深山地区は、白鷹町役場の北西約4kmのところ
実淵川左岸台地上に観音寺観音堂が在ります

県道255号線から県道164号線で実淵川を渡って直ぐ左に
長い参道を進むと鳥居右手に広い
駐車場があります

参道鳥居が見えて来ます

杉並木の石段を上がります

山門です

手水舎です

観音堂です

重要文化財です

説明版です
国指定重要文化財
観音寺観音堂
昭和28年3月31日指定
観音堂の建つ深山地区は、会津仏教と神仏習合の羽黒
修験との交流する交通の要路に位置していた。
観音寺観音堂は、天台宗観音寺(元羽黒系修験宗)の
所属堂である堂は、阿弥陀堂建築として、古風な形を残
すところに、文化史的価値が認められ、昭和28年に重
要文化財に指定された。
創建年代は明らかでないが、柱上組物の舟肘木と丸い
円柱は、平安風を思わせる。
昭和29~31年の解体修理工事の時の調査で、唐様
式虹梁や構造的貫等の存在から、建立年代が室町後期と
推定された。
建築様式が、阿弥陀堂建築であるのに対して、堂内に
安置されている本尊は、会津立木観音の流れをくむと考
えられている丈六をこえる千手観音像である。
建物の規模
桁行 26尺( 7,90m)
梁間 26尺( 7,90m)
棟高 35尺(10,76m)
平成3年12月 山形県教育委員会
白鷹町教育委員会

鰐口です

右の軒下です

正面を左から

縁です

斜め後ろの様子です

西側には立木観音堂が在ったようです
平成26年の発掘調査と前年の観音像のC-14放射線測定で、
ここに11世紀末~11世紀初頭に33尺の(~35)四方の観音
堂の存在が確認された。立木観音像は、杉の大木の切り株の位置に
あったと推測される。
立木観音像は、立木のままノミを入れて仏像にしたもので、ここ
に丈六の千手観音像があったが、堂の火災で腰から下を失っている。
現在、本尊は境内の国指定重要文化財観音寺観音堂に安置されてい
る。
平成26年 文化財活用活性化事業実行委員会
では、次へ行きましょう

実淵川左岸台地上に観音寺観音堂が在ります

県道255号線から県道164号線で実淵川を渡って直ぐ左に
長い参道を進むと鳥居右手に広い


参道鳥居が見えて来ます


杉並木の石段を上がります


山門です


手水舎です


観音堂です


重要文化財です


説明版です
国指定重要文化財
観音寺観音堂
昭和28年3月31日指定
観音堂の建つ深山地区は、会津仏教と神仏習合の羽黒
修験との交流する交通の要路に位置していた。
観音寺観音堂は、天台宗観音寺(元羽黒系修験宗)の
所属堂である堂は、阿弥陀堂建築として、古風な形を残
すところに、文化史的価値が認められ、昭和28年に重
要文化財に指定された。
創建年代は明らかでないが、柱上組物の舟肘木と丸い
円柱は、平安風を思わせる。
昭和29~31年の解体修理工事の時の調査で、唐様
式虹梁や構造的貫等の存在から、建立年代が室町後期と
推定された。
建築様式が、阿弥陀堂建築であるのに対して、堂内に
安置されている本尊は、会津立木観音の流れをくむと考
えられている丈六をこえる千手観音像である。
建物の規模
桁行 26尺( 7,90m)
梁間 26尺( 7,90m)
棟高 35尺(10,76m)
平成3年12月 山形県教育委員会
白鷹町教育委員会

鰐口です


右の軒下です


正面を左から


縁です


斜め後ろの様子です


西側には立木観音堂が在ったようです

平成26年の発掘調査と前年の観音像のC-14放射線測定で、
ここに11世紀末~11世紀初頭に33尺の(~35)四方の観音
堂の存在が確認された。立木観音像は、杉の大木の切り株の位置に
あったと推測される。
立木観音像は、立木のままノミを入れて仏像にしたもので、ここ
に丈六の千手観音像があったが、堂の火災で腰から下を失っている。
現在、本尊は境内の国指定重要文化財観音寺観音堂に安置されてい
る。
平成26年 文化財活用活性化事業実行委員会
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