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ぽかぽか春庭「2003年の地下鉄文庫の本」

2015-06-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150609
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(2)2003年の地下鉄文庫の本

 2003年の三色七味日記再録です。
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2003/06/06 金 晴れ
日常茶飯事典>地下鉄文庫の本

 ビデオ、会話、3コマ。

 昨日出かけるとき、「電車の中で読む本どれにしよう」と探していたら、娘が「地下鉄文庫ゲットの本あるから貸してあげる」と宮部みゆき『夢にも思わない』を出してきた。新聞に連載された『理由』はところどころ読んだが、宮部単行本文庫本は「引退後読書」として、我慢している。どうしようと思ったが、とりあえず鞄に入れて出る。
 地下鉄文庫の本は、自分では買おうとまでは思わなかった本に巡り会うチャンス。1冊手に入れたら、自分の読み終えた本や別の本を1冊棚に寄付する。朝、寄付しておくと、帰りまでにたいてい誰かの手に渡っている。本の無料循環。

 推理小説のたぐいは読み始めると途中でやめたくなくて、一気に最後まで読みたい。仕事の合間に読むのではなく、読み始めたら最後のページまで読み終われる時間がとれるときまで待つつもりだったが。

本日のよみ:退職前に読むことになるとは『夢にも思わない』だったのに


2003/06/07 土 晴れ
トキの本棚>『夢にも思わない』

 殺人事件をめぐる物語だが、推理小説として読むなら、犯人探しの謎解きもトリックの解明も「びっくり仰天大逆転」は、ない。中学1年生を主人公として、彼の語りで中学生日記みゆき版として話が進む。少年の秋から冬への物語として読むなら、それなりにおもしろかった。

 中学1年生の雅男君と同級生で天才将棋少年島崎君、雅男が思いを寄せるクラスメート工藤久美子の三人を巡って話が進む。
 小説の終わりが大晦日に設定されていて、雅男君は中学1年生の秋から冬にかけて味わった、いくつもの新しい経験恐ろしい経験を振り返る。行く年とともに失われてしまったひとつの感情を、時の流れに流す。そして数時間後の新しい年には、たぶん新しい気分を獲得できるんでしょうね。まだ中学生なんだし、新しい年は何度でも巡ってくるさ。

 と、話自体はなかなかおもしろく楽しめたのだが、ひとつひっかかったのが、「語りのリアリティ」というやつ。中学生の語りという設定にしては、あまりにまとめ方がうまくて、これは「中学生の視点で書かれた大人の文章」である。中学生の語りとして読むと、なんだがうそくさい。
 だから、雅男が語ったことを、誰か大人が文章化した、ということにしてほしかった。3人称の文章だったら、このまま受け入れられただろうし、1人称でも、雅男が中一のころを回想して高校生くらいに語ったこととして書いてあるなら、まだよかった。

 「中学1年生がこんな単語使わないよ」という表現があちこちにあった。たとえば、雅男くんは「深川白川公園で、たくさんのひとが憩っていた」という。今時の中学1年生は「憩う」なんていう言葉をつかわない。だいたいタバコの「いこい」を知らない世代にとって「憩う」というのはボギャブラリに入っていないね。
 「公園でたくさんのひとがユルユルしていた」「集まってまったりしていた」くらいのはやり言葉しか使えないのだ。はやり言葉がいやなら「公園にたくさん人がいて、のんびりしていた」程度の表現になるだろう。近頃の中学生はゲームかテレビからしかボギャブラリーをふやせないので。

 山田詠美「ぼくは勉強ができない」の方は、高校生という設定でもあるし、語りが高校生らしくって、違和感はなかったが、雅美君はついこの間までランドセルをしょっていたとは思えないアンチボギャ貧少年なのだ。
 彼の論理的な思考といい、島崎の態度といい、これが高校生の設定だったら、受け入れられるのになあ。中1というのがどうにも落ち着かなかった。あるいは、少年の視点から見つめたことを数年たってから1人称で書いた、ということにするなら、まあ、大丈夫なのに。中1の少年のリアルタイムの語りというのが、どうもね。

 たぶん、宮部みゆきは自分自身が中学1年生のころ、ボギャブラリー豊かな、日本語表現能力に長けた少女だったのだ。それで、中1の男の子を主人公にしても、自分と同じような言葉で表現できると思ってしまったのかもしれない。
 私の中1少年のボギャブラリー観に偏りがあるのかもしれないが、リアルタイムで中坊少年たちの日記サイトを見る限りでは、雅男くんの語りはトップレベル日本語表現能力を持つ特殊能力少年だ。

