思わない』を出してきた。新聞に連載された『理由』はところどころ読んだが、宮部単行本文庫本は「引退後読書」として、我慢している。どうしようと思ったが、とりあえず鞄に入れて出る。
地下鉄文庫の本は、自分では買おうとまでは思わなかった本に巡り会うチャンス。1冊手に入れたら、自分の読み終えた本や別の本を1冊棚に寄付する。朝、寄付しておくと、帰りまでにたいてい誰かの手に渡っている。本の無料循環。
推理小説のたぐいは読み始めると途中でやめたくなくて、一気に最後まで読みたい。仕事の合間に読むのではなく、読み始めたら最後のページまで読み終われる時間がとれるときまで待つつもりだったが。
本日のよみ:退職前に読むことになるとは『夢にも思わない』だったのに
2003/06/07 土 晴れ
トキの本棚>『夢にも思わない』
殺人事件をめぐる物語だが、推理小説として読むなら、犯人探しの謎解きもトリックの解明も「びっくり仰天大逆転」は、ない。中学1年生を主人公として、彼の語りで中学生日記みゆき版として話が進む。少年の秋から冬への物語として読むなら、それなりにおもしろかった。
中学1年生の雅男君と同級生で天才将棋少年島崎君、雅男が思いを寄せるクラスメート工藤久美子の三人を巡って話が進む。
小説の終わりが大晦日に設定されていて、雅男君は中学1年生の秋から冬にかけて味わった、いくつもの新しい経験恐ろしい経験を振り返る。行く年とともに失われてしまったひとつの感情を、時の流れに流す。そして数時間後の新しい年には、たぶん新しい気分を獲得できるんでしょうね。まだ中学生なんだし、新しい年は何度でも巡ってくるさ。
と、話自体はなかなかおもしろく楽しめたのだが、ひとつひっかかったのが、「語りのリアリティ」というやつ。中学生の語りという設定にしては、あまりにまとめ方がうまくて、これは「中学生の視点で書かれた大人の文章」である。中学生の語りとして読むと、なんだがうそくさい。
だから、雅男が語ったことを、誰か大人が文章化した、ということにしてほしかった。3人称の文章だったら、このまま受け入れられただろうし、1人称でも、雅男が中一のころを回想して高校生くらいに語ったこととして書いてあるなら、まだよかった。
「中学1年生がこんな単語使わないよ」という表現があちこちにあった。たとえば、雅男くんは「深川白川公園で、たくさんのひとが憩っていた」という。今時の中学1年生は「憩う」なんていう言葉をつかわない。だいたいタバコの「いこい」を知らない世代にとって「憩う」というのはボギャブラリに入っていないね。
「公園でたくさんのひとがユルユルしていた」「集まってまったりしていた」くらいのはやり言葉しか使えないのだ。はやり言葉がいやなら「公園にたくさん人がいて、のんびりしていた」程度の表現になるだろう。近頃の中学生はゲームかテレビからしかボギャブラリーをふやせないので。
山田詠美「ぼくは勉強ができない」の方は、高校生という設定でもあるし、語りが高校生らしくって、違和感はなかったが、雅美君はついこの間までランドセルをしょっていたとは思えないアンチボギャ貧少年なのだ。
彼の論理的な思考といい、島崎の態度といい、これが高校生の設定だったら、受け入れられるのになあ。中1というのがどうにも落ち着かなかった。あるいは、少年の視点から見つめたことを数年たってから1人称で書いた、ということにするなら、まあ、大丈夫なのに。中1の少年のリアルタイムの語りというのが、どうもね。
