KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

左利きになりたい

2023年02月22日 | 俳句
天気 晴

右手の中指、とうとう以前のように腫れてきて「ヒョウ疽」の再発を思わせる。おまけに、先日書いたように人差し指の痛みも増してきて、いよいよ左利き生活に戻ってしまった。といっても、この1年近く右手は補佐で左手が主人公になっていたのだから元へ戻っただけかもしれない。でも、元々が右利きなのだから、やっぱり困る。何がいちばん困るかというと、字をかくことと、スマホの入力。スマホは左でも入力出来ないことはないが、左で入力するということは、右手で持たなくてはならない。それが主役に近い2本が使えないと、とても疲れて長時間は持っていられない。
パソコンは先日も書いたが、元々左手中心にでも入力できるので、マウスとEnterキイだけが右手でないと。マウスは、右が全く使えなければ左手でも使える。
いっそのこと左利きだったらいいのに・・と思ってしまう。
両手が使えるなら両利き?と言われることが多い。でも、そこまで両方使える訳ではない。両利き、と呼ばれる人は100人に1人だと聞いている。ちょっとネットで調べてみた。

「両利きの人には、先天的、すなわち生まれつき両利きの人と、後天的に訓練によって両利きを「習得した」人の2種類があり、それぞれに特徴があります。 後者の方は、両利きであるかどうかの判断は個人の見解に依るので、どれくらい使いこなせば両利きか、という明確な基準はありません。
日本人全体の割合でいうと、88%が右利き、12%が左利き、そして生まれつき両利きの人は人口のおよそ1%と言われています。
 これとは別に、後天的に両利きを訓練によって身につけた人がいますが、この場合、両利きになったかどうかの判断は個人の見解に依るので、人口割合は定かではありません。」

私は、後天的両利きかもしれない。二十歳くらいの時に「腱鞘炎」になって右手が使えないことがあった。でも、計算には算盤を使わねば・・仕方なく左手で算盤を弾く練習をした。思いのほかすぐに出来たけれど・・その時、左手で字を書く練習もしてみたがダメだった。ということは、左利きではないようだ。
ところで、左手で算盤が出来る、ということはとっても便利だ。左で計算そして右で書く。これ、その後使うようになった電卓でも同じ。私は電卓を左で打つ。最初に左で打つことを覚えたので、今も右より左の方が使いやすい。で、結果を右手で書く。ものぐさの私向きだ。
同じことで、スプーンもフォークも、左手で持った方が面倒はないと思った。ナイフで肉を切り、そのナイフを置いて右手に持ち替えて食べる・・面倒でしょ。カレーライスを食べながら別皿のサラダを食べる時、右手のスプーンを置いて箸(フォークでも)に持ち替える。面倒でしょ。
子供の時から歯磨きは左手でしていた。ペットボトルの蓋・・どっちでもいい。色々考えると、私は何利きのジャンルに入るのか不明のようだ。何だかわからなくなってくる。でも先天性両利きの筈はないのです。なぜなら、両利きには天才が多い、とかいう噂もあるので。


とにかく、指の痛みで今朝から箸は右手で持てなくなった。明け方3時ごろに目が覚めたらズキズキ痛んで、眠れなくなった。
でも、食べるときにそれでとっても不自由な訳ではない。本当に困るのは、女性なら解ってくれると思うが、トイレと着替え。冬はとくに色々重ね着しますからねえ。深刻です。

梅一枝仏壇へ香を放ちけり  KUMI
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雛飾る

2023年02月21日 | 俳句
昨日の話。
20年くらい前に自分のために買った、小さな小さな御所雛、そうだ雨水の大安ならちょうど良い雛飾りの日、と思ったのだ。が、当日は忘れてしまい昨日になった。別に急いで出さなくても、3月3日過ぎて仕舞い忘れたって私はお嫁に行く訳でもなし。