 私が見ている少年日記サイトでトップの表現力は『駄目人間血風録』の「みないれいじ」くん。(4月から高3)である。彼が中学時代に書いたものでも、やはり彼自身がいうように幼い部分がある。雅美君の思考回路には、この手の「幼い部分」がなく、熟練の推理小説家のごとく話を進めていけるので、あえて少年の語りに設定する必要があったのかなあ、と思ってしまった。

 少年の語り物では今『キャッチャーインザライ』が村上春樹の新訳でブーム。だいたい私は旧訳でも読んでいないが、少年に一人称で語らせるのは、嫌いじゃない。島田雅彦の『やさしい左翼のための喜遊曲』とか、少年ビルドゥングスが好きなのだ。

本日のひがみ:中学生でこれだけの文章力!一方、中年になってもこの程度の文


2003/06/08 日 晴れ
日常茶飯事典>発掘された日本2003年展

 午前中、娘はにんじんケーキを作る。午後、私と娘は江戸東京博物館へ。息子は博物館より「ひとりでゲームをしている」方を選んだ。
 しかし、日曜の午前中は寝ていて、午後うるさい姉とやかましい母が出かけたあとはゲーム三昧、なんてそうは問屋がおろさない。午後は、にんじんケーキを持って、祖母宅訪問が義務づけられた。中3東北旅行のおみやげに買った南部せんべいの賞味期限がきれないうちに、届けなければと、秀衡塗りのお箸とにんじんケーキをつけて持っていかせる。4時に祖母宅へ着くように命令。

 江戸東京博物館「発掘された日本2003年展」。考古学発掘の成果を展示してある。今年娘がとった博物館概論のレポート資料を集めるためにきた。
 「わたしは同じ地面を掘るんでも、人間の遺跡を掘るんじゃなくて、化石を掘るほうがおもしろいんだけど」と言いながら入館。でも、今日の展示は娘が遠足にいったことがある日本のポンペイ黒井峯遺跡など、興味が沸き身近なものがあったので、けっこう楽しんでいた。

本日のもみ:稲籾のあとがついた縄文土器


2003/06/09 月 晴れ
日常茶飯事典>パソコンリカバリー

 漢字と作文、2コマ。

 パソコンの調子がおかしくなり、起動できなくなった。IBMサポートセンターに電話したら、結局リカバリーになった。
 おかしくなった時点で、リカバリーしろという表示が出たが、そうするとインターネットも全部インストールし直すことになるので、ほかに方法があるかと思って電話したのだ。まあ、しかたがないので、リカバリーした。
 一太郎をインストールし直すのは自分でできたが、インターネットの接続は業者にしてもらったので、自分でできない気がする。

本日のうらみ:パソコンのパからわからない


2003/06/10 火 (パソコン復活までリアルタイム記述でないため、天気記入なし)
日常茶飯事典>パソコン、起動せず

 ビデオ、SFJ会話3コマ。
 リカバリーして一太郎をインストールしたところで、また起動しなくなった。

本日のつらみ:起きてくれ、寝ると死ぬぞ!

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20150609
 息子の小学校の時の同級生ショー君のママに、久しぶりに道でばったり会いました。野球少年だったショーくん、高校も大学でも野球一筋だったことは知っていたが、今は自動車会社の硬式野球部に所属して社会人野球の選手をしているのだと。

 プロ野球選手になりたいと卒業文集に書いた夢を追って、野球を続けている姿に感動しました。自動車会社のサイトに、所属のスポーツ選手に応援メールを遅れるページがあったので、がんばって、と応援メッセージを送りました。
 スポーツ選手を応援することによって、自分が励まされるのだ、という「応援力」というのがあるとは聞いていましたが、応援したい人がいると自分もがんばらなきゃ、という気持ちになれますね。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の星野道雄展」

2015-06-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150607
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(1)2003年の星野道雄展

 12年前のひつじ年2003年の日記再録を続けています。2003年6月の三色七味日記です。
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 2003/06/01 日 曇り
日常茶飯事典>星野道夫展

 娘と横浜へ。横浜高島屋で「星野道夫展」を見た。最終日とあってとても混んでいた。アラスカの大自然は美しく、動物たちは生き生きとした表情をみせている。

 もっとゆっくり回れたらよかったのだが、あまりの混みように、早々に会場をでて、となりで開催されていた山形物産展で息子へのおみやげを買って帰る。横浜中華街で何か食べて帰るというわけだったが、混み混みの会場を回ってすっかり疲れたので、何も食べないで帰った。