たぶん、宮部みゆきは自分自身が中学1年生のころ、ボギャブラリー豊かな、日本語表現能力に長けた少女だったのだ。それで、中1の男の子を主人公にしても、自分と同じような言葉で表現できると思ってしまったのかもしれない。
私の中1少年のボギャブラリー観に偏りがあるのかもしれないが、リアルタイムで中坊少年たちの日記サイトを見る限りでは、雅男くんの語りはトップレベル日本語表現能力を持つ特殊能力少年だ。
私が見ている少年日記サイトでトップの表現力は『駄目人間血風録』の「みないれいじ」くん。(4月から高3)である。彼が中学時代に書いたものでも、やはり彼自身がいうように幼い部分がある。雅美君の思考回路には、この手の「幼い部分」がなく、熟練の推理小説家のごとく話を進めていけるので、あえて少年の語りに設定する必要があったのかなあ、と思ってしまった。
少年の語り物では今『キャッチャーインザライ』が村上春樹の新訳でブーム。だいたい私は旧訳でも読んでいないが、少年に一人称で語らせるのは、嫌いじゃない。島田雅彦の『やさしい左翼のための喜遊曲』とか、少年ビルドゥングスが好きなのだ。
本日のひがみ:中学生でこれだけの文章力!一方、中年になってもこの程度の文
2003/06/08 日 晴れ
日常茶飯事典>発掘された日本2003年展
午前中、娘はにんじんケーキを作る。午後、私と娘は江戸東京博物館へ。息子は博物館より「ひとりでゲームをしている」方を選んだ。
しかし、日曜の午前中は寝ていて、午後うるさい姉とやかましい母が出かけたあとはゲーム三昧、なんてそうは問屋がおろさない。午後は、にんじんケーキを持って、祖母宅訪問が義務づけられた。中3東北旅行のおみやげに買った南部せんべいの賞味期限がきれないうちに、届けなければと、秀衡塗りのお箸とにんじんケーキをつけて持っていかせる。4時に祖母宅へ着くように命令。
江戸東京博物館「発掘された日本2003年展」。考古学発掘の成果を展示してある。今年娘がとった博物館概論のレポート資料を集めるためにきた。
「わたしは同じ地面を掘るんでも、人間の遺跡を掘るんじゃなくて、化石を掘るほうがおもしろいんだけど」と言いながら入館。でも、今日の展示は娘が遠足にいったことがある日本のポンペイ黒井峯遺跡など、興味が沸き身近なものがあったので、けっこう楽しんでいた。
本日のもみ:稲籾のあとがついた縄文土器
2003/06/09 月 晴れ
日常茶飯事典>パソコンリカバリー
漢字と作文、2コマ。
パソコンの調子がおかしくなり、起動できなくなった。IBMサポートセンターに電話したら、結局リカバリーになった。
おかしくなった時点で、リカバリーしろという表示が出たが、そうするとインターネットも全部インストールし直すことになるので、ほかに方法があるかと思って電話したのだ。まあ、しかたがないので、リカバリーした。
一太郎をインストールし直すのは自分でできたが、インターネットの接続は業者にしてもらったので、自分でできない気がする。
本日のうらみ:パソコンのパからわからない
2003/06/10 火 (パソコン復活までリアルタイム記述でないため、天気記入なし)
日常茶飯事典>パソコン、起動せず
ビデオ、SFJ会話3コマ。
リカバリーして一太郎をインストールしたところで、また起動しなくなった。
本日のつらみ:起きてくれ、寝ると死ぬぞ!