場所がないので、主宰の色紙を飾っているパソコンデスクの上に置いている。
色紙は    花満ちてゆく鈴の音の湧くやうに   杏子


雛人形は長姉のものが段飾りで家にあって、私が小学生の頃まで飾っていた気がする。あの戦争の中を田舎へ疎開したときも東京から運んだのだ。でも、私のものではなかった。とはいえ、姉が嫁いだあとも我が家に残ってはいた。色々あって亡次姉の死後、古びた内裏雛だけが私の手元に残されたのだが・・ここへ来るとき、何だか侘しいので捨ててきた。ごめんね、と今は思う。自分の雛だったらどんなに古びていても捨てなかっただろう・・人間は勝手な動物だ。
なぜ木目込みの小さな御所雛にしたかというと、場所がなくてもどこにでも飾れるから。たとえ病院の枕元でも。
まさか、老人ホームへ入るとまでは思っていなかったけれど。

昨日は午後、いつも来てくれる後輩が、色々とお土産を持って来訪した。紅梅の一枝の蕾が、桃の花のように綺麗な色だった。
久々の外からの人で、珈琲飲みながらよく喋りました。最近、本気で喋る相手が階下の90歳のお友達くらいしか居ないので、滑舌が悪くなった。でも喋りたいことは幾らでもある・・オバアサンってそうなのです。で、彼女が帰ったあとで心配になった。もしかして、私、同じ話を繰り返していない?
先月会ったときにもう話したことを今日も話しているかも。90歳のお友達が、時々、もう話したことをまた話す。別に認知症ではない。私も同じかもしれない。そういえば、母の晩年もそうだった。でも認知症にはほど遠い人だった。

一晩経ったら、紅梅がにぎやかになってきた。

やはらかき雲の湧く午後雛飾る  KUMI
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自分へお見舞い

2023年02月19日 | 俳句
天気 晴のち曇がち

体調のあれこれの愚痴を暫く書かなかったが・・何の支障もなく暮らせた訳ではない。どこも痛まない快適な日・・という暮らしはもう、何十年間体験したことがない(大袈裟ではなくホントです)。始まりは、交通事故で追突され、当時は「むち打ち症」と呼ばれた「頚椎捻挫」から。
ま、病気も事故の後遺症も受け入れて暮らしてきたけれど、去年からのしつこい右手中指の痛みにはうんざり・・ほんと、しつこい。もう治った、と思い先月半ば、包帯暮らしから少しずつ指を解放してグラスを洗うのも、少しの時間だから、と素手にした。箸も右手を使えるようになった。半年ぶりのビニール手袋なしの洗い物や洗顔は何と快適なことよ、と思ったのもつかの間、また爪と肌の間に隙間が出来て痛みが帰ってきた。ひょう疽のバイキンがまだ残っていたのだろうか?
この10日ほど、また包帯暮らしになってしまい、でも箸は右手で持てるからいいか、と。ところが、今度は、中指のお隣の人差指の頭に知らぬ間に小さな傷が出来た。透明な絆創膏など貼っていたのに一向に治らず、痛むことになってしまった。痛む指が2本になると、箸が持てぬ。ただ、人差し指の傷はパソコンキイを使う場所の上なので、今は使えている。中指を使わない入力がとても上手になった。人差指は多分、冬が終われば治る、と思っているけれど・・治りの遅いのは血行が悪いからですねえ。最近は心臓あたりが時々痛むことがある。検査してまだ生きられる心臓、とお墨付きを頂いているので、気にしないことにしている。

今日は「雨水」、それなりに春めいているようだ。下り坂の天気ながら暖かくなる、というので、朝のうちに(10時頃)スーパーへ行ってみた。窓の外は暖かそうに見えたのに、外の風は思ったよりも寒かった。まだまだ、ちょっと陽射しを浴びよう、という気分にはなれなくて、必要なものだけ買って寄り道もせず帰った。
自分へのお見舞いに苺とデコポンを。


苺は、今日は栃木のスカイベリーにした。佐賀の「いちごさん」を続けて買って美味しかったが、スカイベリーの大きさに惹かれた。


換算すると、デコポン1個とスカイベリー1個と同じくらいの値段になる。贅沢ですよ・・でも、苺くらいしか贅沢はしておりませんから許して。
さて、お味の方は・・「いちごさん」の方が私の好みだった。

仏壇の花も少し寂しくなったので買った。市場が休みの日曜に花を買うのはあまり・・。菜の花はもう伸びきっていて花が散りそう。

ガーベラも目一杯に咲ききっている。ちょっと、と思いつつ、地元の花を置いている八百屋がまだ開店していないので買って帰った。

湯呑持てば指温まる雨水かな  KUMI
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河津桜そして花を待つ