本日のつらみ:伝説の人になってしまうより、もっともっと生きてアラスカシベリアを撮ってほしかった


2003/06/02 月 晴れ 
ジャパニーズアンドロメダシアター>娘義太夫

 漢字と作文2コマ。

 夕方、阿子さんと待ち合わせ、ジュースコーナーで一休みしたあと、御徒町へ。視覚障害者と、ヘルパー、ボランティアなどの一団、十余人。今日は義太夫協会からのご招待。御徒町広小路亭で、「娘義太夫」を聞いた。
 女義太夫(略して女義=じょぎ、と呼ぶのだそうです)はおろか、そもそも義太夫を単独の公演で聴いたことがない。歌舞伎文楽とともに聞くことはあったが。

 義太夫だけを聴いたのは、はるか40年以上昔のこと。祖父の竹が「農村歌舞伎」の練習をしているのを脇で聞いたことがあった。竹が収入のほとんどを「農村歌舞伎」復興のために衣装やら三味線やらを買う費用につぎ込んでしまうことで、祖母梅は泣き通し。実家に残っている長女の松には言えない愚痴をこぼすために、嫁に出した娘である私の母のところ来ていた。だから、私は義太夫と聞くと、祖母が愚痴をこぼしている姿を思い出してしまう。

 娘義太夫を初めて聞いた。
 「義太夫を広く知ってもらうためのプログラム」編成なので、「宇宙戦艦大和」を太棹で連れ弾きするというおまけまであった。(まあ、宇宙戦艦大和は、やはり佐々木功歌入りオーケストラのほうがいいと思うけれどけれど)

 阿子さんたちは「語られていることばはよく分からないけれど、すごく迫力があって感動した」と言っていた。
 声の迫力、語りの魅力。今日は、ボランティアとしてたまたま聞くことになったのだが、また、聞きたいと思った。

 朗読を義太夫みたいに、音楽伴奏入りでにぎやかに楽しめたらいいなあと思う。
 現在図書館などで行われている朗読会は、なにやら教養主義ふんぷんで、朗読している人たちも、知的な趣味を求める奥様たちや、生き甲斐探しにリキが入った定年退職組が多くて、「楽しく気軽に聞ける」という雰囲気がない。
 寝っ転がって聞いていたり、ビール飲みながら聞く、昔の下町の寄席みたいに朗読も楽しめたらいい。明治に大衆娯楽の花形として娘義太夫があったように、花形とまではいかなくても、「朗読」が観客の目の前で語ったり歌ったり、気軽に楽しめたらいいのに。
 近頃では落語も「教養講座」扱いである。

本日のそねみ:女義の鍛えた声、うらやまし

2003/06/03 火 晴れ
ニッポニア教師日誌>授業

 漢字、SFJ、会話、3コマ。
 ひつじから電話。6月6日に入籍し、結婚式は来年の4月ごろという。

本日のなやみ:結婚祝い預金をはじめよう


2003/06/04日 水 小雨 
ニッポニア教師日誌>模擬授業実習

 午後、教授法2コマ。ドリル模擬授業実習。
 教師役はそれぞれ教材を用意し、熱心にやっていたが、全員やっていることはリピート練習で、私がめざした「変形練習、代入練習、創造的会話練習をドリルでやってみる」というもくろみとは、ちょっとずれた。
 私の説明不足。私が実演してみせてからドリル練習すればよかったが、私のを見てからまねするだけでは、自分の工夫する余地がなくなってしまう。創造的に自分で工夫したほうが面白いだろうと配慮したつもりが、逆になった。

 創造的に工夫するにもやはり最初はマネからはじめることが、「まねぶ=まなぶ」ことである、という基本に立ち返るべきだった。

本日のねたみ:わたしが日本語教師になり始めた頃に比べれば、みんな手慣れている


2003/06/05 木 晴れ
ニッポニア教師日誌>授業

 日本事情、作文2コマ。

 7時に学バス停留所へ行くと、階段広場にはゴミが散乱している。昼休みにアンプなどを準備していたから、学生のライブに観客がたくさん集まったのだろう。たばこの吸い殻やパンお菓子の袋、ペットボトルの散乱を見ると、哀しくなる。
 大学は、偏差値だけで「いい大学悪い大学」を決められるものではない。しかし、学内のゴミの多さ、歩きたばこや吸い殻投げ捨ての多さは、これまでに出講した5つの大学を比較する範囲の中では、偏差値に連動している。それがいっそう悲しい。

