ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山形県長井市、横町總宮神社の直江杉です!!

2018-08-18 07:05:16 | 巨樹・大木
横町は、長井市役所の北北西約1kmのところ

山形鉄道フラワー長井線あやめ公園駅の東側です

県道253号線に参道を開いています


県道から一の鳥居です

間もなく境内です

手水舎です

県社 總宮神社です


案内板です
  長井總宮神社
    長井市横町14番24号
 当社は平安の昔、坂上田村麿将軍が蝦夷地征服の
際、日本武尊の御神徳を追尊しして白鳥の社をここ
に創建されたのが始まりと伝承されているものであ
る。
 鎌倉時代以降、長井、伊達、蒲生、上杉と歴代領
主の信仰厚く下長井郷44ヶ村の神社をここに合祭
し、下長井郷総鎮守の社として總宮n社号を定めた
ものと伝えられる。当地の旧村名宮村はこの社に由
来するもので特に「宮の明神参り」は江戸時代に最
高の賑いを呈したものであったという。
 現在の御本殿は、明君上杉鷹山公ゆかりの宮財を
下賜せられ、郷民のすべてが浄財を寄進して建立さ
れたものである。
 御宝物に木造男神像・木造観音立像外懸仏・鬼面
古鏡・獅子頭など貴重な文化財を伝えている。
       中央史談会
       中央地区公民館


直江杉は境内南面玉垣脇に並ぶ一列の杉の総称です、まず左から2本


境内入口鳥居左手の2本


境内入口右手の2本

さらに右手の2本


右端の1本の計9本が直江杉です

9本の位置説明です
 慶長3年直江兼続が植えたとされる杉。
東西に一文字に並ぶことから舟運で栄えた
時代、船頭等は「宮の一文字杉」などと呼
び、長井に入ったことを実感したという。
 しめ縄がついた杉が全て直江杉です。

説明版です
  直江兼続(1560~1619)
 上杉謙信の教えを受け、約270年続い
た米沢藩の初代藩主となる景勝への「義」
と領民への「愛」を貫き通した智将。
 豊臣秀吉、徳川家康らを魅了、畏怖せし
め、戦国時代の歴史に大きく関わった武将。
  直江杉
 慶長3年(安土桃山時代1598)、上
杉景勝が越後から会津120万石に移封さ
れ、直江山城守兼続が米沢城に入った際、
下長井一ノ宮に参拝し、杉を植え(直江杉)
剣刀を奉納した。
 最上の陣の際には畑谷村(現山辺)、長
谷堂(現山形)近辺の神仏を集め總宮神社
に合祀している。後に。最上川舟運の船頭
たちは、直江杉を宮の一文字杉などと呼び、
長井に入ったことを実感したという。
 三の鳥居の両袖に東西に伸びる杉9樹。
幹周り3~4m強。幹高25~30mの巨
木。

拝殿前から見ました(東側)

西側です


一番大きいのは鳥居東側直ぐのスギです、幹は双幹になっています




狛犬です 

拝殿です

拝殿の懸額には赤崩山となっています

赤崩山の説明が有ります
  「赤崩山」について
 ご参拝ご苦労様です。
 視線を上に変えていただくと「赤崩山」という
神社には珍しい「山号」が掲げられています。
 ご祭神はヤマトタケルノミコトが最上川の上流
赤崩の地(米沢市)に剣を立てて洪水を鎮めたこ
とから冠することになりました。
 数百年後、直江兼続は赤崩の少し下流に「直江
石堤」を築きます。
 洪水を鎮め領民を守る思いは何時の時代も同じ
だということですね。
 拝殿内正面に視線を転じていただくと「扁額」
「總宮神社」と金字で書かれた額がございます。
伯爵、東郷平八郎直筆の書です。
 多くの偉人たちの信仰が如何に篤かったかが伺
えます。
     總宮神社 社務所

本殿です

本殿の彫刻です

本殿の周りには境内社が並んでいます

社殿東側境内の馬頭観音堂です

案内板です
 宮 馬頭観音(普門坊)
札所 置賜三十三観音札所 第十番
本尊 馬頭観音立像(木造彩色)
御詠歌
 夜もすがら月を見上げて
    おがむなり
       沖の川瀬に立つは白波
 当所は地勢的に西国三十三番札所第十番
三室戸寺(宇治川のほとり)になぞらえて
定められたもので御詠歌もほとんど同じで
ある。ご本尊は鎌倉時代の初期に都の仏師
の手になるすぐれた作品である。
 現在の本堂は天保年間の造立で東側に祭
礼の日(旧7月10日)参詣の馬が本堂に
登る渡り廊下が設けられてあった。
    中央地区文化振興会
    中央史談会


天地人のキャラクター「かねたん」です

直江兼続と同じ「愛」の兜をかぶってかわいいですね

では、次へ行きましょう
コメント
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