2023年02月18日 | お散歩写真
天気 晴

テレビの関東の地方ニュースで河津桜の開花が話題となる頃が来た。今はあちこちに名所の出来た早咲きの桜、その発祥地(発見された原木のある地)河津へ行ったのが8年前のちょうど今頃。見ごろには少し早かったが、念願のお花見だった。季節限定の直通列車が多摩地域から出る、というので、日帰りで行くことにしたのだ。
東京よりは暖かいはずの伊豆半島の温泉地、なのにこの日は北風が冷たくて、体感的にはまだまだ花見気分ではなかった。日帰り温泉にゆっくり出来たのが何よりだった。


見ておきたかった桜はまだまだあって、行きたい、と思った時に行かねば生涯行けなくなる。
2006年に乳がんを手術してから、行きたい所へ行っておこう、という思いが強くなったのだ。高遠の桜もそうだった。これもJRの特急利用の日帰りツァーで、高遠城址へ行っただけ。桜が突然満開になり、天気も快晴の暑いくらいの気温に恵まれた。気温が高すぎて、よく見える筈の残雪の南アルプスが霞んでしまった。

帰りの特急は列車指定のツァーだから待つ間、時間が余って困った。夫と二人で駅前のカフェへ入っても会話の種はすぐ尽きる。夫は、本屋を見つけて文庫本を買って読んでいた。私は分冊の歳時記とメモ帳があればどこに居ても退屈しない。
そのほかにも、満開少し過ぎた三春の滝桜も行ったし、弘前と角館にも・・こちらはまだ咲いていなかった。桜は、あれもこれもと贅沢に見ようと思ったら際限がない。まだまだ見たかった桜はあるけれど、有名ではなくても色々な桜を見たので、まとめて良し、としよう。
今年もかた、桜に出逢えるとは思っても居なかったので、桜を見ることだけで喜ばねば。

花を待つもう逢へぬ人思ひつつ  KUMI
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危ない治安

2023年02月17日 | 俳句
天気 晴

私の狭い行動範囲では春めくものも、写真の対象になるものも全くないので、「塗り絵」作品が続く。春めく色だけでも楽しい。

世界のニュースに楽しいことがないし、国内は強盗の話ばかりだし。日本の安全もついにお終いか?と思ってしまう。銃が自由に手に入る国はかえって治安が悪い、という事情も良く解る。真昼の郵便局強盗なんて・・しかも街の郵便局で。それにしても、カラーボールはなかったの?以前のマンションのそばに信金と銀行があり、現金輸送車が来ている時間帯、カラーボールを手にした若い店員が必ず通りの前をウロウロしていた。あのボール、犯人を直撃出来なくても、中のペンキ様の液体が飛び散って服や肌にくっつくと、絶対に落ちないのだそうだ。犯人特定の証拠になる。
強盗は街の、人の多いところには出ないだろうから、やはり、治安が悪くなった、ということとは別次元と思ってもいいのだろう。それにしても毎日あちこちで・・とうのは多すぎる。「そのくらいは我が国では事件報道にもならない」という国が殆ど、とは思うけれど、ここは日本です。
とにかく、強盗犯は早く捕まえてほしい。それしか、犯罪を減らす方法はない。

最近、やっぱり・・と確信したこと。「日本にはタンス預金が1兆円を超えるくらいある」という推測は本当らしい、ということ。
「アポ電」と呼ばれる強盗の事前のさぐりの電話で、家にタンス預金があるかないかを推測できるのだそうだ。へえ~~と、タンス預金は10万以上したことのない私は感心してしまう。家に札束を隠すには色々と事情があるのだとは思う。でも、私の出逢った人たちに、タンス預金がある、と言う人は誰も居なかった。当たり前、そんなこと他人に言う訳がない。それなのに何故、強盗のアポ電にはバラシてしまうの? 警察、と言われて信じた?

金を騙し取られただけならまだ救われる。最近のように、命まで奪われるとなると・・素人の泥棒に品位はない。


焼きたてのパンの温もり春めくか  KUMI
コメント (6)
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