 「自分の出したゴミは、その場所におきっぱなしにしないで、ゴミ箱に入れる」、これだけのことができない学生が集まっている学府。
 清掃業者が朝までに掃除するのだろう。 しかし、「どうせ業者がそうじするんだから、自分のごみは投げ捨ててもいいや」と考える学生が多いことが「哀しい」のだ。たばこは喫煙コーナーで、と張り紙がしてある前を歩きたばこで通過し、吸い殻を投げ捨てて平気な学生にいちいち注意するのも、近頃疲れてきた。

 「大学ランキング」などの大学紹介本で「ボーダーライン大学=定員割れしていて、だれでも入れる大学」スレスレ、などと紹介される大学に入ったのなら、意地でも「大学はブランド名だけじゃないんだ、入学後の学生の成長をみてくれ」と言うくらいの気概をみせてほしいのに。

 たしかに中にはきらりと光る学生もいるのかもしれない。100人の中から一人の光っている学生を見つけだすのも教師の楽しみかもしれない。しかし、教官の中には「教育は非常勤にまかせて、自分たちは研究に専念」という人も多い。

 私は教官じゃなくて、非常勤講師だから、どこであれ、仕事があれば全身全霊で仕事をしますがね。で、本日も全身全霊で疲れた。

本日のごみ:ごみの中にも宝はある、粗大ゴミ置き場の捨て家具、我が家で使っているものより立派

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20150607
 土曜日も仕事。午後は出身校へ。卒業一期生から在学生まで集まった会なのに、学科卒業第1期生は、私のほかは母校教官になったひとりのみ。同期の人たちに会えるかと思って出かけたのに、残念。

 帰宅したら、娘息子がAKB総選挙を見ていたので、いっしょに見ました。アイドルグループのトップを決めるファン投票が、けっこうな視聴率のとれる3時間半という長さのテレビ番組になっています。年若い女の子たちが、順位があがったさがったと泣いたりわらったりする番組。平和な国だなあと思うし、この平和な民主主義の国がこれからどうなっていくのだろうと、不安もあります。
 憲法違反を指摘されてもなお、他国の戦争に加わわりたいという政府も、民主主義によって選ばれたのです。

 いろいろな考え方があっていいし、議論は必要です。いろんな方のお話をうかがって、自分の考え方を深めていきたいです。
 が、基本、原発と戦争はわたしの周りには存在してほしくないです。レトロだといわれても、アナログと言われても、アナクロニズムといわれても、私は私の考え方しかできないのです。自分で考えていくしかないと思います。

 「1位をめざします」と、アイドル女子たちは叫んでいました。アナクロ女子も叫びます。「反原発、非戦をめざします」

<つづく>
 
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ぽかぽか春庭「長倉洋海写真展その先の世界へ」

2015-06-05 00:00:01 | エッセイ、コラム


20150606
ぽかぽか春庭アート散歩>つゆどきアート(4)長倉洋海写真展in吉祥寺美術館

 5月31日、下北沢で演劇を見たあと、井の頭線で吉祥寺へ行きました。吉祥寺美術館で開催中の長倉洋海写真展を見るためです。

 長倉さんの写真展、フォトスタジオの写真展だったり、公共ホールでの写真展だったり、機会があえば、折に触れて見てきました。一番好きな写真家のひとりです。
 夫が持っていた『地を這うように 長倉洋海全写真1980-96』(新潮社)を見たことが、長倉を知るきっかけでした。『フォト・ジャーナリストの眼』(1992岩波新書)を読み、そのあとアフガンのマスードものを読みました。

それ以来、追っかけで写真展に足を運んできました。最初に行ったときに来訪者目録に住所氏名を書いたら、その後律儀に写真展の案内状を送ってくれます。写真を購入することなどないし、写真集も、たいてい大きな版で重い本が多いので、図書館で借りることがほとんどです。

 長倉さんの写真集は『ともだち』『鳥のように、川のように-森の哲人アユトンとの旅』などを買いました。(すみません、古本屋で購入したので、長倉さんに印税払っていません)そんな程度のファンなのに、毎回写真展開催のご案内ハガキをいただきありがたいです。
 今回の吉祥寺美術館では、写真集『その先の世界へ』の中からピックアップされた写真が展示されていました。