~~~~~~~~~~~
20150609
息子の小学校の時の同級生ショー君のママに、久しぶりに道でばったり会いました。野球少年だったショーくん、高校も大学でも野球一筋だったことは知っていたが、今は自動車会社の硬式野球部に所属して社会人野球の選手をしているのだと。
プロ野球選手になりたいと卒業文集に書いた夢を追って、野球を続けている姿に感動しました。自動車会社のサイトに、所属のスポーツ選手に応援メールを遅れるページがあったので、がんばって、と応援メッセージを送りました。
スポーツ選手を応援することによって、自分が励まされるのだ、という「応援力」というのがあるとは聞いていましたが、応援したい人がいると自分もがんばらなきゃ、という気持ちになれますね。
<つづく>
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(2)2003年の地下鉄文庫の本
2003年の三色七味日記再録です。
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2003/06/06 金 晴れ
日常茶飯事典>地下鉄文庫の本
ビデオ、会話、3コマ。
昨日出かけるとき、「電車の中で読む本どれにしよう」と探していたら、娘が「地下鉄文庫ゲットの本あるから貸してあげる」と宮部みゆき『夢にも思わない』を出してきた。新聞に連載された『理由』はところどころ読んだが、宮部単行本文庫本は「引退後読書」として、我慢している。どうしようと思ったが、とりあえず鞄に入れて出る。
地下鉄文庫の本は、自分では買おうとまでは思わなかった本に巡り会うチャンス。1冊手に入れたら、自分の読み終えた本や別の本を1冊棚に寄付する。朝、寄付しておくと、帰りまでにたいてい誰かの手に渡っている。本の無料循環。
推理小説のたぐいは読み始めると途中でやめたくなくて、一気に最後まで読みたい。仕事の合間に読むのではなく、読み始めたら最後のページまで読み終われる時間がとれるときまで待つつもりだったが。
本日のよみ:退職前に読むことになるとは『夢にも思わない』だったのに
2003/06/07 土 晴れ
トキの本棚>『夢にも思わない』
殺人事件をめぐる物語だが、推理小説として読むなら、犯人探しの謎解きもトリックの解明も「びっくり仰天大逆転」は、ない。中学1年生を主人公として、彼の語りで中学生日記みゆき版として話が進む。少年の秋から冬への物語として読むなら、それなりにおもしろかった。
中学1年生の雅男君と同級生で天才将棋少年島崎君、雅男が思いを寄せるクラスメート工藤久美子の三人を巡って話が進む。
小説の終わりが大晦日に設定されていて、雅男君は中学1年生の秋から冬にかけて味わった、いくつもの新しい経験恐ろしい経験を振り返る。行く年とともに失われてしまったひとつの感情を、時の流れに流す。そして数時間後の新しい年には、たぶん新しい気分を獲得できるんでしょうね。まだ中学生なんだし、新しい年は何度でも巡ってくるさ。
と、話自体はなかなかおもしろく楽しめたのだが、ひとつひっかかったのが、「語りのリアリティ」というやつ。中学生の語りという設定にしては、あまりにまとめ方がうまくて、これは「中学生の視点で書かれた大人の文章」である。中学生の語りとして読むと、なんだがうそくさい。
だから、雅男が語ったことを、誰か大人が文章化した、ということにしてほしかった。3人称の文章だったら、このまま受け入れられただろうし、1人称でも、雅男が中一のころを回想して高校生くらいに語ったこととして書いてあるなら、まだよかった。
「中学1年生がこんな単語使わないよ」という表現があちこちにあった。たとえば、雅男くんは「深川白川公園で、たくさんのひとが憩っていた」という。今時の中学1年生は「憩う」なんていう言葉をつかわない。だいたいタバコの「いこい」を知らない世代にとって「憩う」というのはボギャブラリに入っていないね。
「公園でたくさんのひとがユルユルしていた」「集まってまったりしていた」くらいのはやり言葉しか使えないのだ。はやり言葉がいやなら「公園にたくさん人がいて、のんびりしていた」程度の表現になるだろう。近頃の中学生はゲームかテレビからしかボギャブラリーをふやせないので。
山田詠美「ぼくは勉強ができない」の方は、高校生という設定でもあるし、語りが高校生らしくって、違和感はなかったが、雅美君はついこの間までランドセルをしょっていたとは思えないアンチボギャ貧少年なのだ。
