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ぽかぽか春庭「古い歌とニューソング・家庭内与野党合同カラオケ大会」

2017-04-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170404
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記4月(1)古い歌とニューソング・家庭内与野党合同カラオケ大会

 4月1日土曜日、我が家は、嘘偽りも忖度もなくすごしました。
 家庭内野党なる方が、名誉な肩書きのために夫さんの足下をぐらぐらさせている世の中を横目で見つつ、我が家は家庭内与党も野党も合同で、大カラオケ大会開催です。

 娘と息子が利用しているゲームサイトでは、年に何回か「無料通信カラオケの日」が開催されます。普段は有料で、1時間だと100円、24時間だと300円、1ヶ月だと千円。
 歌いたければ300円を払って24時間歌ったらいいのですが、そうはいきません。必ず無料の日に無料の時間いっぱい歌う、というのが、我が家の方針。親の影響で息子娘も「タダ」が大好きなのです。
 今回「春の無料キャンペーンの日」は、4月1日でした。

 家庭のテレビモニターに歌詞が出て、伴奏とメロディが流れます。音符でなく、棒線で音の高低がしめされるので、音符読めない者にもうたいやすいです。
 町のカラオケボックスのように、歌詞のうしろにきれいな風景が出たり、きれいな女優さん男優さんが演技をしたり、ということはないですけれど、自分をモデルにしたアバター歌手が歌う姿がモニターに出ます。アバターの衣装は次々に着せ替えができます。私の衣装は、演歌風着物になったり、ドレスになったり。今回はキャリーパミュパミュ風にしました。

 選曲、前は「ザピーナッツ特集」とか、「山口百恵特集」など、歌手ごとにまとめられた歌を選んでいたのですが、このところ、「年度別人気曲」というので選んでいます。「1970年に流行した歌」から始めて、今回は1977年の歌を歌いました。ほんとうは、1960年代の歌も歌いたいところですが、年代別で集められている歌の一番古い年が1970年なのです。たぶん、この通信カラオケを管理しているゲーム会社にとって、1960年代というのは、まだ町の喫茶店にもゲーム機など置いてなかった時代なので、化石時代なのかも。
 私が時代を「戦前、戦中、戦後」と分けて意識するように、ゲーム世代は「ファミコン以前、ファミコン以後」とか、「スイッチ以前、スイッチ以後」なんて分けているのかもしれません。

 無料の時間は4月1日の午前10時から午後6時まで。娘息子と私3人交代で、12時から6時まで、6時間歌い続けました。
 息子は途中で昼寝になりました。息子は、明け方までマイクのUSBコネクタを探していたのです。前回の無料キャンペーンで歌ったとき、マイクコネクタをどこかに落としてしまったらしく、家の中にあるはずなのに、見つからなかった。姉に怒られて、一晩中探しても見つからず、私は「モノをよく落とすなくすは私の遺伝」と思ったのだけれど、姉娘はカンカンで、無料キャンペーンが終わってしまう前に、マイクを調達せよと厳命したのです。息子は店が開店するとすぐにマイクを買いに行きました。そのため、10時から始まった無料カラオケの開始が12時になったのです。

 私、若い頃は演歌が大嫌いでした。美空ひばりも都はるみも嫌いで、50年代アメリカンポップスとか、60年代フォークソングとかを歌っていたのです。
 しかし、年取ってみたら、歌ったことのなかった演歌がしっかり身体に染みついていて、美空ひばりも都はるみもほとんどの曲を歌えます。
 男に捨てられて、「尽くしたりない私が悪い」なんて泣いている女の歌を「ケッ」と思って聞いていました。昔は、女が未練たらたらで別れた男を思っていたり、「あなた好みの女になりたい」とかいう歌詞に反発を感じたのが、ワハハと笑って聞いていられるようになったのです。

 男に好かれる「かわいくてけなげな女の一生」には、縁のなかった生涯を過ごしてきました。
 人生67年をすごしきて、演歌の中に描かれる男好みの女なんて、男の幻想のなかにしかいないのだ、とわかりました。男の目から見て素直でかわいい女って、実はしたたかな計算ができる女なのだ、男に頼り男に好かれるほうが得という計算がしっかりできて(無意識にせよ)そうしているのだとわかったから。
 お得な計算ができず、無料キャンペーンやら特売半額セールのような人生を選んでしまった自分を笑いながら歌えます。

 娘と息子の選曲。まったく知らない歌ばかり。私もちょっとは大昔のじゃない歌も歌わねば、と、選んだのは朝ドラ主題歌。ミスチル、宇多田ヒカル、AkB48、ゆず、絢香など。毎日朝ドラを見ていたわけじゃないけれど、朝ドラを見るおばはん世代に合わせた曲が多いので、私にも歌えます。