吉祥寺美術館の受付の人が、「こちらのパネルポスターは撮影できます」と言ってくれたので、撮りました。


 吉祥寺美術館のイベント、探検家関野吉晴とのトークショウが開催されるというので、申し込みをしましたが、すでに満員でした。定員90名のところ、キャンセルを見越して100名以上の先着予約をしてあるので、キャンセル待ちはなし、ということで、残念無念。長倉事務所から展覧会のお知らせが来た時点で予約だけでもしておけばよかった。

 「その先の世界へ」は、チベット、パプアニューギニア、モザンビークなど、いわゆる辺境と呼ばれる地域の人々を見つめた写真が多い。長倉さんの撮影方法は、マスードにしろ、南米の少女へスースにしろ、親密な人間関係を築いてから撮影をするという方法なので、どの写真の人物も、とても美しい表情をしている。戦火で家族を失った人の悲痛な顔であっても、長倉洋海はその苦しみや悲しみを「人間の尊厳の美しさ」と受け取られるように撮影していると感じられるのです。それは、人間を見つめる目の確かさを長倉が持ち合わせているからだと思います。



 写真の技術的な面について、素人の私にはわからないのですが、いつも「美しい」と思える数葉に出会えます。写されている風景が美しいというのもありますが、「人間はかくも美しい存在である」ということに心打たれるのです。悲しい顔の人も映っています。内戦を経たスリランカの人。厳しい砂漠の生活を続けるサハラ砂漠ボロロ遊牧民。パプアニューギニアで伝統舞踊のシンシンを踊る人たちも、実は伝来の土地を失ったり、もはや伝統行事を地域で開催する力を失った人々もいる。シンシンの踊り手の顔、なんだか悲壮に感じました。でも、せいいっぱい鳥の羽や貝がらで着飾った彼らの姿、美しい。

 長倉は、美しさを求めてシャッターを切ったのではないかもしれない。ただ、彼がふれあった人々の真実を写そうとしたのかもしれません。
 彼がシャッター押した瞬間の輝きを、私は美しさとして感じるのだろうと思います。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「ピカソとクレーとエルンスト新潟美術館展in目黒美術館」

2015-06-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150604
ぽかぽか春庭アート散歩>つゆどきアート(3)ピカソとクレーとエルンスト新潟美術館展in目黒美術館

 東京には美術館が集中していて、毎月なにかしらの美術展を楽しむことができます。しかし、地方の美術館は、旅先でたまたま時間がとれた、というときか、その美術館目当てで旅行するかのどちらか。昨年は、山梨県立美術館所蔵のミレーを見るために、甲府へ出向きましたが、新潟に旅したときは時間がなくて、美術館まで足を伸ばせませんでした。
 次に新潟に行くときはいつになるのやら、と思っていたのですが、美術館のほうから東京へ出向いてくれました。

 新潟出身者や新潟在住の画家作品を中心に収集をしてきた新潟美術館。開館30周年を迎えます。目黒美術館は今年28年目。目黒区在住やゆかりの画家の作品を収集しています。互いに所蔵作品を交換しての展覧会が企画されたのだろうと思います。
 新潟美術館では「ひろしま美術館展」が開催中。ひろしま美術館の次回展示は、東郷青児美術館で見た「ユトリロとヴァラドン展」、いくつかの美術館がぐるぐると展示を交換しながら地方の人にもさまざまな絵が見られるようにしていて、いいんじゃないでしょうか。

 目黒美術館で見ることができた新潟美術館所蔵作品。目玉はピカソとクレー。
パブロ・ピカソ「ギターとオレンジの果物鉢」1925年


パウル・クレー「プルンのモザイク」1931年、チラシやチケットの図案、ポスターにもなっていました。



 そのほかの「有名画家」出品では、マックス・エルンストの「ニンフエコー」1935。木霊の精を描いた作品、近代美術館所蔵のエルンストとはまた違う感じで、とてもよかったです。この絵はがきを買いました。実際の絵は、もう少し緑色が鮮やかです。
 


 目黒美術館と新潟美術館が共通して収集していた画家を並べて展示するなど、キュレーターの工夫がよくわかる展示でした。はじめて見た日本人画家も数多かったですが、やはりエルンスト、クレー、ピカソが一番印象に残りました。