彼の論理的な思考といい、島崎の態度といい、これが高校生の設定だったら、受け入れられるのになあ。中1というのがどうにも落ち着かなかった。あるいは、少年の視点から見つめたことを数年たってから1人称で書いた、ということにするなら、まあ、大丈夫なのに。中1の少年のリアルタイムの語りというのが、どうもね。
たぶん、宮部みゆきは自分自身が中学1年生のころ、ボギャブラリー豊かな、日本語表現能力に長けた少女だったのだ。それで、中1の男の子を主人公にしても、自分と同じような言葉で表現できると思ってしまったのかもしれない。
私の中1少年のボギャブラリー観に偏りがあるのかもしれないが、リアルタイムで中坊少年たちの日記サイトを見る限りでは、雅男くんの語りはトップレベル日本語表現能力を持つ特殊能力少年だ。
私が見ている少年日記サイトでトップの表現力は『駄目人間血風録』の「みないれいじ」くん。(4月から高3)である。彼が中学時代に書いたものでも、やはり彼自身がいうように幼い部分がある。雅美君の思考回路には、この手の「幼い部分」がなく、熟練の推理小説家のごとく話を進めていけるので、あえて少年の語りに設定する必要があったのかなあ、と思ってしまった。
少年の語り物では今『キャッチャーインザライ』が村上春樹の新訳でブーム。だいたい私は旧訳でも読んでいないが、少年に一人称で語らせるのは、嫌いじゃない。島田雅彦の『やさしい左翼のための喜遊曲』とか、少年ビルドゥングスが好きなのだ。
本日のひがみ:中学生でこれだけの文章力!一方、中年になってもこの程度の文
2003/06/08 日 晴れ
日常茶飯事典>発掘された日本2003年展
午前中、娘はにんじんケーキを作る。午後、私と娘は江戸東京博物館へ。息子は博物館より「ひとりでゲームをしている」方を選んだ。
しかし、日曜の午前中は寝ていて、午後うるさい姉とやかましい母が出かけたあとはゲーム三昧、なんてそうは問屋がおろさない。午後は、にんじんケーキを持って、祖母宅訪問が義務づけられた。中3東北旅行のおみやげに買った南部せんべいの賞味期限がきれないうちに、届けなければと、秀衡塗りのお箸とにんじんケーキをつけて持っていかせる。4時に祖母宅へ着くように命令。
江戸東京博物館「発掘された日本2003年展」。考古学発掘の成果を展示してある。今年娘がとった博物館概論のレポート資料を集めるためにきた。
「わたしは同じ地面を掘るんでも、人間の遺跡を掘るんじゃなくて、化石を掘るほうがおもしろいんだけど」と言いながら入館。でも、今日の展示は娘が遠足にいったことがある日本のポンペイ黒井峯遺跡など、興味が沸き身近なものがあったので、けっこう楽しんでいた。
本日のもみ:稲籾のあとがついた縄文土器
2003/06/09 月 晴れ
日常茶飯事典>パソコンリカバリー
漢字と作文、2コマ。
パソコンの調子がおかしくなり、起動できなくなった。IBMサポートセンターに電話したら、結局リカバリーになった。
おかしくなった時点で、リカバリーしろという表示が出たが、そうするとインターネットも全部インストールし直すことになるので、ほかに方法があるかと思って電話したのだ。まあ、しかたがないので、リカバリーした。
一太郎をインストールし直すのは自分でできたが、インターネットの接続は業者にしてもらったので、自分でできない気がする。
本日のうらみ:パソコンのパからわからない
2003/06/10 火 (パソコン復活までリアルタイム記述でないため、天気記入なし)
日常茶飯事典>パソコン、起動せず
ビデオ、SFJ会話3コマ。
リカバリーして一太郎をインストールしたところで、また起動しなくなった。
本日のつらみ:起きてくれ、寝ると死ぬぞ!
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20150609
息子の小学校の時の同級生ショー君のママに、久しぶりに道でばったり会いました。野球少年だったショーくん、高校も大学でも野球一筋だったことは知っていたが、今は自動車会社の硬式野球部に所属して社会人野球の選手をしているのだと。
プロ野球選手になりたいと卒業文集に書いた夢を追って、野球を続けている姿に感動しました。自動車会社のサイトに、所属のスポーツ選手に応援メールを遅れるページがあったので、がんばって、と応援メッセージを送りました。
スポーツ選手を応援することによって、自分が励まされるのだ、という「応援力」というのがあるとは聞いていましたが、応援したい人がいると自分もがんばらなきゃ、という気持ちになれますね。
<つづく>