 世の中、暗殺された遺体がミサイルとばす国に帰ることになったり、海の底から修学旅行生のなきがらを含んだままの船体が引き上げられたり、元名誉校長さんと元理事長さんが互いにウソツキ呼ばわりすることになったり、まったくウソもマコトもわけわからぬことばかりですが、我が家は「無料」にひかれて、親子で6時間歌い続けた、まあ、なんともウソもない4月1日でした。、、、、おっとと、ウソをついてしまいました。家庭内野党は、家庭外にでておりまして、法事でもなければ顔見ることもない野党でして、、、

<つづく>
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ぽかぽか春庭「古団地と新スーパー」

2017-04-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170402
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(11)新スーパーと古団地

 都区内の団地住まいを続けています。我が住まいのUR団地は、新しい耐震基準が成立する前の建物なので、万が一、直下型大地震が都を襲ったら、建物ごと倒れるんじゃないかと思いながら暮らしています

 都下の大団地、高度成長期以来、続々と成立しました。しかし、多摩丘陵団地や高島平団地の住人が高齢化して、地域コミュニティが崩壊しつつあるという報道を聞いてからだいぶたちます。我が団地の住民も、年々高齢化していっているようです。かわりに、子供の数はどんどん減ってきた。娘息子が通っていた小学校も中学校も閉校して、他地区の学校に併合されてしまいました。

 そんな古びた団地に、久しぶりに変化がありました。隣接していた倉庫会社の土地が再開発され、大規模マンションが建設されることになったのです。マンションの中には保育園やクリニックが設置され、一般住宅の他、高齢者向けの介護付きマンションも建てられるのだとか。
 この春、マンション完成の前に、スーパーがオープンしました。

 団地内には、我が家から300mのところにスーパーがあり、団地外にも徒歩5分のところにもうひとつのスーパー。自転車で5分のところには、比較的大きなスーパーもあり、JR最寄り駅の前までいけば、別のスーパーもある、コンビニも各種あり、という買い物には不自由しない環境でした。
 それが、今回は団地建物の出口からスーパーのドアまで150mほどのところに新スーパーができたのです。
 買い物大好きな娘は、昨年夏に「来春、スーパー○○開店」という予告の看板が立ったときから、「春っていつごろになるんだろう。ヘタすると5月くらいまで春って言うからなあ」と案じつつ、今か今かと楽しみにしていました。

 3月末のオープンの日、私は外出してしまいましたが、娘と息子はさっそく新スーパーに買い物に行きました。ご近所中の人が押し寄せて、入り口では入場制限がなされたそうです。
 列に並ぶのは嫌いな娘なのに、おとなしく待って、お総菜だの半額バーゲンのステーキ肉だの、買い物バスケットふたつ分も買い物をしてきました。団地内のスーパーに比べると、よほど「買い物の楽しさを味わえる」店内だったそうです。

 古い団地に、ほとんど変化もなく30年も住み続けて、久しぶりの「変化」であり、新しいものに触れたので、娘も息子も大満足でした。
 晩ご飯は買ってきたお総菜を並べて、フィギュアスケート女子ショートをテレビ観戦しながら食べました。 
 
 私は開店2日目に行き、ポイントカードなど作ってきました。火曜日日曜日はポイント5倍というので、これからは火曜日あたりでせっせとお買い物。
 団地の中の桜、新スーパー前の桜並木も3分咲き5分咲きくらいになり、古い団地に、久しぶりの新話題で、ようやく春めいてきたのでした。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「新宅と古書斎」

2017-04-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170401
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(10)新宅&古書斎

 3月末に友人といっしょに牧野富太郎記念庭園へいってきました。
 都内の庭園や公園、主なところへはほとんど訪れてきたのですが、牧野富太郎記念庭園に行ったことがいなかったので、案内してもらったのです。

 牧野富太郎(1862-1956)と相沢忠洋(1926-1989)は、母の「アイドル」でした。尊敬してやまない二人の学者のことを、折にふれて私に語って聞かせました。学問にどれほど偉大な貢献をしたか。恵まれない環境の中で、こつこつと己の研究をまっとうする一生が、後世の人にとってどれほど価値があるか。

 母にとって、「もっとも偉大な学者」と感じるのが、なぜこの二人だったか。二人とも学歴を持たない、独学の研究者だったからです。
 「女に学問はいらない」という、当時としては農家の当主として当たり前の考え方をしていた父親のもとで、母は、どれほど勉強したくてもあきらめざるを得ませんでした。戦中戦後の時代、下の弟たちが旧制中学や新制大学に通う学費を稼いで父親を助けることが、青春のすべてだった母にとって、学歴がなくても大きな功績を残した植物分類学の牧野富太郎と考古学の相澤忠洋は、自分は果たせなかった学問への夢を切り開いて、広大な世界を夢見させてくれる存在だったのです。

 そして母は私に「おまえが学問が好きなら、どこまでだって勉強を続けなさい」と言いきかせました。母が生きていたら、私も学問に精進して一生を学問に費やしただろうとおもいます。ですが、私が24歳のときに医者の誤診で母は55歳で死んでしまいました。私はずっと母と生きて行くつもりでしたから、落ち込むばかりで生きる気力をなくしてしまいました。
 母が「娘がとったらうれしいなあ」と言っていた博士号を、私が取得したのは還暦すぎてから。博士号といっても業績とは言えないようなささやかなものですけれど、ま、形だけでも。