 今回の展示で見た画家、次に見たとき「あ、この画家、記憶に残っている」と思える絵にまた会えたらいいな。

 バブルまっさかりのころ、地方でも競ってコンサートホールだの美術館が建てられました。しかし、今のところ、赤字経営になっている施設が多いようです。コンサートホールも美術館も維持費に税金がかかります。企業のように、儲からなくなったら支店縮小、人減らし、ということはできないでしょうし、税金をつぎ込むことの制限もあるでしょうが、ふんばってほしいです。
 「大阪は赤字財政だから、文楽はいらない、美術館も中止」というような方針で支持を集めようとした市長が破れて、次はどうなるのでしょう。大阪の文楽、世界に誇れる宝だと思うのだけれど。
 もうけ主義万能で赤字は少々解消するでしょうが、「文化果つる県」「心の栄養がひからびる県」になるのではないかしら。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「上村松園と女流画家展」

2015-06-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150603
ぽかぽか春庭@アート散歩>梅雨どきアート(2)上村松園と女流画家展in山種美術館

 5月29日金曜日、山種美術館で「松園と華麗なる女流画家展」を見ました。
 女性で初めて文化勲章を受章した上村松園 (1875-1949)。今年、松園生誕140周年にあたり、松園ほかの女性画家の特集が組まれました。 松園の作品はあちこちで見てきましたが、野口小蘋、奥原晴湖、河鍋暁翠などの作品をはじめて見ることができて、わたしにとってはとても意義深いアート散歩になりました。

 金曜日の昼飯時というのに、連れだって見に来ている老夫婦、中高年女性の二人連れ。かなりの人出で、あれ、これはテレビ放映かなんかされたんだな、しまった、テレビで紹介される前に来るんだったと、後悔。招待券はだいぶ前に手に入れていたのに。
 老夫婦はそうでもないですが、中高年女性二人組は、絵を見ることよりもふたりでおしゃべりをするほうが忙しい人たちが多くて、本人達は小声で会話をしているつもりなのですが、私と同じように耳がそうとう聞こえなくなっているので、どうしても大声になってくるのです。

 しゃべりたかったら、会場を出て、喫茶店で心ゆくまでおしゃべりしたらよいのに、と思うのですが、絵を見ながら「ほら、この着物の柄、○○さんが、△の会のとき、着ていたのに、似ているんじゃない?」「そうね、この帯もいいわね」なんてことをしゃべっている。
 この二人連れと離れて鑑賞」したいと思って、会場内のベンチで図録の見本を見ながらしばらく待ち、やれやれと腰をあげると、次は別の二人連れが「あらあ、九条武子って、ほら、明治だか大正のお金持ちの奥さん、運転手と駆け落ちしたんじゃなかったっけ」「あら、駆け落ちしたのは花子のときの白蓮さんでしょう」と、おしゃべり。

 あのね、運転手と駆け落ちしたのは芳川伯爵夫人の鎌子で、「花子とアン」のときの葉山蓮子のモデルは柳原白蓮、、、、って、どうでもいいわよ。だまって見ていられないのなら、家で複製画を見ながらおしゃべりしなさいって。と、思うものの、家で複製画みたって、ふたり連れは楽しくない。美術館というハレの場所にお出かけしてきたってのが大事なんだから。はい、混んでいる時期に来た私が悪うございました。
 ま、いろんなガセネタが頭の中でこんぐらかって、何がなにやらごちゃまぜで記憶されているってのは、私だけではないってことも確認できて、よかったのではないかと。

 会場外のビデオ上映で、井上靖が美術記者時代にインタビューした上村松園の思い出を語っている「日曜美術館」の古い録画が放映されていました。ちょうど井上靖の『忘れ得ぬ芸術家達』を読んだところだったのです。エッセイに書かれていたこととほぼ同様の内容をしゃべっていました。あるいは、このインタビューをもとにしてエッセイにまとめたのかもしれません。、

 第一会場の第一番に展示されている上村松園「新蛍」1929


 山種美術館所蔵の松園作品18点を一度に公開。実践女子学園香雪記念資料館所蔵の女流作品の展示。幕末から大正昭和にかけての女性画家たちの作品。の、3つの企画で充実していました。

 実践女子大内の香雪記念資料館が、無料公開されていること、はじめて知りました。今回公開された奥原晴湖の南画や、ラグーザ玉が夫の死後イタリアから帰国してから日本で描いた油絵などが香雪記念資料館の所蔵です。

ラグーザ玉「蘭図」1933-39


 河鍋暁斎の娘、暁翠が描いた『紫式部』、松園に師事して日本画を学んでいた九條武子の(1887-1928)『紅葉狩』など.
 時間が出来たら山種美術館との連携企画を行っている香雪記念館の「華麗なる江戸の女流画家展」も見にいきたいです。

河鍋暁翠「紫式部図」


 片岡球子の絵は、先日近代美術館で見てきたのですが、山種所蔵の「北斎の娘おゑい」が展示されていて、とても印象的な作品でした。
 アニメ映画『百日紅』を見たいと思っているのですが、その主人公葛飾北斎の娘おゑい(葛飾応為)の姿を描いており、ますます映画も見たくなりました。

片岡球子「おゑい」1982


 今まで知らなかった女流画家の絵。
 南画の隆盛と退潮、日本画の復権、新しい日本画の模索、、、芸術と格闘した女性達の軌跡をたどりながら、何者かをつかもうとした女性達の魂に鼓舞されました。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「ベルナルダ・アルバの家」

2015-06-02 00:00:01 | エッセイ、コラム


20150602
ぽかぽか春庭アート散歩>梅雨どきアート(1)ベルナルダ・アルバの家

 ガルシア・ロルカはスペインの詩人、劇作家。(フェデリーコ・デル・サグラード・コラソン・デ・ヘスス・ガルシーア・ロルカ(Federico del Sagrado Corazón de Jesús García Lorca1898-1936)。
 スペイン内乱が勃発すると、ファシストのフランコ将軍率いるファランヘ党に捕えられ、銃殺される。享年38歳。以後、フランコが死ぬまでスペイン国内では発禁書でしたが、西側諸国ではその作品は高く評価されました。

 70年代のはじめ、初歩ドイツ語の授業で教わったのが「ドイツ語訳のロルカ詩集」でした。スペイン語とは異なる響きだったのでしょうが、そのすばらしい言葉の連なりにひたることができました。それまで「外国語なんか習いたくない」という語学拒絶症だった私も、ロルカには心ひかれました。
 ドイツ語劣等生だった私は、イッヒリーベデッヒ以外のドイツ語は忘れてしまったのですが、ドイツ語優等生だったK子さんはヘーゲルを卒論にしたほどでした。

 ロルカは1933年に劇団を設立。1933年『血の婚礼』、1934年『イェルマ』、1936年『ベルナルダ・アルバの家』を完成させます。同じスペイン出身ダリと親交の厚い画家でもあり、舞台美術にも腕を振るい、ピアニストとして劇中の音楽にも才能を発揮しました。
 ロルカの戯曲は世界各地で上演されてきましたが、映画もロルカの原作による『血の婚礼』など、評価が高い作品に仕上がりました。

 と、長々ロルカについて説明しました。5月31日、下北沢のミニ劇場で『ベルナルダ・アルバの家』を見てきたからです。
 主演のベルナルダは、いっしょにドイツ語の授業に出て、いっしょにロルカの詩を習ったK子さんです。
 K子さんは、卒業以来、キャリア組上級公務員を定年退職まで続けたしっかり者。60歳からは、若い頃はたせなかった演劇活動を再開。前回の『鼬』につづき、今回は2度目の主演です。

 ベルナルダとベルナルダの母は、ダブルキャストで、交代に演じ、ジャズダンス仲間のTTさんが見に行った初日で、K子さんは母親役。私は千秋楽の日曜日、ベルナルダ役を見ることができました。

 K子さん、すばらしい熱演でタイトルロールのベルナルダを演じていました。低い声を作り、旧家の当主としての誇りと、古いスペインのしきたりに縛られた暮らしのなかで、夫を失った悲しみと、残された5人の娘を世間から守っていくという未亡人に課せられた役割をまっとうしようという気負いとが感じられる役作りでした。

 ベルナルダは、スペインの古い習慣に従って「当主アルバの死より8年間は喪に服す。娘達は家の外に一歩も出ることなくに服喪を果たす」ことを娘達に要求します。
 5人の娘達のうち、父親の財産を受け継げるのは長女だけ。資産が多くない家庭では、資産の分散を防ぐため、相続はひとりだけに託されるのです。そのため結婚できるのは長女だけ。多額の持参金が必要なため、財産のない娘には結婚の機会が与えられないのです。次女以下は、一生を独り身ですごすか、修道院に入るかのふたつしか人生の選択がありません。