 友人が前回牧野庭園に来園したのは、2010年にリニューアルされるずっと前。お母さんが入院先から戻って養生していたとき、少しも外へ出たがらない病後の母親を気遣って、「母を元気にさせるには、少しは外に連れ出さなければ」と思ったのだそうです。お母さんといっしょに散歩したのが、この牧野記念庭園だった、という話を聞きました。
 リニューアル前は樹木もうっそうとしていて、草木は雑草園のようにぼうぼうと生えていたというお庭ですが、久しぶりに来てみたらだいぶようすが変わったと。
 3月末、冷え込んだ日が続いたせいか、まだ花も少なくて、葉のない木立も庭の草もこざっぱりとしていました。

牧野記念庭園


 牧野富太郎博士が94歳でなくなったあと、博士が植えた植物とともに、庭園と自宅が遺族から委託され、一般公開されるようになりました。
 友が老母を支えてこの庭を歩くようすを思い浮かべました。私は母の老後を見ることができませんでした。友人がご母堂とともに植物園を散歩したことを聞かせもらい、私の分まで親孝行してもらったような気になりました。

 牧野富太郎は、学歴がなかったために勤務していた東大でも冷遇されました。主任の教授と対立し、研究室を追い出されるような目に遭いながらもひたすら植物の収集分類につとめ、数々の新種を発見し発表しました。なかでも、入り口を入ってすぐのところに植えられているセンダイヤ桜とスエコザサは、庭園の目玉です。

 センダイヤ桜は、日本に自生していた十種のサクラのうち、山桜の栽培種です。高知市の仙台屋という店の前に生えていた木を牧野博士が発見、命名したのです。幕末に開発された染井吉野が全国に広がったあと、仙台屋桜は少なくなっていき、貴重な桜となっています。今では牧野記念庭園の入り口にある仙台屋桜が、日本でもっとも大木なのだそうです。まだ満開にはなっていませんでしたが、染井吉野などよりは開花が早いようでした。

牧野庭園入り口に咲く仙台屋桜


 スエコザサは、牧野博士が発見した新種のなかでも特別なもの。貧苦に耐えて夫の研究を支え続けた壽衛子夫人の名を残すために命名されました。
 牧野富太郎は、1890年に11歳年下の小澤壽衛子(1873-1928)と結婚しました。以来、夫人は、大学で薄給の講師を続けつつ研究に収入をつぎ込んでしまう夫を支えました。壽衛子夫人は、子ども達に「我が家の貧乏は学問のための貧乏であるので、恥じることはない」と言い聞かせて育てたそうです。
 夫人が54歳で亡くなった翌年、牧野博士は新発見の笹に妻の名を命名しました。
 「家守りし妻の恵や我が学び 世の中のあらむかぎりやすゑ子笹」という牧野博士の妻への思いが石碑になって笹に寄り添っていました。

スエコ笹


 世界的な業績を上げた牧野博士ですが、第1回目の文化功労者に選ばれたものの、文化勲章授与は、死後のことでした。たぶん、そんな栄誉よりも、ひとつでも多くの植物を見てすごしていれば幸福だったのででしょうけれど、小学校中退という学歴で独学を続け、世界的植物学者となった博士に、もっと報いる国であってほしかったです。

 博士の書斎が、牧野記念庭園の中に残されています。2010年に庭園がリニューアルした際に、博士の生前からすでにぼろぼろであった書斎をできる限りそのままの形で残すために、書斎をそっくり覆うさや堂が建てられました。
 さや堂の中に収まり、今は雨漏りの心配などはなくなったとはいっても、そのあまりに粗末な普請の書斎を見ていると、今更ながら博士の学問一筋の一生に頭が下がります。




特別展示 桜花図譜


 牧野庭園での「桜図譜」などの見学を終えて、新築成った友の家を、訪問しました。
 一人で決め一人で工務店とも大工さんとも折衝し、好みの家を建てた友のがんばりに、表敬訪問したいと思っていたのです。が、なかなか寒さの中では足が動かず、少し寒さがゆるんできたかなと思うには、3月も末になってしまいました。
 
 友の家は、とても瀟洒で落ち着いた造りの家でした。両親を見送り、長年勤め上げた会社を定年退職してのち、両親とすごした家を片づけて自分がこれからの生涯を快適にすごすための家を新築しました。家の外観も玄関も、とてもすてきだし、内装はできるだけ自然な木材を使用し、家具はできるだけ置かないというシンプル室内。

 2階で、ビールをいただきました。酒のつまみもあれこれと。おいしく飲みおいしく食べ、いっぱいおしゃべいをして、ゆったりとすごしました。
 願わくは、これからもときどきは一人住まいに押しかけて、ビールタイムを過ごさせてもらえますように。

 牧野庭園も四季おりおりに訪問したいと思っています。 

<おわり
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