 かって四女マルティリオが結婚したがったとき、ベルナルダは、相手が農民で身分違いだという理由で許しませんでした。結婚とは身分が釣り合い資産が十分な場合にうまくいくのだとベルナルダは信じています。
 娘達にとって、8年間もの間、家に閉じ込められるのは監禁と同じであり、抑圧された暮らしに不満はつのります。

 年老いたベルナルダの母親は、錯乱しており「これからお嫁にいく」とめかし込んでいます。ベルナルダの母もまた、抑圧された女のひとりなのでしょう。

 ベルナルダは、アルバ家を相続する長女に、ペペを婚約者として選びます。しかし、女中頭のポンシアは、ペペが持参金めあてであろうことに気づいています。ペペは長女アグスティアスより14歳も年下なのです。
 家から出られない娘達ですが、長女にのみ、ベランダの下に立つペペと顔を合わせ、ことばをかわすことが許されます。他の娘達の抑圧は高まります。

 ペペと年が釣り合うのは末娘のアデーラです。アデーラは姉のもとに通ってくるペペを愛するようになり、納屋で密会するようになります。アデーラにとって、ペペと愛を交わすことが唯一生きているあかしです。

 しかし、ベルナルダに恋人との仲を引き裂かれた経験を持つ四女、マルティリオは、密会に酔いしれるアデーラが許せません。ペペに会いに忍んでいこうするアデーラの前に立ちふさがり、さわぎになります。
 アデーラの道ならぬ恋を知ったベルナルダは、ペペに向けて銃を撃ちます。ペペが逃げ出していったのを確認した上で、アデーラに「ペペを撃ち殺した」と告げます。絶望したアデーラは、自室にこもり、首をつります。
 ベルナルダは、家の秩序を守ろうとして、逆に末娘を失ってしまったのです。

 2時間10分の上演。女性のみ9人の出演者が丁々発止のことばをぶつけ合い、激しい感情を炸裂させる劇でした。
 しかし、演出の上で私にはふたつ疑問がありました。

 客席26席というミニ劇場なので、舞台構成に制約はあることはわかるのですが、舞台と客席が紗幕によって区切られていたこと、私にはこの紗幕は必要ないように思えたのです。舞台前面を照らせば舞台内は暗くなって暗転し、照明によって紗幕の中を明るくすれば、役者達の演技は見える。紗幕が隔てることにより、この舞台で演じられるスペインは、私たちの地続きのことでなく、遠い別世界の物語なのだ、という演出意図なのかと思いました。私は、ベルナルダの物語を、直接受け取りたかった。女ばかり9人の閉じられた空間。でもそれは紗幕の中の隔てられた空間ではなく、私と直接向かい合う、私の物語でもある、という感じで舞台を見つめたかった。

 もうひとつ、演出意図に疑問点。末娘アデーラが首をつったというシーンは、舞台上には出されず、舞台袖の中の物音と声で表されたことです。ドアの中に閉じこもるアデーラ。ドシンと、椅子が倒れる音。ドアをたたき、こじあけた物音のあと「こんな終わり方をしてはいけない」という台詞によって、アデーラが死んだことが暗示されます。

 ベルナルダが「死んでしまった」と言うので、観客にはアデーラの死が伝わるのですが、それがわかったのは、私があらすじを知っていたからだろうと思いました。私のとなりのおじさんには、その展開が伝わっていなかったみたいで、アデーラの死によるラストシーンが「あれ?何がどうしたのやら」と思ううちにおわってしまったようなのでした。

 舞台を見慣れている人の想像力によって、舞台に明示されていないことを想像させるという演出がよい効果をあげる場合もありますし、今回の「アデーラの首つり=椅子が倒れる音によって表現」は、想像力だけではむずかしいように思えました。

 終演後に面会したK子さんの解説では、稽古の最初はシルエットによってアデーラの最後が明示されることになっていたのだけれど、途中でその演出はなくなって、今の形になったとか。見巧者だけがわかれば、よい、という意図だったのかなあと思います。

 トップの公演チラシ、出演者がスペインを訪れてロルカ生家を見学したときに撮影したものだそうです。チラシ中央の白い部分は、井戸です。ロルカ生家と、アルバの家のモデルになった家の境界にある井戸。隣家のもめごとをロルカはこの井戸で聞き、創作のモチーフにしたのだそうです。

 K子さんが演劇にかける情熱。いっしょにジャズダンスを習った仲間にも感銘を与えています。好きなことを見つけて、一心に追求していくK子さん、すてきな退職後の生き方と思います。

<つづく>
コメント (3)
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